シャロン・ケリー
プロフィール | |
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別名義 |
コリーン・ブレナン Oiga Vault Colleen Beccaire |
生年月日 | 1949年12月1日 |
現年齢 | 75歳 |
出身地 | アメリカ合衆国・ケンタッキー州 |
毛髪の色 | 赤毛 |
公称サイズ(1973年来日時点) | |
身長 / 体重 | 165 cm / ― kg |
スリーサイズ | 96 - 63 - 91 cm |
備考 | 自然の胸 |
活動 | |
ジャンル | セクスプロイテーション、ソフトコア、ハードコア |
外部リンク | |
データベース | IMDb |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
シャロン・ケリー(Sharon Kelly、本名:シャロン・リン・ネールズ、1949年12月1日 - )は、コリーン・ブレナン(Colleen Brennan)などの別名でも知られるアメリカ合衆国のポルノ女優、XRCO栄誉殿堂入りメンバー。豊満で、そばかすに赤毛が特徴。
来歴
[編集]父親はトラック運転手だった。
女優としてのキャリアは、ハリー・ノヴァクのプロデュースによる何本かのセクスプロイテーション映画により始まった。彼女はまた、ラス・メイヤー監督の『スーパー・ヴィクセン』、女囚映画『イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験』、その続編『イルザ アラブ女収容所 悪魔のハーレム』に出演している。
1975年、彼女は一般映画『ハッスル』と『シャンプー』にカメオ出演した。
1977年に引退し、カリフォルニア州サクラメント市のレンタカー店に勤務。通勤中にレイプされ、口内射精、アナルセックス、縛られてのSM調教プレイ、プッシーと口、プッシーとアナルの二穴同時挿入、プッシー二本同時挿入等を強制された事を発言している。その後1980年代に入りコリーン・ブレナン名義で、ポルノ映画界に復帰。ハードコアポルノ映画での広範囲な活動を開始した。数本の『Taboo』シリーズに出演し、1987年には「トリニティー・ブラウン」にてAVN最優秀主演女優賞、助演女優賞(いずれも映画部門)を獲得した[1]。彼女は結婚を機に1990年に映画界から引退した。2012年Tvドラマ「Killer Teens」に出演して復帰した。
日本での活躍
[編集]1970年代前半に出演作が日本に輸入され、アメリカからやってきた「本番女優」という触れ込みで人気を博し、1974年の東映『色情トルコ日記』に招聘され、梅宮辰夫と絡んだ。梅宮とシャロンが本番行為(実際の性行為)に及んだのかどうかという事は話題となり、宣伝に利用された[2]。実際にはシャロンがハードコアポルノに転身するのは1980年代に入ってからであり、「本番女優」は単なるうたい文句であったと考えられる[2]。
この来日中に、共演相手の梅宮ではない日本人と、横浜でプライベートにセックスした事を告白している。
私生活
[編集]夫はロサンゼルスの歯医者である。
プライベートでは乱交、スワッピング、アナルセックス愛好者である。
受賞歴
[編集]- 1984年 CAFA最優秀助演女優賞 - 『性婦 (Good Girl, Bad Girl) 』[3]
- 1986年 XRCO最優秀主演女優賞 – 『スキンレス・ナイト/けもの妻 (Getting Personal) 』[3]
- 1986年 XRCO最優秀助演女優賞 – 『Star Angel 』[3]
- 1987年 AVN最優秀主演女優賞 (映画) – 『スキンレス・ナイト/けもの妻 (Getting Personal) 』[1]
- 1987 AVN最優秀助演女優賞 (映画) – 『Star Angel 』[1]
- XRCO殿堂[4]
日本でのTV出演
[編集]- WIDE SHOW 11PM+15「世界的ワイセツ大博覧会」(1973年10月1日、日本テレビ)
脚注
[編集]- ^ a b c “Past Winners”. AVN. 2007年9月22日閲覧。
- ^ a b 長澤均「宣伝用語としての「ポルノ」ブーム」『ポルノムービーの映像美学: エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』(初版第一刷)彩流社、2016年6月25日、18頁。ISBN 978-4-7791-2226-2。
- ^ a b c “rame awards list” 2007年12月27日閲覧。
- ^ “XRCO Hall of Fame” 2007年12月27日閲覧。