コスタンティノ・ロッカ
Costantino Rocca | |
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基本情報 | |
名前 | コスタンティノ・ロッカ |
生年月日 | 1956年12月4日(68歳) |
身長 | 175 cm (5 ft 9 in) |
体重 | 87 kg (192 lb) |
国籍 | イタリア |
出身地 | イタリア・ベルガモ |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 | 欧州ツアー・5勝 |
初優勝 | 1993年リヨン・オープン |
世界ランク最高位 | 18位(1996年) |
賞金ランク最高位 | 4位(欧州・1995年) |
コスタンティノ・ロッカ(Costantino Rocca, 1956年12月4日 - )は、イタリア・ベルガモ出身のプロゴルファーである。イタリア人のプロゴルファーとして、唯一ライダーカップのヨーロッパ選抜チーム代表選手に選ばれた経験を持つ、当地最大の選手である。ゴルフのメジャー大会でも2度優勝争いに加わったが、1995年の全英オープンと1997年のマスターズで優勝を逃した。ヨーロピアンツアーで通算5勝を挙げ、ライダーカップには1993年・1995年・1997年の3度出場した。身長175cm、体重87kg。
ロッカは少年時代から故郷の「ベルガモ・ゴルフクラブ」でキャディを務め、22歳の時に「イタリアン・キャディ選手権」で優勝した後、24歳でプロゴルファーになった。ゴルファーとしての生活資金を得るために、ポリスチレン箱の製造工場で働いた時期もある。ヨーロピアンツアーの「クオリファイイング・スクール」(シード権獲得のための資格試験)を4度受けた後、1989年から欧州ツアーに本格参戦を開始した。1993年にヨーロッパツアーで年間2勝を挙げ、イタリア人のプロゴルファーとして初めてライダーカップのヨーロッパ選抜チーム代表選手に選出された。1995年に名門セント・アンドルーズのR&Aゴルフクラブで行われた全英オープンで、ロッカは最終18番ホールでチップ・ショットを決め、ジョン・デーリーと 6 アンダーパー(-6, 282ストローク)で並んだが、プレーオフでデーリーに敗れて“ゴルフの聖地”に名前を残す機会を逸してしまう。この年は2度目のライダーカップ出場を果たし、ツアーの賞金ランキングも自己最高の4位につけた。
1997年のマスターズで第3ラウンドを終えた時、コスタンティノ・ロッカは6アンダーで2位につけたが、首位を独走していた21歳のタイガー・ウッズとは9打差をつけられていた。4月13日の最終ラウンドで、ロッカは若きウッズを追い詰めることができず、結局この日のラウンドは75(3オーバーパー)とスコアを崩して5位に終わった。しかし、5ヶ月後のライダーカップ最終日の「シングルス・マッチ」(1対1のマッチプレー方式)第3試合で、ロッカとウッズが再び顔を合わせた時、ロッカはウッズに 4 アンド 2 で勝ち、ヨーロッパ選抜チームの勝利に貢献した。1999年の「ウエスト・オブ・アイルランド・ゴルフクラシック」でヨーロッパ・ゴルフツアー5勝目を挙げたが、ライダーカップ出場は惜しいところで逃した。この大会が現時点でロッカの最後のツアー優勝になっている。2007年からは、ヨーロッパのシニアゴルフツアー(50歳以上の選手が対象)に転戦を開始した。
イタリアにはプロゴルファーは非常に少なく、ロッカは長い間孤高の存在のような選手であった。しかし2005年の全米アマチュア選手権で、大会史上初めてイタリア人選手のエドアルド・モリナリが優勝を果たすなど、少しずつ彼のまいた種が育ちつつある。
プロ優勝 (14)
[編集]ヨーロピアンツアー (5)
[編集]No. | Date | Tournament | 優勝スコア | 打差 | 2位(タイ) |
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1 | 1993年4月4日 | オープン・ド・リヨン | −21 (67-71-66-63=267) | 6打差 | ヨーキム・ヘグマン, ガブリエル・ヤッツステット, バリー・レーン, ポール・マッギンリー |
2 | 1993年6月27日 | プジョー・オープン・ド・フランス | −11 (66-66-71-70=273) | Playoff | ポール・マッギンリー |
3 | 1996年5月27日 | ボルボPGA選手権 | −14 (69-67-69-69=274) | 2打差 | ニック・ファルド, ポール・ローリー |
4 | 1997年9月7日 | キヤノン・ヨーロピアンマスターズ | −13 (71-69-70-65=275) | 1打差 | スコット・ヘンダーソン, ロバート・カールソン |
5 | 1999年8月15日 | West of Ireland Golf Classic | −12 (70-68-68-70=276) | 2打差 | パドレイグ・ハリントン |
ヨーロピアンツアープレーオフ記録 (1–1)
No. | Year | 大会 | 相手 | 結果 |
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1 | 1993 | プジョー・オープン・ド・フランス | ポール・マッギンリー | 最初のホールでボギーを決めて勝つ |
2 | 1995 | 全英オープン | ジョン・デーリー | 4ホールの末敗れる (デーリー 4-3-4-4=15, ロッカ 5-4-7-3=19) |
その他 (7)
[編集]- 1984 National Omnium
- 1985 Enichem Open
- 1986 Pinetina Open
- 1987 Index Open
- 1988 ロレックスプロアマ (スイス)
- 1989 National Omnium, イタリアPGA選手権
All in Italy except where noted.
ヨーロピアンシニアツアー (2)
[編集]- 2007 アイリッシュシニアオープン, The Kingdom of Bahrain Trophy - Seniors Tour Championship
代表歴
[編集]- ヘネシーコニャックカップ: 1984
- アルフレッド・ダンヒルカップ (イタリア代表):1986, 1987, 1989, 1991, 1992, 1996, 1999
- ヨーロッパカーカップ: 1988
- ワールドカップ (イタリア代表): 1988, 1990, 1991, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996, 1998, 1999
- ライダーカップ (欧州代表): 1993, 1995 (winners), 1997 (winners)
外部リンク
[編集]- コスタンティノ・ロッカ - ヨーロピアンツアー公式サイト