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サロナ・ライアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サロナ・ライアー
サロナ・ライアーの画像
プロフィール
リングネーム タミーナ・スヌーカ
タミーナ
サロナ・スヌーカ
本名 サロナ・モアナ・マリー・ライアー・スヌーカ=ポラマル
ニックネーム スーパーフライDIVA
身長 175cm
体重 67kg
誕生日 (1978-01-10) 1978年1月10日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州の旗 ワシントン州
バンクーバー
所属 WWE
デビュー 2009年
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サロナ・ライアーSarona Moana-Marie Reiher Snuka1978年1月10日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーディーヴァである。ワシントン州バンクーバー出身。プロレス団体WWEに所属し、タミーナTamina)のリングネームで活動。

父親はWWE殿堂者である元プロレスラーの"スーパーフライ" ジミー・スヌーカ。入場の際、出身地は父と同様にフィジーとコールされる。

来歴

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WWE殿堂者アファ・アノアイの主宰するワイルド・サモアン・トレーニングセンターにてプロレスのキャリアを積んだ後、2009年WWEとディペロップメント契約し、下部団体のFCWにてタミーナのリングネームでデビュー。

2010年3月、ジミー・ウーソジェイ・ウーソウーソズマネージャーとして加入。同年5月、WWEに昇格。24日のRAWでウーソズと共にハート・ダイナスティを襲撃し、ヒールとしてデビューした。

ハート・ダイナスティとの抗争終了後はサンティーノ・マレラとの恋愛ストーリーが始まる。その後ウーソズを抜けて、サンティーノ・マレラとウラジミール・コズロフのマネージャーとなりフェイスターン。その後もマレラとのコンビでテッド・デビアス&マリースとのカップル対決なども行い、ベビーフェイスとして活躍した。

2011年上旬に初めて入場曲とタイタントロンが用意され、メリーナと初シングル戦を行うも敗退。4月のドラフトにてスマックダウンに移籍。それに伴いマレラとコズロフのマネージャーを退いた。

移籍後は再びヒールターンして、アリシア・フォックスローザ・メンデスと共にトリオを組んでいたが、アリシアがベビーフェイスに転向したため以後はシングルで活動。

シングル転向後はジョバーとしての出番が多かったが、2012年1月6日放送のSmackDown!でナタリアと対戦し勝利。試合後に手を掲げようとしたレフリーの手を払いのける行動があったためヒールのままかと思われたが、翌週の放送では入場時に笑顔で観客とハイタッチを交わし、またもナタリアに勝利。フェイスターンを果たすとともにナタリアとの抗争を開始した。また、フェイスターンと時を同じくしてリングネームに名字を追加してタミーナ・スヌーカと名乗るようになった。その後はNXTでの活動を主とし、ダレン・ヤングから好意を寄せられるなどしていたが、8月のRAWにて怪我を負ったため戦線から離脱した。

11月のサバイバー・シリーズにて、ヴィッキー・ゲレロと口論するAJを襲撃し、ヒールとして復帰したがあまり活躍できずに再び欠場。

2013年の復帰後、10月にAJのセコンドとして復帰。AJのディーヴァ王座防衛のサポートをしていたが(主に卑怯な手段)、険悪になることもあった。2014年5月、膝前十字靭帯の負傷の為欠場[1]

翌年の2015年5月にナオミ英語版とともにベラ・ツインズを急襲して復帰。翌週には復帰初戦の試合でナオミとタッグを組みベラ・ツインズを相手に勝利を飾った。

7月、ステファニー・マクマホン主導の女子革命が発生。その際NXTから昇格したサーシャ・バンクス、ナオミとチームB.A.D.を結成した。

2021年5月、WWE女子タッグチーム王座を獲得。

得意技

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スーパーフライ・スプラッシュ
スーパーフライ・スプラッシュ
サモアン・ドロップ
スーパーキック
パワーボム
スクープスラム
スナップスープレックス
ヘッドバット

獲得タイトル

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入場曲

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脚注

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  1. ^ Tamina Snuka on Twitter”. Twitter. September 1, 2015閲覧。

外部リンク

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