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コンガリー (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コンガリー
欧字表記 Congaree
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1998年4月20日[1]
死没 2020年11月22日[2]
Arazi
Mari's Sheba
母の父 Mari's Book
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Stonerside Stable[1]
馬主 Stonerside Stable[1]
調教師 Bob Baffertアメリカ[1]
競走成績
生涯成績 25戦12勝[1]
獲得賞金 3,267,490ドル[1]
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コンガリーCongaree1998年4月20日 - 2020年11月22日)はアメリカ合衆国競走馬種牡馬。2002・03年のシガーマイルハンデキャップ(G1)連覇などG1競走5勝を挙げた。

経歴

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  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース。

出生

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ケンタッキー州パリスにある牧場、ストーナーサイドファームで生まれたサラブレッドの牡馬である。出生時には体重152ポンド(約68.9キログラム)と新生児の平均体重を30ポンドほど上回るほど大柄で、その出産は7人がかりで母馬から引き抜く難産であった。このため、出産した直後ながらコンガリーは肋骨に重傷を負い、45日間かけて厩舎で大事に静養された。この期間に甘やかされて育ったコンガリーは、非常に人懐っこい馬に育ったという[3]

また、コンガリーは乳離れの頃に肺炎にかかり、このため翌年は暖かな気候のフロリダ州オカラで過ごしていた。オカラでコンガリーを繋養していたJ・B・マッカーサンは、ストーナーサイドファームの競走・血統マネージャーであったジョン・アドガーに対して直接「あれの母馬は売るなよ」と言及していたという[3]

2歳時(2000年)

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ボブ・バファート調教師に預けられたコンガリーのデビュー戦は、2000年9月10日のデルマー競馬場で行われた未勝利戦(6ハロン)で、単勝オッズ3.1倍と1番人気に推されていたものの、その結果は6着であった[4]。バファートはコンガリーに素質を感じていただけにこの結果を不可解に思っていたが、その後騎手から違和感があるという報告を受けてX線撮影を行ったところ、膝に骨片が生じていることが発覚、5か月半の休養が当てられた[3]

3歳時(2001年)

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コンガリーの復帰戦は2001年の2月28日で、サンタアニタパーク競馬場で行われた8ハロンの未勝利戦において、2着馬を5馬身突き放す競馬で初勝利を手にした[5]。バファートはこの勝利後にコンガリーの才能をポイントギヴン並であると言い放っている[3]

その後同競馬場での一般戦(3月17日・8.5ハロン)において8馬身差の圧勝を見せたのち[6]ケンタッキーダービーの前哨戦のひとつであるウッドメモリアルステークス(G2・アケダクト・9ハロン・4月14日)に登録された。この競走で1番人気に支持されていたのは、フロリダダービー(G1)優勝馬のモナーコスであった。このほかゴーサムステークス(G3)勝ち馬のリッチリーブレンディドなどを含む6頭が出走し、コンガリーは単勝オッズ2.7倍の2番人気に支持されていた[7]。この競走でスタートから飛ばしたのはリッチリーブレンディドで、大外から先頭を奪い取ると、同じく外を回るコンガリーに2馬身差をつけて先を進み、一方でモナーコスは先頭から7馬身離れた後方に待機していた。バックストレッチからコーナーに差し掛かるあたりで、コンガリーの鞍上ヴィクター・エスピノーザはコンガリーを動かし、リッチリーブレンディドのすぐ後ろにつけていった。リッチリーブレンディドは再び距離を空けるもコンガリーに再び詰め寄られ、残り5/16マイルの標識地点でついにコンガリーが先手を奪い取ると、後方のモナーコスにも鞭が入れられた。残り1ハロンの標識地点でモナーコスはコンガリーに3馬身半差まで迫ったが、コンガリーはついに捕らえられないままゴールに到達、モナーコスに2馬身3/4差をつけて重賞初制覇を飾った。勝ちタイムは1分47秒96。モナーコスから7馬身離された3着にはリッチリーブレンディドが入線した[3]

しかし、クラシック本番のケンタッキーダービー(G1・5月5日・チャーチルダウンズ・10ハロン)では一度は先頭に立ったものの、モナーコスの追い上げに屈して4馬身3/4差の3着に敗れている[8]。続くプリークネスステークス(G1・5月19日・ピムリコ・9.5ハロン)でもポイントギヴンの3着に敗れ、三冠最終戦のベルモントステークスには出走しなかった。

コンガリーが再び競馬場に現れたのは7月15日のハリウッドパーク競馬場で行われたスワップスステークス(G1・9ハロン)においてであった。この競走でコンガリーは序盤で先頭を奪うと、そのまま効率の良いコース取りで他馬を寄せ付けないまま、2着に4馬身差をつける逃げ切り勝ちを決め、G1初制覇を成し遂げた[9]。しかし、その翌戦に挑んだジムダンディステークス(G1・8月4日・サラトガ・9ハロン)で3着に敗れ、さらにコンガリーが右前肢の膝に怪我をしていることが発覚、このため年内の休養が決定した[10]

4歳時(2002年)

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この年のコンガリーの始動はやや遅く、5月27日のローンスターパーク競馬場で行われたローンスターパークハンデキャップ(G3・8.5ハロン)が年内初戦となった。この競走でコンガリーはゲートで暴れてうまく発走できなかったものの、すぐさま先頭に立って道中を進め、最後の直線ではプリンスイロコイという穴馬に迫られたが、結局そのまま一度も先頭を譲らずに優勝を手にした[11]。この年はその後スティーブンフォスターハンデキャップ(G1・6月15日・チャーチルダウンズ・9ハロン)で1番人気に支持されながらも6着、デルマー競馬場でのサンディエゴハンデキャップ(G2・8月4日・8.5ハロン)では3着と勝ちに恵まれなかったが、同競馬場9月2日のデルマーブリーダーズカップハンデキャップ(G2・8ハロン)では再び終始ハナを譲らない競馬で勝利を収めている[12][13]。この後、コンガリーの陣営は芝競走のブリーダーズカップ・マイル(芝8ハロン)を目標にし、それに向けて10月5日にはサンタアニタパーク競馬場オークツリーブリーダーズカップマイルステークス(G2・芝8ハロン)でコンガリーを初の芝競走に挑戦させたが、7着と大敗したためブリーダーズカップ参戦は見送られた[14][15]

この年コンガリーが最後に出走したのは、11月30日アケダクト競馬場のシガーマイルハンデキャップ(G1・8ハロン)であった。この競走ではプリークネスステークス優勝馬のレッドバレット英語版ブリーダーズカップ・スプリント3着馬のクラフティシーティーなどが人気を集め、コンガリーは単勝オッズ5.5倍の4番人気であった[15]。レースが始まるとボナヒューという馬が先手を切り、それにクラフティシーティーが続き、その後ろにコンガリーは位置して序盤を進めていった。残り3ハロンの標識地点で前をゆくクラフティシーティーが前を空け、また後ろにいたハーランズホリデーが動き出すのと同じ頃に、コンガリーの鞍上ジェリー・ベイリーは合図を出して前に進めだした。そして6ハロン通過ところでボナヒューから先手を奪い取ると、左ムチを入れられたコンガリーは最後の2ハロンを24秒86のタイムで駆け抜けて、結果勝ちタイム1分33秒11、2着馬アルデバランに5馬身半差をつける圧勝を見せつけた[15][16]

5歳時(2003年)

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この年はコンガリーにとって充実の年となった。年明けまもなくにサンタアニタパーク競馬場から始動し、1月4日のサンパスカルハンデキャップ(G2・8.5ハロン)、2月2日のサンアントニオハンデキャップ(G2・9ハロン)で2連勝を飾るスタートを見せた。春の西海岸の大一番であるサンタアニタハンデキャップ(G1・3月1日・10ハロン)にも出走し、ここではメダグリアドーロとの対決が予期されていたが、メダグリアドーロ側が回避したので対決は実現しなかった[17]。コンガリーは124ポンドのトップハンデを課されながらも単勝1.6倍という断然の1番人気に推されていた[17]。しかしこの競走を制したのは3番人気のミルウォーキーブルー英語版で、最後の直線ではコンガリーが先頭に立っていたものの、それをアタマ差差し切って優勝をさらっていった[17]

続いて4月12日のアケダクト競馬場で出走したカーターハンデキャップ(G1)は7ハロンの短距離戦であったが、トップハンデの122ポンドを背負いながらも、2着馬アルデバランに3馬身半差をつけて優勝、その距離適性の広さを見せた[18]。その後メトロポリタンハンデキャップ(G1・5月26日・ベルモントパーク・8ハロン)では6着と大敗したものの、ハリウッドゴールドカップ(G1・7月13日・ハリウッドパーク・10ハロン)では先行抜け出しの競馬で2着ハーランズホリデーに3馬身差をつけて優勝した[19]

その後ターフウェイパーク競馬場ケンタッキーカップクラシックハンデキャップ(G2・9月13日・9ハロン)2着を挟んで、10月25日のブリーダーズカップ・クラシック(G1・サンタアニタパーク・10ハロン)に挑戦。一時は先頭に立っていたものの、最後の直線でプレザントリーパーフェクトらに交わされて4着に敗れた[20]

この年最後に出走したのは前年と同じくシガーマイルハンデキャップ(G1・11月29日・アケダクト・8ハロン)であった。コンガリーは、先行するマイダスアイズという馬の後ろ2番手につけて道中を進めると、残り2ハロンのところで同馬を捕まえてそのまま差を広げ、最後には2着馬に5馬身1/4差をつけて同競走連覇を飾った[21]

6歳時(2004年)

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年初はサンタアニタパークのサンアントニオハンデキャップ(G2・1月31日・9ハロン)から始動したが、勝ち馬プレザントリーパーフェクトから8馬身離された最下位4着に敗れている[22]。その後疝痛のためしばらく休養[23]、5月1日のチャーチルダウンズハンデキャップ(G2・チャーチルダウンズ・7ハロン)で復帰したものの、ここでも4着に敗れた[24]。コンガリーの陣営は、敗戦から間もない5月6日にその引退を発表[25]、その後種牡馬入りが報じられた[26]

種牡馬入り後

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2005年よりケンタッキー州ミッドウェイのアデナスプリングズに繋養され、初年度の種付け料は15,000ドルに設定されていた[26]。アデナスプリングズは2009年にケンタッキー州パリに移転し、コンガリーもそちらに送られたが、2010年よりニューヨーク州のハイクリフファームに移動、種付け料も7,500ドルに下げられた[27]。2013年にはコンガリーを含むハイクリフファームの全種牡馬が、同州のミルクリークファームに移動している[28]

その後ニューヨーク州のサラトガスタッドに繋養されていたコンガリーは、2015年にレーンズエンドファームに購入されて、そのテキサス分場へと送られた[29]。2017年にレーンズエンドファームのテキサス分場が解散したのちは、テキサス州パイロットポイント近郊のヴェーラーファームに繋養されていたコンガリーであったが[30]、老衰のため2020年11月22日に安楽死の処置がとられた。22歳であった[2]

主な産駒

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  • ジェラニモ Jeranimo - シューメーカーマイルステークスエディーリードハンデキャップ、サンガブリエルハンデキャップ3連覇など。
  • *ドントテルソフィア Don't Tell Sophia - スピンスターステークス、チルッキステークス、バヤコアステークス連覇など。
  • *キラーグレイシス Killer Graces - ハリウッドスターレットステークス、ランダルースステークス、シンデレラステークス。
  • シュリンキングヴァイオレット Shrinking Violet - モンローヴィアステークス、ダイシーカッターハンデキャップ、リコートニングシティステークス。
  • ミシカルパワー Mythical Power - ローンスターダービー、テキサスマイルステークス。
  • マオイニーチ Maoineach - 1000ギニートライアルステークス(アイルランド)、ゴーアンドゴーラウンドタワーステークス。

母父としての産駒

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血統表

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コンガリー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブラッシンググルーム系
[§ 2]

*アラジ
Arazi
アメリカ 栗毛 1989
父の父
Blushing Groom
フランス 栗毛 1974
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
*ダンスールファビュルー
Danseur Fabuleux
アメリカ 鹿毛 1982
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fabuleux Jane Le Fabuleux
Native Partner

Mari's Sheba
アメリカ 鹿毛 1992
Mari's Book
アメリカ 鹿毛 1978
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Mari Her Maribeau
Hem and Haw
母の母
Sheba Little
アメリカ 栗毛 1984
Known Fact In Reality
Tamerett
Come Back *ボールドラッド
Long Look
母系(F-No.) (FN:16-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer 3x3, Nearco 5x5x5, Wild Risk 4x5, Ribot 5x5 [§ 4]
出典
  1. ^ [31], [32]
  2. ^ [32]
  3. ^ [31]
  4. ^ [31], [32]


脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f Horse Profile for Congaree”. equibase.com. 2020年12月10日閲覧。
  2. ^ a b Vicky Van Camp (2020年12月7日). “Multiple Grade 1 Winner and Sire Congaree Dead at 22”. Blood Horse. 2020年12月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e Steve Haskin (2001年4月14日). “Congaree Continues to Fight, From Birth to the Wood”. Blood Horse. 2020年12月10日閲覧。
  4. ^ MAIDEN SPECIAL WEIGHT”. equibase.com (2000年9月10日). 2020年12月10日閲覧。
  5. ^ MAIDEN SPECIAL WEIGHT”. equibase.com (2001年2月28日). 2020年12月10日閲覧。
  6. ^ ALLOWANCE”. equibase.com (2001年3月17日). 2020年12月10日閲覧。
  7. ^ Wood Memorial S.”. equibase.com (2001年4月14日). 2020年12月10日閲覧。
  8. ^ Kentucky Derby”. equibase.com (2001年5月5日). 2020年12月10日閲覧。
  9. ^ Congaree Romps in Paceless Swaps”. Blood Horse (2001年7月15日). 2020年12月10日閲覧。
  10. ^ Ray Paulick (2001年8月5日). “Congaree Out for the Year With Knee Injury”. Blood Horse. 2020年12月10日閲覧。
  11. ^ Gary West (2002年5月27日). “Lone Star Park Race Report: Starlight”. Blood Horse. 2020年12月10日閲覧。
  12. ^ Congaree Wins Del Mar Breeders’ Cup”. AP NEWS (2002年9月3日). 2020年12月10日閲覧。
  13. ^ Del Mar Breeders' Cup H.”. equibase.com (2002年9月2日). 2020年12月10日閲覧。
  14. ^ Oak Tree Breeders' Cup Mile S.”. equibase.com (2002年10月5日). 2020年12月10日閲覧。
  15. ^ a b c Steve Haskin (2002年11月30日). “Aqueduct Race Report: The Conqueror”. Blood Horse. 2020年12月10日閲覧。
  16. ^ Cigar Mile H.”. equibase.com (2002年11月30日). 2020年12月10日閲覧。
  17. ^ a b c Craig Harzmann (2003年3月1日). “Santa Anita Race Report: Double Tough”. Blood Horse. 2020年12月13日閲覧。
  18. ^ Congaree Displays Versatility With Carter Win”. Blood Horse (2003年4月12日). 2020年12月13日閲覧。
  19. ^ Craig Harzmann (2003年7月13日). “Hollywood Park race Report: Ready, Aim, Fire”. Blood Horse. 2020年12月13日閲覧。
  20. ^ Breeders' Cup Classic”. equibase.com (2003年10月25日). 2020年12月13日閲覧。
  21. ^ Congaree, Bailey Light Up Another Cigar”. Blood Horse (2003年11月30日). 2020年12月13日閲覧。
  22. ^ San Antonio H.”. equibase.com (2004年1月31日). 2020年12月13日閲覧。
  23. ^ Ron Mitchell (2004年4月8日). “Congaree Treated for Colic; Won't Go in Commonwealth”. Blood Horse. 2020年12月13日閲覧。
  24. ^ Churchill Downs H.”. equibase.com (2004年5月1日). 2020年12月13日閲覧。
  25. ^ Millionaire Congaree Retired”. Blood Horse (2004年5月6日). 2020年12月13日閲覧。
  26. ^ a b Congaree to Stud at Adena Springs Kentucky”. Blood Horse (2004年7月1日). 2020年12月13日閲覧。
  27. ^ Congaree Relocated to Highcliff in New York”. Blood Horse (2009年10月17日). 2020年12月13日閲覧。
  28. ^ Highcliff Horses Move to Mill Creek Farm”. Blood Horse (2012年7月20日). 2020年12月13日閲覧。
  29. ^ Congaree Moves to Lane's End Texas”. Blood Horse (2015年7月15日). 2020年12月13日閲覧。
  30. ^ Lane's End Texas Closes, Stallions Relocate”. Blood Horse (2016年7月25日). 2020年12月13日閲覧。
  31. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Congaree(USA)”. JBISサーチ. 2020年12月14日閲覧。
  32. ^ a b c Congareeの血統表”. netkeiba.com. 2020年12月14日閲覧。