コハマ交通
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒907-1221 沖縄県八重山郡竹富町字小浜3209番地の1[1] |
設立 | 1997年6月1日[1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 4360001013093 |
事業内容 | 一般乗合旅客自動車運送事業[2] |
代表者 | 金城良二(代表取締役社長)[1] |
資本金 | 3000万円 |
従業員数 | 5人(2022年3月末時点)[3] |
外部リンク | http://www.kohama-k.com/ |
株式会社コハマ交通(コハマこうつう)は、沖縄県八重山郡竹富町の小浜島で一般乗合旅客自動車運送事業(定期観光バス事業)を営む日本のバス事業者である[2]。2007年(平成19年)3月までは一般路線バスの運行も行っていた[4]。
沿革
[編集]小浜島では1985年(昭和60年)頃に自家用自動車有償運輸事業が始められた[5]。同社は、1997年(平成9年)6月に、それまで個別に行われていた有償輸送を統合し、資本金3000万円で発足した[4]。創業者である金城聖吉は、石垣-小浜間の定期船の船主として海運業を営み、海運会社数社が統合して八重山観光フェリーが誕生すると取締役、社長を務めた[6]ほか、小浜島でガソリンスタンド事業を営む[7]等、運輸関連の事業に携わる一方、小浜糖業(現JAおきなわ小浜製糖工場)社長[8]、竹富町商工会長、竹富町観光協会長を歴任していた[7]。
同社の運行開始当初は赤字が続いたが、その後観光輸送の増加に伴い、1999年(平成11年)以降は黒字を計上するようになった。特に、2001年(平成13年)に小浜島が主要な舞台となったNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』が放送されてからは、観光客の利用者が増加した[4]。
しかし、2006年度(平成18年度)には再び赤字に転落した。同社では赤字の理由について、貸切バスの競争激化を挙げており、年間250万円の赤字を生み出している路線バスについては、2007年(平成19年)3月31日限りで全廃となった。なお、同社では、周遊観光バスについては新たに運行ルートの設定を行うほか、観光客の利用が見込める場合は路線バスの運行再開も検討する、としていた[4]。
2022年(令和4年)3月末時点では一般貸切旅客自動車運送事業(貸切バス事業)も行っていたが[3]、2023年(令和5年)3月末時点では一般乗合旅客自動車運送事業(定期観光バス事業)のみとなっている[2]。
事業内容
[編集]定期観光バス[2]
かつての事業
[編集]定期路線バス - いずれも定期船の発着時刻にあわせて運行されていた。島民の利用者がほとんどであった。[要出典]
貸切バス[3]
車両
[編集]2023年(令和5年)3月末時点で3台[2]。路線バスではトヨタ・ハイエースが使用されていた。[要出典]また、貸切バス事業では、2022年(令和4年)3月末時点で、大型車1台、中型車4台、小型車2台の計7台を使用していた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c “会社概要”. 株式会社コハマ交通. 2024年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。
- ^ a b c d e “運輸要覧” (PDF). 沖縄総合事務局運輸部 (2023年12月). 2024年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。
- ^ a b c d “運輸要覧” (PDF). 沖縄総合事務局運輸部 (2022年12月). 2024年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。
- ^ a b c d “「貸切り」と競合、運営困難 小浜の路線バス廃止に”. 八重山毎日新聞. (2007年3月14日)
- ^ 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第三巻 小浜島』2011年12月28日、475頁。
- ^ 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第三巻 小浜島』2011年12月28日、630頁。
- ^ a b 「島へ。」『島へ。』第98号、海風舎、2018年3月15日、29頁。
- ^ “「果報ぬ島」を象徴する5つの顔”. やいまタイム(月刊やいま). (2001年8月). オリジナルの2024年7月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小浜島観光バスマップ”. コハマ交通. 2024年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。
- ^ “小浜島観光バスツアー「のんびり1時間コース」”. コハマ交通. 2024年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。