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サイダ (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サイダ (SMS Saida) はオーストリア=ハンガリー帝国海軍偵察巡洋艦ないし軽巡洋艦同型3隻のうちの一隻。

艦名は、オーストリアを含む海軍部隊が1840年に攻撃を行ったレバノンのサイダにちなむ[1]

「サイダ」のタービンには他2艦と異なり、プラハのMaschinenbau AktienGesellschaftでライセンス生産されたドイツのMelms & Pfenningerのものが採用されたが、品質が悪くボイラーとタービンの間で蒸気のロスが生じ速力低下を招くこととなった[2]

艦歴

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モンファルコーネCantiere Navale Triestinoに発注され、1911年9月9日起工[3]。1912年10月26日進水[4]。1914年8月1日就役[4]

第一次世界大戦

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1915年5月23日、イタリアはオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。翌日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍はアンコーナなどを攻撃した。この時、「サイダ」は巡洋艦「Szigetvár」、駆逐艦「バラトン」、「トリグラフ」とともにFグループを構成し、主力部隊の南方の哨戒を行った[5]

6月17から18日夜、装甲巡洋艦「ザンクト・ゲオルク」などがリミニペーザロを攻撃[6]。「サイダ」と巡洋艦「ヘルゴラント」、駆逐艦「ヴェレビト」、「ディナラ」、「レカ」水雷艇5隻はそれを掩護し、またイタリア汽船「Grazia」を沈めた[6]

7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は巡洋艦「サイダ」、タトラ級駆逐艦6隻などでイタリアが7月11日に占領したペラゴーザ島に対する攻撃を実施[7]。砲撃後に108名を上陸させたが、オーストリア=ハンガリー帝国側は敵兵力を過小評価しており、撃退された[8]

8月17日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は「サイダ」と巡洋艦「ヘルゴラント」や駆逐艦5隻などで再びペラゴーザ島を攻撃[9]。真水のタンクないし貯水池[10]などを破壊し、この攻撃後イタリア軍は島から撤退した[11]。9月9日、再び島へ向かった「サイダ」と「ヘルゴラント」などは島が無人となっていることを発見した[12]

11月22日、「サイダ」、「ヘルゴラント」とタトラ級駆逐艦などは出撃してオトラント海峡へ向かい、2隻の船(「Palatino」、「Gallinara」)を沈めた[13]

12月6日、「サイダ」、「ヘルゴラント」とタトラ級駆逐艦はドゥラッツォ港を攻撃した[14]。なお、この時の参加巡洋艦は「ヘルゴラント」のみとなっている文献[15]もある。

1916年3月、「ヘルゴラント」などとともにドイツ潜水艦「UC12」[16]捜索に従事[12]

1917年5月15日、「サイダ」と「ヘルゴラント」、「ノファラ」によるオトラント堰襲撃が行われ、オトラント海峡海戦が生起した。この海戦で「サイダ」は3発被弾し負傷者3名を出した[12]

終戦とその後

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1918年10月、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し始め、30日に皇帝カール1世は艦隊のザグレブの国民評議会への引き渡しを決めた[17]。しかし、戦後大半の艦艇は連合国間で分配されることとなった[18]

「サイダ」はイタリアに引き渡され、1920年9月19日に「Venezia」という名前で就役[19]。1937年3月11日に除籍され、その後解体された[19]

脚注

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  1. ^ Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 176
  2. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 22
  3. ^ Austro-Hungarian Cruisers in World War One, pp. 176, 189
  4. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 189
  5. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 171
  6. ^ a b The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 182
  7. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 186, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  8. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  9. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 188-189
  10. ^ 英語ではfreshwater cistern
  11. ^ A Naval History of World War I, p. 150
  12. ^ a b c Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 183
  13. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 205
  14. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33
  15. ^ A Naval History of World War I, p. 154
  16. ^ 3月16日に自艦の機雷の爆発により喪失
  17. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 396
  18. ^ A Naval History of World War I, p. 177
  19. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 184

参考文献

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  • Zvonimir Freivogel, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, Despot Infinitus, 2019, ISBN 978-953-8218-40-8
  • Zvonimir Freivogel, Austro-Hungarian Cruisers in World War One, Despot Infinitus, 2017, ISBN 978-953-7892-85-2
  • Paul G. Halpern, A Naval History of World War I, Naval Institute Press, 1994, ISBN 1-55750-352-4
  • Ryan K. Noppen, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, Bloomsbury Publishing, 2016