チャンプルー
チャンプルー | |
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種類 | 沖縄料理 |
発祥地 | 日本 |
地域 | 沖縄県 |
主な材料 | 豆腐、野菜、豚肉 |
概要
[編集]チャンプルーは沖縄を代表する家庭料理の一つ[* 1]。沖縄方言で豆腐を野菜などと油で炒め合わせた料理を意味する[* 2][* 3][* 4]。その種類は豊富で、豆腐や炒め合わせる主な野菜の名前を頭につけて「ゴーヤーチャンプルー」「タマナーチャンプルー」などと呼ばれる[1][2]。テレビやラジオの番組で沖縄の食材とともに調理法を紹介され[3][* 5]、全国的にも家庭料理として広まっている[4][* 6]。
標準語では簡略的に炒め物と表記されることが多く、沖縄県や沖縄栄養士会のホームページなどでも炒め物と紹介されている[5][6]。1996年から2001年の国語教科書[7]に掲載された椎名誠の短編小説「ヤドカリ探検隊」のなかでも「チャンプルーというのは、いためものって意味だ」[8]とある。なお、チャンプルーは「混ぜ合わせる」ことの例えとして広く用いられているが[9]、沖縄方言のチャンプルーは名詞であり[* 7]「混ぜ合わせる」などの意味は本来はない[10][11][* 8]。
定義
[編集]島豆腐を用いた料理であるチャンプルーに豆腐は欠かせない[* 9][* 10]。アカヤチー(赤焼き=焼き色をつける)した豆腐と炒め合わせることが野菜炒めとの大きな違いとなっていて、昭和期の料理本や研究書では豆腐料理に分類されている。
1920年生まれの料理研究家 尚道子はチャンプルーを「豆腐入り炒め物」と訳して料理番組や書籍で全国に紹介し[12][* 5][* 11]、琉球大学 家政学部長であった 翁長君代も「必ず豆腐が入るのがチャンプルーです。時には、豚肉や玉子が加わることはあっても、豆腐ぬきではチャンプルーにはなりません[13]」と定義している。
沖縄出身の詩人である山之口貘は「どのチャンプルーの場合にも豆腐も一緒にするのが普通である[14]」と記し、沖縄出身のエッセイストである古波蔵保好[* 12]も「強い火で鍋のあぶらを焼き、手早く豆腐などを炒めた料理[15]」と豆腐を用いた料理と紹介している。
沖縄県と沖縄県栄養士会が公開しているすべてのチャンプルーのレシピで豆腐が食材として用いられ[5][6]、NHKの料理番組きょうの料理でも豆腐を中心にした油炒めと紹介されている[* 13]。
沖縄の食文化を次世代へ継承することを目的とした県の認証事業である「琉球料理伝承人[16]」資格の取得条件となっている「担い手育成講座」の中でも「チャンプルーは豆腐の入った炒め物」と教えられる[17]。
沖縄民謡の御馳走数え歌[18]で「豆腐やかかすな チャンプルー」と歌われているほか、沖縄県のしまくとぅばハンドブックでも「ちゃんぷるーんり いーしぇー とーふぬ いっちょー しんかいる いーんどー(チャンプルーは、豆腐の入っているものの事を言うんだよ)[19]」という例文が入っているなど、さまざまな形でその定義を後世に伝えていこうとしている。
一方、沖縄料理の炒め物全般を包括的にチャンプルーとする事例も増えてきている[* 14]。例えば、ソーミンチャンプルーやフーチャンプルーは豆腐が入っていなくてもチャンプルーと呼ばれることも多い[* 15][* 16]。
素材・調理法
[編集]まず、素材として用いたいのは島豆腐である。島豆腐は、民俗学者の柳田国男が「野武士の如き剛健なる豆腐[20]」と評し、小説家の火野葦平が「琉球豆腐は釘がうてるほどかたい[21]」と作中で形容するほど硬く[* 17][* 18]、季節の野菜と炒め合わせても崩れない。島豆腐の入手が難しい沖縄県外では水切りをした木綿豆腐や厚揚げなどで代用されている。
庶民料理としてのチャンプルーは島豆腐と名前を冠する1種類の野菜を豚脂で手早く強火で炒め合わせて、豆腐と季節の野菜を味わう簡素な炒め物[22]だった。しだいに鰹節や豚肉、卵が入り、野菜も数種類が素材に用いられるようになり[23]、アメリカ施政権下を経てポーク・コンビーフハッシュ・トゥーナなどの缶詰類[* 19]が入るようになった[24]。
これらの素材を豚脂で炒めるのが本来の調理法だが、現在ではサラダ油など植物油を引いて炒め合わせる場合が多い。はじめに、手で千切った豆腐[* 20]を焼き目がつくまで[* 21]炒めて いったん皿に取り出したあと、野菜や豚肉などを順番に炒めて、焼き色のついた豆腐を戻して炒め合わせて塩や醤油などで味を調えて仕上げる[25][* 22]。職員食堂など大量のチャンプルーを一斉に作る際は、オーブンに大量の豆腐を並べて表面を焼いてから野菜と炒め合わせる調理法をとることもある[26]。
歴史・食文化
[編集]家庭料理のため発祥はわかっていないが、料理研究家の新島正子は「婦人たちの知恵が、しらずしらずのうちに生み出した料理」として短時間で出来上がる沖縄の誇るべき庶民料理と評している[27]。チャンプルーは琉球王国時代から食べられていて[9]、大正時代まではタマナーチャンプルーなどが家庭で出るのは上出来の部類であったとされている[28]。沖縄県師範学校の食堂でもチャンプルーは提供され、1916年には大味久五郎沖縄県知事が行った視察でマーミナーチャンプルーが食されている[29]。
最後の琉球国王 尚泰王の第四王子である尚順は「昔は王子でも豆腐やマーミナ、そのほかの野菜のチャンプルーを食べることはよくあった」と1919年に証言している[30]。なお、尚順は自らの随筆「豆腐の礼賛」でチャンプルーに触れていたり、娘の知名茂子が「父は日常、質素なチャンプルーなどを食べていた」と証言していたりと[31]、チャンプルーを好物にあげていて庶民料理を下に見ているわけでない。
太平洋戦争以前は豆腐と野菜のみを使って作られていて[32]、沖縄での主食が甘藷(さつまいも)から米に変わった1955年(昭和30年)頃から日常食となり[33][* 23]、沖縄では作らない家はないと評される[34]ほどの家庭料理の代表格となった。各家庭にあった油壺(アンダーガーミ)の豚脂を使い、鉄製の油鍋(アンダーナービ)[* 24]で食材を炒め合わせて作られ、来客時のおもてなしにもチャンプルーが出されることが多かった[35][* 25]。沖縄学の父とされる伊波普猷も来客があるとゴーヤーチャンプルーを御馳走したとの逸話が残っている[36]。
民俗学者の石毛直道や医学者の黒田嘉一郎が指摘したように「豚脂で豆腐と野菜を炒める」のがチャンプルーの本来の特徴で本土では見られない食文化だった。琉球大学の宮城栄昌 教授は「食生活が変わっても豚脂との縁はなかなか切れそうもない[37]」としていたが、現代のチャンプルーは植物油で炒め合わせることが多く、その縁は切れかかっている。
油鍋を使って強火で食材を炒めると「チャーラチャーラ」と音がよく周辺に響いたと伝わっていて[* 26]、沖縄出身の詩人である山之口貘が「豆腐の料理といえば、沖縄出身のものなら誰もがチャンプルーを思い出さずにはいられないはずである[38]」と残すほどに家庭料理として定着した。本土復帰前に島豆腐の物価が値上がりした時には、沖縄県婦人労働組合協議会婦人部などの婦人団体が豆腐の不買運動を展開したが、その様子は「沖縄のおかずの王様ちゃんぷるーを食べない覚悟で不買運動を起こした[39]」と表現された。
沖縄初のプロ野球選手である安仁屋宗八はチャンプルーを食べているからか本土の生野菜を食べる習慣は受け付けなかったと話し[40]、沖縄初の力士である琉王優貴も「トーフと野菜をラードで炒めたチャンプルー」を好物にあげたほか[41]、ボクジング世界王座防衛の国内記録保持者である具志堅用高も「チャンプルは炒めるの意味」と解説を交えながら「食べると力が返ってくる気がする[42]」と話すなどチャンプルーは県外に進出した県民の糧ともなってきた。
チャンプルーは、手早く簡単に調理できるだけではなく、島豆腐の植物性タンパク質と野菜の食物繊維を合わせ、豚脂など油で炒めることで脂溶性ビタミンがとれるので栄養的にも理にかなっていることが沖縄県外からも評価されてきた[43]。学者だけに留まらず日清食品の創業者である安藤百福もチャンプルーを「豆腐と野菜を一緒に炒めた」健康食として注目していた[44]。沖縄県内では古くから着目されていて、1917年(大正6年)に沖縄県結核予防会(現:沖縄県健康づくり財団)を創設した医師の金城清松は豆腐チャンプルーの栄養価について奈良原繁沖縄県知事らに講演している[45]。
チャンプルーはアメリカ施政権下を経てポークなど輸入加工肉を新しい食材として取り入れてきたが、これは伝統行事[* 27]で使われるクーブイリチーや中身汁といった行事食ではないために新たな食材を追加しやすかったことが指摘されている[46][* 28]。このポークなど加工肉が入った新しいチャンプルーについて、琉球大学の名誉教授や沖縄県副知事などを務めた尚弘子は「戦後版チャンプルー」と呼んでいる[47]
家庭料理のチャンプルーは、飲食店などで食べる料理ではないという印象が強い時代もあったが、今では沖縄料理店・食堂でも人気メニューのひとつとなっている[* 29]。また、沖縄県外でも家庭料理としても定着し、チャンプルーを作る際に味付け調味料を使って味を調えることが多い県外に向けた関連商品が多く販売されている[48]。
1983年に全国学校栄養士協議会が実施した学校給食で郷土料理が提供されるイベントでも沖縄県からは「チャンプルー」が選ばれるなど県外からも沖縄を代表する料理と認知されてきた[49]。また、1996年から2001年の国語教科書[7]に掲載された椎名誠の「ヤドカリ探検隊」のなかで「チャンプルーというのは、いためものって意味だ」[8]と記述されるなど全国の国語教育の場にも登場している。
表記
[編集]沖縄語での表記は、全国的に浸透した「チャンプルー」「ちゃんぷるー」のほかに、書き言葉[* 30]を重視して長音を使わない「ちゃんぷるう」「ちゃんぷるぅ」も飲食店名などで使用されている[50]。また、八重山地方では商品名や店名などで「チャンプル」「ちゃんぷる」の表記も多く見受けられ[51][52][53]、同じく語尾を伸ばさない「ゴーヤ」のチャンプルーを八重山地方で表記した場合には「ゴーヤチャンプル」となるケースもある[54]。
標準語での表記は、島豆腐と炒め合わせる料理法を表現するため「豆腐入り炒め物」「豆腐入り野菜炒め」とされることも昭和期には専門家を中心に見受けられたが、現代では簡略的に「炒め物」と表記されることが多い。食文化やレシピを掲載している沖縄県や沖縄栄養士会のホームページなどでも標準語では炒め物とだけ表記されている[5][6]。
外国語での表記は、沖縄県は固有名詞では沖縄特有の読み方を重視する方針をとっており、ローマ字で「Chanpuru」と表記するとしている[55]。県公式パンフレットでは、観光客の多い中国と台湾、それに韓国向けにはローマ字表記以外を採用していて、中国語は豆腐の炒め物を示す「炒豆腐」、韓国語では表音で「찬푸루」と表記している[56]。なお、中国で浸透している簡体字の「什锦炒菜」、繁体字の「什錦炒菜」の使用は例外として認めると定められている[57]。
語源
[編集]その語源については、さまざまな説がある。いずれの説も、チャンプルーという料理の成立過程が判明していないため証拠の提示には至っていない[* 31]。
たとえば、歴史学者の東恩納寛惇は、中国語の「炒腐児」に由来するとしている[58]。これは「腐」が豆腐を意味し、豆腐を炒める料理を指すと解釈されている[59]。さらに、簡単な料理の意味である「喰飯」、肉や野菜などを即席で炒める「雑炊」を由来とする説[60]や、「攙烹児」「攅烹児」に由来するとして、それぞれ「攙」は混ぜる、「攅」は集める、「烹」は煮る・炒めるの調理法を意味とする説がある[61][* 32]。
このほか、強火で手早く炒める際の沖縄方言の擬声語である「チャラミカスン[* 33]」を由来とする説[62]や長崎の郷土料理「ちゃんぽん」を沖縄方言読みしたものであるとする説[61]、インドネシア語・マレー語で「混合・混ぜる」という意味を持つ「campur」(チャンプル)を由来とする説などがある[63][* 34][* 35]。
種類
[編集]現在、家庭料理としては廃れてしまっているチャンプルーも多い[64]が、以下には料理番組や料理雑誌で紹介されることの多いチャンプルーを紹介する。
ゴーヤーチャンプルー[65]
タマナーチャンプルー[67]
マーミナーチャンプルー[69]
チキナーチャンプルー[73]
- チキナー(漬菜)とは塩漬けにしたシマナー(島菜=カラシナ)のことで、これを中心に用いたチャンプルーを指す。チキナーは水に漬けて塩を抜いてから炒め合わせる。
ラッチョウチャンプルー[74]
チリビラーチャンプルー[76]
ナーベーラーチャンプルー[79]
- ナーベーラーとはヘチマのことで、ヘチマ中心のチャンプルーのことを指す。
- 豆腐をいれずに油で炒めていくナーベーラータシヤー[80][81]もあるが、沖縄での定番は炒め料理ではなく、素材に含まれる水分を生かして味噌煮にする[82]ナーベーラーンブシー[83][84]である。このナーベーラーンブシーもチャンプルーと呼ばれたりすることもある。
- パパヤーとはパパイヤのことで、パパイヤ中心のチャンプルーのことを指す。完熟して甘みの出る前の青いパパイヤを千切りにして豆腐と炒める[* 38]。豆腐は入れずにイリチーにすることが多いが、パパイヤイリチーのこともチャンプルーと呼ばれることがある。
豆腐チャンプルー:トーフチャンプルー[* 39]
- 島豆腐を中心に野菜と油で炒めた料理[87][88]。国立国語研究所の沖縄語辞典にも取り上げられる[* 40]など沖縄では定番チャンプルーの一つ。詩人の山之口貘も「豆腐が主であれば、豆腐チャンプルーなのである」と記していて[* 41]、 食堂などでも豆腐の量が多いものを豆腐チャンプルーと呼んでいる[89][90]。
野菜チャンプルー[91]
- 名前を冠することのある野菜が一緒に炒め合わされ、豆腐よりも野菜の量が多いものを野菜チャンプルーと呼ぶ[89][* 42]。料理本や食堂によって用いられる食材が異なり自由度の高いチャンプルーとなっている。沖縄方言ではヤシェーチャンプルーやヤッセーチャンプルーなどと読む[92]。
このほかに、ウンチェーやチンクヮー、ビラガーやトーマーミーヌファー、それにデークニなどを主な季節の野菜としたチャンプルーが知られている[93][* 43]。また、調理法に関わらず、チャンプルーと呼ばれることが特に多くなっている炒め物としては主に次の2つがあげられる。
フーチャンプルー[94]
- フーとは麩のことで、車麩を水で戻したあと水気を切って卵液に浸したものを野菜などと炒める。豆腐と炒め合わせないことが多く、その場合は調理法によってフーイリチー・フータシヤー[95][96]と呼ばれてきたが、チャンプルーと呼ばれることも多い。
ソーミンチャンプルー[* 44]
- ソーミンとは素麺のことで、固めに茹でた素麺をニラやネギなどの香味野菜、ポークやベーコン、トゥーナなどと一緒に油で炒めたものを言う。本来の名称はソーミンタシヤー[* 45]、仕上げで出汁を加えた場合は[97]、デンプンが溶けてふっくらと固まった料理を意味するソーミンプットゥルー[98][99]と呼ばれる。
参考文献
[編集]- 宮良当壮『八重山語彙』東洋文庫、1930年
- 柳田国男『海南小記』創元社、1940年
- 主婦の友社『冬の家庭料理(料理文庫)』主婦の友社、1955年
- 火野葦平『赤道祭(角川文庫)』角川書店、1957年
- 宮城栄昌『移りゆく沖縄のすがた』文民書房、1960年
- 石野瑛『琉球大観』武相学園、1960年
- 平凡社編『国民百科事典 第7』平凡社、1962年
- 黒田嘉一郎『沖縄紀行』真珠書院、1964年
- 新島正子「郷土の味(25)沖縄の豆腐とチャンプルー」『沖縄タイムス』1965年7月12日、夕刊
- 翁長君代『琉球料理と沖縄の食生活』績文堂、1969年
- 朝日新聞社編『沖縄報告』、朝日新聞社、1969年
- 新島正子『琉球料理』新島料理学院、1971年
- 源武雄『琉球歴史夜話:琉球歴史の裏面を解明する』沖縄文教出版、1971年
- 主婦と生活社編『主婦と生活26(10)』主婦と生活社、1971年08月
- 翁長君代「琉球料理(沖縄の味)」『調理科学』5巻3号、調理科学研究会、1972年、158-162頁
- 琉王優貴「私を育てた沖縄ソバ」『旅』46巻5号、新潮社、1972年
- 読売新聞社編『日本の味 九州・沖縄編』読売新聞社、1973年
- 西銘康展編『沖縄資料集成』green-life、1975年
- 尚道子『やりくり家庭料理(NHKきょうの料理)』日本放送出版協会、1976年
- 外間守善編『伊波普猷人と思想』平凡社、1976年
- 遠藤元男・児玉幸多・宮本常一編『日本の名産事典』東洋経済新報社、1977年
- 浦崎康華『逆流の中で : 近代沖縄社会運動史』沖縄タイムス社、1977年
- 渡口初美『沖縄の食養生料理』国際料理学院、1979年
- 外間ゆき・新垣博子、尚弘子・宮城節子・桂正子・金城須美子・東盛キヨ子「明治後期から大正初期にかけての沖縄における日常食の食品使用上の諸特徴」『家政学雑誌』第31巻第3号、1980年
- 琉球新報社編『東恩納寛惇全集8』第一書房、1980年
- 沖縄師範龍潭同窓会『龍潭百年 : 沖縄師範学校百年記念誌』、沖縄師範龍潭同窓会、1980年
- 中本正智『図説琉球語辞典』金鶏社、1981年
- 宮城文『八重山生活誌』沖縄タイムス社、1982年
- 大城精徳・高良倉吉・比嘉政夫・又吉清吉・宮城篤正「座談会 食文化の交流」『新沖縄文学』54号、沖縄タイムス、1982年、14-27頁
- 沖縄大百科事典刊行事務局『沖縄大百科事典 中巻』沖縄タイムス社、1983年
- 沖縄県社会福祉協議会編『長寿県おきなわ』沖縄県社会福祉協議会、1983年
- 古波蔵保好『料理沖縄物語』作品社、1983年
- 渡口初美『実用琉球料理第9版』月刊沖縄社、1983年
- 朝日新聞編『郷土料理とおいしい旅20 (沖縄)』朝日新聞社、1984年
- 石毛直道・奥村彪生・神崎宣武・山下論一『日本の郷土料理12 九州Ⅱ・沖縄』ぎょうせい、1987年
- 河野友美『食べものの道』三嶺書房、1987年
- 日本の食生活全集沖縄編集委員会編『日本の食生活全集47 聞き書沖縄の食事』農山漁村文化協会、1988年4月
- 喜屋武マサ『沖縄豆腐料理80選』那覇出版社、1992年
- 金城須美子「沖縄の食と特色と背景」『食べもの文化』187号,1993年、p39-43
- 沖縄県観光文化局文化振興課編『琉球料理』沖縄県、1995年11月
- 森田満夫「沖縄在一年」『月刊部落問題(233)』兵庫人権問題研究所、1996年、p2-3
- 安田ゆう子『沖縄 琉球料理』那覇出版社、1999年
- 半田一郎編著『琉球語辞典』大学書林、1999年11月
- 渡慶次富子・吉本ナナ子『沖縄家庭料理入門 おいしさの秘密はティーアンラ』農山漁村文化協会、2000年
- 沖縄の食を考える会『長寿県 沖縄の家庭料理』那覇出版社、2001年
- 国立国語研究所編『沖縄語辞典 (国立国語研究所資料集;5)』財務省印刷局、2001年
- 仲村清司・腹ぺこチャンプラーズ『沖縄大衆食堂』双葉社、2001年
- 宮里千里「私的ウチナーグチ辞典」下川裕・篠原章編著『沖縄ナンクル読本』講談社、2002年、p405-437
- 尚弘子監修『沖縄ぬちぐすい事典』プロジェクトシュリ、2002年
- 琉球新報社編『【最新版】沖縄コンパクト辞典』琉球新報社、2003年3月
- 内間直仁・野原三義編著『沖縄語辞典』研究社、2006年
- 農文協編『伝承写真館 日本の食文化12 九州2・沖縄』農村漁村文化協会、2006年
- 友利友子・沖縄の食を考える会『チャンプル-とウチナーごはん』沖縄タイムス社、2007年
- 尚弘子『暮らしの中の栄養学 : 沖縄型食生活と長寿』ボーダーインク、2008年
- 渡邊欣雄・岡野宣勝・佐藤壮広・塩月亮子・宮下克也『沖縄民俗辞典』吉川弘文館、2008年7月
- 緒方修『燦々オキナワ』現代書館、2008年
- 与那原恵『わたぶんぶん わたしの「沖縄料理」』西田書店、2010年
- 外間守善『沖縄の食文化』新星出版、2010年
- 沖縄友の会・琉球料理グループ『私たちが伝えたい 琉球料理―おいしく作ってわが家の食卓にー』沖縄友の会・琉球料理グループ、2011年
- 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課「しまくとぅばハンドブック」沖縄県、2014年
- 沖縄県次世代の健康教育検討委員会編「次世代の健康づくり副読本 教員用テキスト くわっち~さびら」沖縄県・沖縄県医師会、2015年
- 稲福みき子「ゴーヤチャンプルーは沖縄料理か?」福田アジオ監修『知って役立つ民俗学 現代社会への40の扉』ミネルヴァ書房、2015年
- 嘉数 啓「島嶼学ことはじめ(六)―島嶼における文化と観光,バリ島と竹富島のケースを中心に―」『島嶼研究』第18巻第2号、日本島嶼学会、2017年、155-183頁、doi:10.5995/jis.18.2.155。
- 松本嘉代子『松本嘉代子のイチから琉球料理』タイムス住宅新聞社、2018年
- 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課「平成29年度 沖縄食文化実態調査 」沖縄県、2018年
- 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課「琉球料理 受け継がれる伝統料理を味わう」沖縄県、2019年
- 宮良信詳『うちなーぐち活用辞典』国立国語研究所、2021年
- 椎名誠『そらと うみと ぐうちゃんと』光村図書出版、2021年
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 沖縄県(2018),p36、"1位沖縄そば301、2位ゴーヤーチャンプルー260 、3位チャンプルー154、4位そうめんチャンプルー72、5位豆腐チャンプルー60" 沖縄県民を対象に知っている沖縄料理を自由記述式で調査した結果、2位から5位までがチャンプルーとなっている。
- ^ “沖縄語辞典データ集”. 国立国語研究所. 2023年10月17日閲覧。 “caNpuruu[名]料理名。豆腐・野菜などの油いため。”
- ^ 内間・野原(2006),p169 "t∫ampu:「ry:「名詞」料理名。豆腐、野菜などを中心に油で炒めたもの"
- ^ “うちなーぐち辞典”. 沖縄市. 2023年10月18日閲覧。 “基本は豆腐入り野菜炒め”
- ^ a b 沖縄料理を内地に広く伝えた尚道子はNHKの料理番組「きょうの料理」のなかで沖縄料理を紹介していた。その初回は1962年(昭和37年)01月16日放送の「豆腐入りもやし炒め(マーミナーチャンプルー)」となっている。
- ^ 1955年(昭和30年)には家庭料理として本土の雑誌で紹介され、1971年(昭和46年)には、漫画家の佃公彦がチャンプルーを家族にふるまっているようすが本土の雑誌に掲載されている。
- ^ 宮良(1930),p141”ts'ampuru[名]あぶらいため(油煠)"
- ^ 国立国語研究所の『沖縄語辞典』は、柳田国男や伊波普猷の呼びかけに応じた島袋盛敏や比嘉春潮らが編纂し、後進の研究者たちが改訂した信頼のおける辞典である。そのほかの沖縄語辞典でも名詞として扱われ「混ぜ合わせる」の解説はない。また、「混ぜ合わせる」の意味を解説した半田(1999)『琉球語辞典』でも「転義」と解説していて本来の沖縄方言の意味ではないことをきちんと記している。
- ^ 沖縄県観光文化局文化振興課編(1995),p88 チャンプルーは豆腐を用いた沖縄の家庭料理のなかで代表的なものである
- ^ 沖縄県次世代の健康教育検討委員会編(2015)、p19 "豆腐と季節の野菜が使われていなければチャンプルーとは言いません”
- ^ 尚(1964),P20-21
- ^ 古波蔵(1983),p212"郷里のそばについて書く前、念のために国立国語研究所によって編集された「沖縄語辞典」の「Suba」の項をみた” エッセイストの古波蔵は沖縄出身であるが、いったん沖縄方言の辞典を調べた上で筆をとっていた。皆がこのような姿勢であるならば誤った定義や意味が広がることもなかっただろう。
- ^ 1985年9月20日放送の「きょうの料理 味の旅~沖縄~ イリチー・チャンプルー」のなかで沖縄県調理師連合会(現調理師会)の玉寄博昭氏が出演し、解説している。
- ^ 緒方(2008),p205で”チャンプルー(ミックスしたものをすべて指す)”とされるなど炒め物の枠に留まらない定義の拡大もみられる。緒方は熊本県出身のジャーナリスト。
- ^ この現象に答えを出すことは難しいが、「チャンプルー文化」という言葉が使われ始めたことで料理以外の混ぜ合わせたものの例えにチャンプルーが広く使われるようになり、その影響で豆腐を使わない炒め物についてもチャンプルーと呼ぶ傾向が生まれたとする推測もある。 安次富順子,琉球料理は沖縄の宝4,琉球新報,2021-6-17,朝刊,p16
- ^ 沖縄県の資料によると、沖縄料理の調理法における炒め物は「イリチー」や「プットゥルー」や「タシヤー」、そして「チャンプルー」と区別されている。昆布や中身(豚の臓物)、根菜類のように比較的時間をかけて炒め煮にされる料理の「イリチー」(炒り付け)、豆腐を入れない炒め物である「タシヤー」とは区別される。
- ^ 新島(1965)”本土から来た人が板の上にのせて売っている沖縄の豆腐をみて陸に上がった豆腐といったが、なるほどそうだと思った。本土では豆腐がやわらかいため水に浮かせて売っています。沖縄の豆腐は板にのせられるほどがっちりとし、堂々としているのである。"
- ^ 黒田(1964)”豆腐は非常に固く、板の上に並べて売っており、買った人は縄でしばって持って帰っているほどである。"
- ^ 沖縄では流通経路の違いから本土に比べ安価に流通しているポーク缶などが広く素材として普及した
- ^ 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課(2019)によると、手で千切る理由は、味がよく染みからとされているが、新島(1971)は、おおらかで沖縄らしいと評している。
- ^ 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課(2019)では、焼き目をつける理由を水分が逃げるのを防ぐためとしている。
- ^ 砂糖を入れて少し甘くしたり、ピーナッツバターなどを用いることもある。
- ^ 芋と合う汁気の多いンブシーが好まれたという話であって、尚泰王の子・尚順らが残しているように昭和30年代以前からチャンプルーも広く食べられていた。
- ^ 油鍋がない家庭が多い時代には、来客時には油鍋を借りてきていた。
- ^ 医学者の黒田嘉一郎が『沖縄紀行』に書いてあるように、豚脂で豆腐と野菜を炒めるのがチャンプルーの一つの特徴で本土では見られない食文化だった。琉球大学教授の宮城栄昌は“食生活が変わっても豚脂との縁はなかなか切れそうもない”と記していたが現代のチャンプルーに関してはその縁が切れてしまっている。
- ^ 語源のひとつとしてあげられている擬声語の「チャラミカスン」と同く炒める際の音の表現のひとつ。エッセストの古波蔵保好が「強く焼いたあぶらに豆腐をほうりこんだ時の音はホントにさわがしい。その音を聞いて、遠くから、あの家のオカズは『ちゃんぷる』だなと、わかるほどひびき渡っていた:古波蔵(1983)p234」と記すように沖縄の音のひとつだった。
- ^ 行事食については、沖縄県教育庁文化財課(2020)の調査報告にまとめられている。
- ^ 伝統行事で使われるほかクーブイリチーなどほかの身近な料理が変化しないなか、新しい食材を取り入れていったチャンプルーを戦後沖縄の象徴として捉えた「チャンプルー文化」が1970年代に使われるようになった。その後、本土出身者を中心に「チャンプルー」という方言自体に「混ぜる」「混ぜ合わせる」「混ぜこぜ」「ごちゃ混ぜ」「ない交ぜ」「かき混ぜる」「取り入れる」「交流する」などの意味があるとする多様な発信が生じた。なかには、大学教授の森田満夫の「いろんな外から入ってくるものを混ぜ、新しいものを生むを意味の方言チャンプル-」(森田1996)などと諺のように捉えている例もある。さらに近年の本土では、本来の意味の炒め物は誤りだと主張する例も少なくない。“クイズで味わう沖縄料理”. 2024年2月1日閲覧。
- ^ 1970年代に沖縄料理店を出した辻野愛子は“お母さんの味が一番”という時代で、「誰がチャンプルーにお金を出すか」とバカにされたと振り返っている“郷土料理ゆうなんぎい”. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 言葉の元の意味を大切にする沖縄方言の書き言葉表現については、以下のサイトの表記方針に詳しく解説されている。“うちなあぐち南謡出版”. 南謡出版. 2024年2月10日閲覧。
- ^ 成立過程の曖昧なチャンプルーの語源を特定しようとするのはそもそもナンセンスではある。歴史学者や文学者、地元紙の琉球新報などはチャンプルーの語源について、中国由来や沖縄方言由来と言及するも「らしい」「される」と表現し、あくまで「そういう話もある」という意味を足し、定説とせずに真摯でいた。一方、2000年代に広まったインドネシア語由来の説は定説かのような表現が多い。例)日清オイリオ(2010) "「チャンプルー」という言葉も、語源は、インドネシア語の「混ぜ合わせる」という意味の「チャンポラ」からです” https://www.nisshin-oillio.com/report/kikou/vol12.html
- ^ 国立国語研究所は『沖縄語辞典』で、地元紙の琉球新報社は『沖縄コンパクト辞典』で中国から伝わったものとされるとしている。
- ^ “沖縄語辞典データ集”. 国立国語研究所. 2023年10月21日閲覧。 “チャーラ caaraa[名]油いため。油でいためたもの。+ -mika=sjuN 接尾=saN,=ci 擬声語・擬態語につき,…という,…という音を立てるの意を表わす”
- ^ 沖縄出身タレントの藤木勇人はNHK連続テレビ小説の「ちゅらさん」に出演して以来、チャンプルーには「混ぜる・ごちゃ混ぜ」の意味があり、インドネシア語由来であるとテレビや書籍などで広く発信してきた。さらに、自著の『藤木勇人の沖縄妄想食堂』p28で「チャンプルーは琉球言葉ではなく、インドネシア語のチャンプルーがオリジナルで『混ぜる』という意味」と新たな説を記しているが出典はいっさい示されていない。
- ^ かつてインドネシアはオランダの植民地であり、長崎・出島に出入りしていたオランダからもたらされた「campur」が変化した「ちゃんぽん」由来であるとの説があるが、この長崎のちゃんぽんは中国料理の「湯肉絲麺」が元であるとの説もある
- ^ 渡口(1975)、p34 沖縄では、らっきょうはチャンプルーを好む
- ^ 首里を中心にマンジューイ(万寿瓜)チャンプルーとも呼ばれていた。
- ^ 沖縄大百科事典刊行事務局(1983),p775 まだ熟していない新鮮な味覚が楽しめるパパイヤチャンプルー
- ^ 日本の食生活全集沖縄編集委員会編(1988)では、代表的なチャンプルーに豆腐チャンプルーをあげている。
- ^ “沖縄語辞典データ集”. 国立国語研究所. 2023年10月20日閲覧。 “”toohucaNpuruu[名]料理名。豆腐の油いため””
- ^ 山之口貘(2004)、P270-272 もっとも簡潔なのは豆腐チャンプルーである。これに使う油は豚の油なら申し分のないことで、まずは油を豆腐の量に応じて適当に鍋に入れる。鉄鍋がよい。油が焼けた頃、片手に持った豆腐を片方の手で適当に千切っていため、塩味をつけて、おろしたのが豆腐チャンプルーである。余りに素朴なので読者の口にあるかどうか、物足りなければ、ネギをきざんでいれてもよいし、にらをいれてもいい、いずれにしても、豆腐が主であれば、豆腐チャンプルーなのである”初出1960年10月
- ^ 野菜チャンプルーの食材について、友利友子・沖縄の食を考える会(2007)では「キャベツ、にんじん、タマネギ、もやし、ピーマンなど」としていて豆腐チャンプルーも同様としている。このレシピでは、タマナーとマーミナの2種類が使われている。 沖縄友の会・琉球料理グループ(2011)では「キャベツ、にんじん、にら、豚肉、島豆腐、旬の野菜」とされている。少なくともタマナーとチリビラーの2種類が使われている。 沖縄栄養士会では食材を「豆腐、キャベツ、にんじん、もやし、ニラ」などとしていて、タマナーとマーミナ、チリビラーの3種類が使われている。
- ^ 安価で保存性の高い乾麺類は前述の麩と同様に冷蔵庫のない時代の沖縄では大変重宝され、乾燥中華麺を用いた支那そばチャンプルーといったバリエーションもみられる。他地域における類似料理として、鹿児島県奄美群島の油そうめんがある。また、日本本土においても江戸時代の料理書『豆腐百珍』に「豆腐麺」という名前で豆腐と小松菜を具にしたものが紹介されている。
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- ^ “うちの郷土料理 ソーミンタシヤー”. 農林水産省. 2023年10月20日閲覧。 “沖縄の調理法の炒め物に「タシヤー」と「チャンプルー」があるが、「チャンプルー」には炒めた豆腐が入るものを指すため、“そうめんの炒め物”として使われている「そうめんチャンプルー」は、間違った表現ということになる。”
出典
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