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フリードリヒ4世 (シュヴァーベン大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ4世
Friedrich IV.
シュヴァーベン大公
在位 1152年 - 1167年

出生 1144/5年
死去 1167年8月19日
教皇領ローマ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国エーブラハ修道院
配偶者 ゲルトルート・フォン・バイエルン
家名 ホーエンシュタウフェン家
父親 ローマ王コンラート3世
母親 ゲルトルート・フォン・ズルツバッハ
宗教 キリスト教カトリック
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フリードリヒ4世の墓像(エーブラハ修道院

フリードリヒ4世(ドイツ語:Friedrich IV., 1144/5年 - 1167年8月19日)またはフリードリヒ・フォン・ローテンブルク(Friedrich von Rothenburg)は、シュヴァーベン大公(在位:1152年 - 1167年)。

生涯

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フリードリヒはローマ王コンラート3世ゲルトルート・フォン・ズルツバッハの息子で、ローテンブルク付近に領地があったことから、「ローテンブルク公」と自ら名乗った。1152年に父コンラート3世が死去した時にはフリードリヒはまだ幼年で、従兄弟フリードリヒ1世(バルバロッサ)が国王選挙の投票者との交渉を通して支配を確実なものとしていたため、最終的にコンラート1世がローマ王に選出された。国王となったフリードリヒ1世により、フリードリヒはシュヴァーベン大公に任じられ、公領を支配した。フリードリヒ・フォン・ローテンブルクはシュヴァーベン大公としては「フリードリヒ4世」とされる。

1157年、フリードリヒ4世は騎士とされ、フリードリヒ1世のイタリア遠征に参加した。1165年、フリードリヒ4世はチュービンゲン宮中伯のヴェルフ家に対するフェーデにおいてチュービンゲン宮中伯を支援した。この結果、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家の対立が激化した。1166年、フリードリヒ1世はウルムで開かれた帝国議会において、この対立を解決させることができた。とりわけ、フリードリヒ4世とヴェルフ家のザクセン公バイエルン公ハインリヒ獅子公の12歳の娘ゲルトルートとの結婚によってそれは実現した。

1167年、フリードリヒ4世はフリードリヒ1世に率いられた帝国軍とともにイタリアに入った。しかし、同年8月、帝国軍の大部分が伝染性の病気、おそらく赤痢にかかってしまった[1]。そして1167年8月19日にフリードリヒ4世は病により死去した。フリードリヒ4世自身がシェーフタースハイムに創建したプレモントレ会修道院には埋葬されず、エーブラハのシトー会修道院に埋葬された。フリードリヒ4世の墓は1650年より、修道院教会の聖歌隊祭壇の後ろの南壁龕内に安置されており、その左側には母ゲルトルート・フォン・ズルツバッハの墓が安置されている。フリードリヒ4世の墓像は17世紀のものとされ、母ゲルトルートものは16世紀初めのものとされている[2]

フリードリヒ4世とまだ幼いゲルトルートとの短い結婚生活では子供が生まれなかったため、皇帝フリードリヒ1世はフリードリヒ4世の死後シュヴァーベン大公位を自らの長男フリードリヒ5世に与えた。ゲルトルートは1177年に後にデンマーク王となるクヌーズ6世と再婚した。ゲルトルートは1197年7月1日に死去し、ヴェー英語版に埋葬された[3]。ヴェーは17世紀までデンマーク領(現在はスウェーデン南部)であったスコーネ地方にあった。

フリードリヒ4世はローマ王コンラート3世の最後に生き残っていた息子であった。フリードリヒ4世の死によりコンラート3世の系統は断絶し、その所領は皇帝フリードリヒ1世が手に入れた。1167年、フリードリヒ1世はわずか3歳の長男フリードリヒ5世をシュヴァーベン大公に任じた。

脚注

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  1. ^ Knut Görich: Friedrich Barbarossa. Eine Biografie. München 2011, p. 417.
  2. ^ Markus Hörsch: Die mittelalterlichen Bildwerke in der Abtei Ebrach und ihre Bedeutungen. Interessen und Hierarchien in einer Grabeskirche, in: Achim Hubel (Hrsg.): Neue Forschungen zur mittelalterlichen Bau- und Kunstgeschichte in Franken. Bamberg 2011, pp. 77–112, here: pp. 89–97. – see also: Peter Koblank: Staufergräber. Nur wenige der prominentesten Staufer sind in Deutschland bestattet auf stauferstelen.net. Abgerufen am 18. Oktober 2014.
  3. ^ Johannes C. H. R. Steenstrup: Gertrud. In: Carl Frederik Bricka (Hrsg.): Dansk biografisk Lexikon. Tillige omfattende Norge for Tidsrummet 1537–1814. 1. Auflage. Band 6: Gerson–H. Hansen. Gyldendalske Boghandels Forlag, Kopenhagen 1892, p. 10

参考文献

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  • Gerd Althoff: Friedrich von Rothenburg. Überlegungen zu einem übergangenen Königssohn. In: Karl Rudolf Schnith, Roland Pauler (Hrsg.): Festschrift für Eduard Hlawitschka zum 65. Geburtstag (= Münchener historische Studien; Abteilung mittelalterliche Geschichte. Band 5). Lassleben, Kallmünz 1993, ISBN 3-7847-4205-X, pp. 307–316.
  • Odilo Engels: Beiträge zur Geschichte der Staufer im 12. Jahrhundert I. In: Deutsches Archiv für Erforschung des Mittelalters. 27, 1971, pp. 373–456.
  • Knut Görich: Die Staufer. Herrscher und Reich. 4., durchgesehene und aktualisierte Auflage. Beck, München 2019, ISBN 978-3-406-73805-0.
  • Carlheinz Gräter: Das Kind von Rothenburg. Ein vergessenes Staufergrab im Steigerwald. In: Frankenland 51, 1999 pp. 25–30 (frankenland.franconica.uni-wuerzburg.de PDF; 1 MB).
  • Jan Paul Niederkorn: Friedrich von Rothenburg und die Königswahl von 1152. In: Sönke Lorenz, Ulrich Schmidt (Hrsg.): Von Schwaben bis Jerusalem. Facetten staufischer Geschichte (= Veröffentlichung des Alemannischen Instituts. Band 61). Thorbecke, Sigmaringen 1995, ISBN 3-7995-4247-7, pp. 51–59.
  • Hansmartin Schwarzmaier: Friedrich IV. von Rothenburg, Herzog von Schwaben (um 1144–1167). In: Lexikon des Mittelalters (LexMA). Band 4. Artemis & Winkler, München/Zürich 1989, ISBN 3-7608-8904-2, Sp. 960.
  • Hansmartin Schwarzmaier: Friedrich IV. von Rothenburg. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 5, Duncker & Humblot, Berlin 1961, ISBN 3-428-00186-9, S. 590 (電子テキスト版).
  • Paul Friedrich von Stälin (1878). "Friedrich IV.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 8. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 34–35.
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