ジェームズ・マクスウェル (第9代ファーナム男爵)
第9代ファーナム男爵ジェームズ・ピアース・マクスウェル(英語: James Pierce Maxwell, 9th Baron Farnham、1813年 – 1896年10月26日)は、イギリスの貴族、政治家、軍人。政治家としては保守党に属し、1843年から1865年まで庶民院議員を務めた[1]。軍人としてはクリミア戦争に参戦して負傷し、5等メドジディエ勲章を授与された[1]。最終階級は陸軍中佐[1]。
生涯
[編集]第6代ファーナム男爵ヘンリー・マクスウェルと妻アン(Anne、旧姓バトラー(Butler)、1776年8月3日 – 1813年5月29日、第2代キャリック伯爵ヘンリー・トマス・バトラーの長女)の六男として、1813年に生まれた[1]。
エンサイン(歩兵少尉)として第40歩兵連隊に配属された後、1834年8月1日に第59歩兵連隊に転じた[2]。1837年5月5日、中尉への辞令を購入して昇進した[3]。1841年6月25日、大尉への辞令を購入して昇進した[4]。1851年3月21日、第50歩兵連隊に転じた[5]。1854年6月20日、少佐への名誉昇進辞令を与えられた[6]。クリミア戦争では1854年10月下旬に負傷した[7]。同年12月12日、中佐への名誉昇進辞令を与えられ[8]、12月29日に正式な軍階として少佐に昇進した[9]。1855年7月10日に正式な軍階として中佐に昇進したが、同時に所属連隊なしになった[10]。1858年までにオスマン帝国から5等メジディエ勲章を授与された[11]。1860年7月31日、第97歩兵連隊に配属されたが、同日に軍務から引退した[12]。
政治家としては保守党に属し、1843年から1865年までキャバン選挙区の代表として庶民院議員を務めた[1]。
1884年6月4日に兄サマセット・リチャードが死去すると、ファーナム男爵位を継承した[1]。1885年12月4日に遠戚にあたる第10代準男爵サー・ウィリアム・マクスウェルが死去すると、準男爵位を継承した[1][13]。
1896年10月26日、生涯未婚のままマルヴァーンで死去、キャバンで埋葬された[1]。弟リチャード・トマス(1815年2月19日 – 1874年1月22日)の息子サマセット・リチャードが爵位を継承した[1][13]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 260–261.
- ^ "No. 19178". The London Gazette (英語). 1 August 1834. p. 1428.
- ^ "No. 19491". The London Gazette (英語). 5 May 1837. p. 1152.
- ^ "No. 19993". The London Gazette (英語). 25 June 1841. p. 1654.
- ^ "No. 21193". The London Gazette (英語). 21 March 1851. p. 793.
- ^ "No. 21566". The London Gazette (英語). 27 June 1854. p. 1990.
- ^ "No. 21624". The London Gazette (英語). 12 November 1854. p. 3459.
- ^ "No. 21699". The London Gazette (英語). 24 April 1855. p. 1576.
- ^ "No. 21686". The London Gazette (英語). 30 March 1855. p. 1278.
- ^ "No. 6509". The Edinburgh Gazette (英語). 13 July 1855. p. 870.
- ^ "No. 22107". The London Gazette (英語). 2 March 1858. p. 1256.
- ^ "No. 22408". The London Gazette (英語). 31 July 1860. p. 2821.
- ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 784.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Hon. James Maxwell
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ヘンリー・ジョン・クレメンツ ジョン・ヤング |
庶民院議員(キャバン選挙区選出) 1843年 – 1865年 同職:サー・ジョン・ヤング準男爵 1843年 – 1855年 ロバート・バローズ 1855年 – 1857年 ヒュー・アンズリー閣下 1857年 – 1865年 |
次代 エドワード・ジェームズ・サンダーソン ヒュー・アンズリー閣下 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 サマセット・リチャード・マクスウェル |
ファーナム男爵 1884年 – 1896年 |
次代 サマセット・ヘンリー・マクスウェル |
スコットランドの準男爵 | ||
先代 ウィリアム・マクスウェル |
(カルダーウッドの)準男爵 1885年 – 1896年 |
次代 サマセット・ヘンリー・マクスウェル |