サマセット・マクスウェル (第8代ファーナム男爵)
第8代ファーナム男爵サマセット・リチャード・マクスウェル(英語: Somerset Richard Maxwell, 8th Baron Farnham、1803年10月18日 ダブリン – 1884年6月4日 ファーナム)は、イギリスの貴族、政治家。保守党に所属し、1839年から1840年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第6代ファーナム男爵ヘンリー・マクスウェルと妻アン(Anne、旧姓バトラー(Butler)、1776年8月3日 – 1813年5月29日、第2代キャリック伯爵ヘンリー・トマス・バトラーの長女)の次男として、1803年10月18日にダブリンで生まれた[1]。1823年1月6日、ダブリン大学トリニティ・カレッジに入学した[1]。
保守党に所属し、1839年2月[2]から1840年までキャバン選挙区の代表として庶民院議員を務め、1842年にカーロウ県長官を、1844年にキャバン県長官を務めた[1]。
1868年8月20日に兄ヘンリーが死去すると、ファーナム男爵位を継承した[1]。
1876年時点でキャバン県に29,455エーカーの領地を所有し、合計で年収20,938ポンド相当だった[3]。1883年時点では25,920エーカー(年収18,250ポンド相当)に減った[1]。
1884年6月4日にキャバン県ファーナム(Farnham)で死去、弟ジェームズ・ピアースが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1839年5月30日、ドロシア・ペンファザー(Dorothea Pennefather、1861年11月30日没、リチャード・ペンファザーの娘)と結婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[4]。
1864年5月31日、メアリー・アン・ディラップ(Mary Anne Delap、1809年ごろ – 1873年11月1日、サミュエル・ディラップの娘)と再婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 260–262.
- ^ "No. 19710". The London Gazette (英語). 26 February 1839. p. 398.
- ^ De Burgh, U. H. Hussey (1878). The Landowners of Ireland (英語). Dublin: Hodges, Foster, and Figgis. p. 152.
- ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 784.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Somerset Maxwell
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ヘンリー・マクスウェル閣下 ジョン・ヤング |
庶民院議員(キャバン選挙区選出) 1839年 – 1840年 同職:ジョン・ヤング |
次代 ヘンリー・ジョン・クレメンツ ジョン・ヤング |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ヘンリー・マクスウェル |
ファーナム男爵 1868年 – 1884年 |
次代 ジェームズ・ピアース・マクスウェル |