コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

サイモン・ラトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サイモン・ラットルから転送)
サイモン・ラトル
Simon Rattle
サイモン・ラトル
基本情報
生誕 (1955-01-19) 1955年1月19日(69歳)
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドリヴァプール
学歴 王立音楽アカデミー
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
担当楽器 指揮
活動期間 1976年 -
レーベル EMI

サー・サイモン・デニス・ラトル(Sir Simon Denis Rattle OM CBE, 1955年1月19日 - )は、イギリス指揮者2002年9月から2018年6月までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者兼芸術監督、2017年9月から2023年までロンドン交響楽団の音楽監督を務めた。2023年からバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務める。

人物・来歴

[編集]

1955年、リヴァプール生まれ。幼い頃からピアノ打楽器を学び、イングリッシュ・ナショナル・ユース管弦楽団では打楽器奏者を務めた[1]。1971年にロンドン王立音楽アカデミーに入学し、指揮を学んだ。1974年、ジョン・プレイヤー国際指揮者コンクールに優勝し、ボーンマス交響楽団およびボーンマス・シンフォニエッタの副指揮者に就任した[2]。以後イギリスの主要なオーケストラを指揮し、1977年には、ヤナーチェクの『利口な牝狐の物語』を指揮し[2]グラインドボーン音楽祭に最年少でデビューした[1]

20代前半から既にヨーロッパ各地のオーケストラに客演し、様々なオーケストラからの主要ポストの申し出を受けたが[1]、1980年に自国のバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任した[1]。ラトルの就任当時には決して国内的・国際的知名度が高いとは言えなかったこのオーケストラを、徐々に世界的なオーケストラに育て上げた[1][3]。1990年には同オーケストラの音楽監督に就任した[1]。同団との来日も数度果たしている。一方、1979年にロサンジェルス・フィルハーモニックを指揮してアメリカ・デビューを果たし、1981年から1994年まで同楽団の首席客演指揮者となっていた[2]。1984年、大英帝国勲章コマンダー(CBE)に叙された。1994年、30代の若さでナイトに叙され、サーの称号を得た[1]。1996年に放送されたテレビ番組『故郷を離れて』では、最も優れた芸術番組に与えられる BAFTA賞を受賞している[2]。1997年アルバート・メダル受賞。1999年、バーミンガム市交響楽団との長年にわたる活動に対して "South Bank Show Awards" の "Outstanding Achievement" が贈られた[2]

2002年、クラウディオ・アバドの後任として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任した[1]。ラトルはベルリン・フィルの若年層の聴衆および音楽人開拓のための活動である「Zukunft@BPhil」に取り組み、その一環として映画『ベルリン・フィルと子どもたち』を制作した[4]。こうした青少年育成活動は高く評価され、2005年にドイツの教育分野で権威ある賞であるシラー賞を受賞し[4]、2007年にテレビ雑誌 "Hörze" から「ゴールデン・カメラ」を授与されている[2]。一方で、古典音楽に対するオーセンティックな演奏に対しても活動の幅を拡げ、古楽の演奏団体であるエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団に客演している[1]。2004年のBBCプロムスでは、同団と共にワーグナーの『ラインの黄金』を演奏会形式で上演し[2]、その後『ニーベルングの指輪』にも取り組んでいる[2]。他方で、2006年頃から、ベルリン・フィルとラトルの間の関係には危機の兆候があると複数の指摘があった[5]。ベルリンでの在任期間が長くなってもラトルが音楽上のやりとりをドイツ語ではなくほとんど英語で行うことで誤解や演奏のマンネリを深めた可能性があると言われる[6][7]

2012年7月には、ロンドン五輪開会式ロンドン交響楽団を指揮し、映画『炎のランナー』のテーマ曲を演奏、ローワン・アトキンソン演じるMr.ビーンと共演した。同年ウルフ賞芸術部門受賞。

2013年1月11日(日本標準時)、バイエルン放送が、ベルリン・フィルの首席指揮者を2018年をもって退任すると報じた[8]。ベルリン・フィルも1月10日の日付で2018年での任期終了を発表している[9]。その後、ラトルは2018年6月24日のヴァルトビューネ・コンサートでベルリン・フィルの首席指揮者を退任した[10]

2013年9月7日、イギリス高級紙『タイムズ』は、2018年にラトルがロンドン交響楽団の首席指揮者に就任するだろうという見通しを記事にした[11]。2015年3月3日、ロンドン交響楽団はラトルが2017年9月に同団の音楽監督に就任する予定と発表した[12]。2017年9月にロンドン交響楽団の音楽監督に就任し2023年まで務めた[13]

2021年1月11日、ラトルが2023/24から5シーズン、バイエルン放送交響楽団バイエルン放送合唱団の首席指揮者を務める予定であることが発表された[14]

家族・親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈・出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 寺西基之 1996年
  2. ^ a b c d e f g h CD EMI TOCE-56099(ストラヴィンスキー「3楽章の交響曲」他)ライナーノート (2008年)
  3. ^ 渡辺和彦 1993年
  4. ^ a b ベルリン・フィルと子どもたち(2012年1月28日 閲覧)
  5. ^ Manuel Brug (11 May 2006). “Überwältigungsmusik, aber kaum Durchdringung” (German). Die Welt. https://www.welt.de/kultur/article215898/Ueberwaeltigungsmusik_aber_kaum_Durchdringung.html 17 August 2007閲覧。 
  6. ^ Sir Simon Rattle im Interview: „Orchester bewegen sich langsam wie tektonische Platten“ faz.net, 29. Juni 2007.
  7. ^ Simon Rattles Abschied: Sechzehn Jahre Schafskälte faz.net, 27. Juni 2018.
  8. ^ Dirigent Simon Rattle 2018 ist Schluss in Berlin(バイエルン放送 ドイツ語 2013年1月11日 PDF)
  9. ^ Sir Simon Rattle will end his tenure as Chief Conductor in 2018(ベルリン・フィル公式サイト英語版 2013年1月10日)
  10. ^ ラトルの首席指揮者としての最後の定期演奏会は、マーラー「第6」”. デジタル・コンサートホール. Berliner Philharmoniker. 2021年12月28日閲覧。
  11. ^ Sir Simon Rattle tipped to take top job with the LSO(ザ・タイムス 2014年10月8日)
  12. ^ Sir Simon Rattle appointed Music Director(ロンドン交響楽団 2015年3月3日 2015年5月9日閲覧)
  13. ^ 音楽現代1月号 2022, p. 92 35、ロンドン交響楽団=次期PCにアントニオ・パッパーノ(2023/24より).
  14. ^ Sir Simon Rattle wird Chefdirigent(バイエルン放送交響楽団 2021年1月11日)

参考文献

[編集]
  • 音楽之友社編『世界のオーケストラ 123』(1993年)pp.118-119 渡辺和彦「バーミンガム市交響楽団」
  • 音楽之友社編『指揮者のすべて』(1996年 ISBN 4-276-96022-3)p.126 寺西基之「ラトル,サイモン」
  • 『音楽現代1月号』株式会社 芸術現代社、2022年。 

外部リンク

[編集]
先代
ルイ・フレモー
バーミンガム市交響楽団
音楽監督
1980年 - 1998年
次代
サカリ・オラモ
先代
ゲオルク・ショルティ
ザルツブルク復活祭音楽祭
芸術監督
2002年 - 2013年
次代
クリスティアン・ティーレマン