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カイル・ブッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カイル・トーマス・ブッシュ
生誕 (1985-05-02) 1985年5月2日(39歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス
表彰2004年 ブッシュ・シリーズ ルーキー・オブ・ザ・イヤー
2005年 NASCARネクステルカップ・シリーズ ルーキー・オブ・ザ・イヤー
2008 Southern 500 Winner
2009 Nationwide Series Champion

Record 21 victories in 2008 in NASCAR's three series
5-time qualifier for Chase for the NASCAR Sprint Cup
Nationwide Series single season wins record (13 wins)

104 Total NASCAR Wins
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズでの経歴
車番-チーム18 – Joe Gibbs Racing (TOYOTA CAMRY)
2023年の順位14位
最高位1位
初戦2004 UAW-DaimlerChrysler 400
初勝利2005 Sony HD 500 (California)
最終勝利2011 Pure Michigan 400 (Michigan)
優勝数 10位以内 PP
63 377 9
NASCARエクスフィニティ・シリーズでの経歴
車番-チーム18– Joe Gibbs Racing (TOYOTA CAMRY)
2011年の順位カップシリーズメイン登録の為順位無し
初戦2003 Carquest Auto Parts 300 (Charlotte)
初勝利2004 Funai 250 (Richmond)
最終勝利2011 Virginia 529 College Savings 250 (Richmond)
優勝数 10位以内 PP
51 143 23
NASCARガンダー・アウトドアーズ・トラック・シリーズでの経歴
車番-チーム18– Kyle Busch Motorsports (TOYOTA TUNDRA)
2011年の順位カップシリーズメイン登録の為順位無し
初戦2001 Power Stroke Diesel 200 (Lucas Oil Raceway at Indianapolis)
初勝利2005 Quaker Steak and Lube 200 (Charlotte)
最終勝利2011 New Hampshire 175 (New Hampshire)
優勝数 10位以内 PP
30 78 14
2012 The Budweiser Shootout End.現在。

カイル・トーマス・ブッシュ (Kyle Thomas Busch, 1985年5月2日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のNASCARドライバー。

プロフィール

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NASCAR3大シリーズの一つのキャンピング・ワールド・トラック・シリーズを20歳19日で、最高峰のスプリントカップ・シリーズを20歳125日で勝利するという2つの最年少記録を打ち立てた[注 1]日テレG+で付けられている愛称は「ヤングスター」、現地では「The Spider」「Rowdy Busch,」「Wild Thing」「Shrub」などと呼ばれる。2004年のカップ戦シリーズチャンピオン、カート・ブッシュは実兄である。

ラスベガス出身という超都会っ子であることに加え、年上にも物怖じせず、ガンガンぶつかっていくその姿から「ノーフィアー(恐れ知らず)」とも言われ、現地では優勝するとブーイング、トラブルが起こると歓声が上がるトップヒールでもある。マシンの窓に立っておじぎをする優勝パフォーマンスでも有名である。

数多くの離れ業を成し遂げているドライバーでもある。2015年のエクスフィニティシリーズ開幕戦で骨折し11戦を欠場したが、復帰後破竹の勢いで自身初のチャンピオンまで漕ぎ着けた。また同一週末に複数のレースに出場する上どちらも勝ってしまうことで知られており、2009年にNASCAR史上初めて、三大シリーズのうち2つ(ネイションワイド及びトラックシリーズ)を同時に制覇した[1]。さらに2010年と2017年のマーティンズビルでは、同一週末のカップ・ネイションワイド・トラック全てに出場して全て勝つという偉業を2度も達成[2]。さらに2016年にはマーティンズ・ビルで行われたカップ戦およびエクスフィニティで優勝、翌週のテキサスでもカップ戦とトラックシリーズで優勝し、2週連続で週末を完全制覇した。完全制覇をしたときは、ほうきを持って(SWEEP=一掃の意)パフォーマンスをするのが恒例となっている。なおこれらの記録は全てトヨタのマシン(カムリタンドラ)によるものである。

2017年は、カイル・ブッシュ・モータースポーツからキャンピング・ワールド・トラックシリーズ(#32)に、ジョー・ギブス・レーシングからエクスフィニティ・シリーズ(#40)及びモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ(#18)に参戦する。

また北米を代表するトヨタドライバーの顔としてもたびたびメディア露出しており、GRスープラの発表時にはNASCARドライバーで唯一並み居るWEC・WRCドライバーたちともにCMに登場した上、カイルのGRスープラのインプレッション動画も公開された。

経歴

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NASCAR以前

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始めて車を運転したのは6歳の時であり、その後家のガレージで父と兄の指導のもと、レースカーのメンテナンスを行い、10歳になると兄の小さなチームでクルーチーフとして活動した。

13歳になると学業を第一としながらレーサーとしての活動をスタート、1990年〜2001年にはラスベガス・モーター・スピードウェイで行われているローカルレースで通算65勝を上げる。

NASCAR

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16歳にてクラフツマン・トラック・シリーズ(現キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にスポット参戦、初年度いきなり6戦中2戦でトップ10フィニッシュするという好成績をあげるものの、2002年のテスト中にCARTマルボロ500の関係でレース場に入場できなくなってしまい、6週間後NASCAR側も18歳以下の参戦を禁じる(当時冠スポンサーがウィンストンだった影響もある、また一部下位シリーズに限り2007年シーズンから16歳に引き下げられた)ということになってしまったために2年間を別組織であるASAシリーズへ移籍して闘う事となる。

2003年はこの年齢制限から解放され、ブッシュシリーズ(現エクスフィニティ・シリーズ)へとスポット参戦、その後2004年にネイションワイド・シリーズにフル参戦、5勝を上げランキング2位に、同時にルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを手にする。このルーキーイヤー5勝は歴代最多勝である。

この5勝で才能が一気に開花。翌2005年にはクラフツマン・トラック・シリーズと最上位のネクステルカップ・シリーズ(現モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)でほぼ同時に最年少勝利記録を樹立し、クラフツマン・トラック・シリーズで3勝、ネイションワイド・シリーズで1勝、ネクステル・シリーズでは1勝を挙げ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルも獲得した。

その後どこかしらのシリーズで年間1勝以上を獲得し続け、2008年にはジョー・ギブス・レーシングへ移籍。ジョー・ギブス・レーシングは、この年マシンをトヨタ・カムリに変更。カイルは、第4戦アトランタで参戦2年目のトヨタに初勝利をもたらした。 この年は年間8勝をマーク。しかし全部チェイス前だったこともあり、ランキングは10位に留まった。

2009年シーズンは序盤を3シリーズ掛け持ち、後半はスポット参戦のトラックシリーズのレース数が少なく、2シリーズ掛け持ちという体勢が災いしたか、序盤こそ4勝で一時期最多勝となるものの、チェイスを18ポイント差でブライアン・ビッカーズに持って行かれるという最悪な展開でシリーズチャンピオンへの座を閉ざされる事となる。その後優勝は無かったがなんとか上位フィニッシュを繰り返し、シーズン13位でミリオンダラーボーナスを獲得。ネイションワイド・シリーズでは第7戦でカール・エドワーズからトップを奪うとそのまま独走。年間最多勝となる9勝と賞金王も獲得し、2ndカテゴリーとはいえ自身初の戴冠となった。参戦が15戦止まりであったトラックシリーズも年間7勝と、3シリーズ合計20勝は年間最多勝である。2月21日のフォンタナ戦では、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズとネイションワイド・シリーズを同日に優勝するという史上初の快挙も達成した。

2010年、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズをKyle Busch Motorsportsから、ネイションワイド・シリーズとスプリントカップ・シリーズにはジョー・ギブス・レーシングより参戦した。スプリントカップ・シリーズでは、第10戦リッチモンド、第12戦ドーバー、第24戦ブリストルの計3勝を挙げ年間ランキング8位。8月に行われたブリストル戦では、NASCAR史上初となる、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ、ネイションワイド・シリーズ、スプリントカップ・シリーズの3カテゴリー同一週制覇(週末3連勝)を成し遂げた。

2011年も引き続き、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズをKyle Busch Motorsportsから、ネイションワイド・シリーズとスプリントカップ・シリーズをジョー・ギブス・レーシングより参戦。スプリントカップ・シリーズでは、第4戦ブリストル、第9戦リッチモンド、第18戦ケンタッキー、第23戦ミシガンの計4勝を挙げチェイス進出を決めるものの、チャンピオン最有力候補でありながら、チェイス戦に入ってからは失速。更には、第34戦テキサスの週末に行われたキャンピング・トラック・ワールド・シリーズにおいて、イエロー中の報復行動が問題となり、その週末のネイションワイド&スプリントカップ戦を出場停止処分(代役はそれぞれデニー・ハムリンマイケル・マクドーウェル)となるなど、結果的にスプリントカップ・シリーズランキングを12位で終える事となった。 なお、この年行われたニューハンプシャーでのネイションワイド戦において、NASCARでの通算100勝目をマークした。

2012年は、トラブルやクラッシュなど不運が重なり、わずか1勝にとどまりチェイス入りを逃す。シリーズランキング13位。

2013年は、4勝をマークし難なくチェイス入りするが、ジミー・ジョンソンマット・ケンゼスとのチャンピオン争いから遅れをとってしまう。シリーズランキング4位。

2014年は、ライバルメーカーとの競争力において不利な状況で健闘するが、1勝にとどまる。シリーズランキング10位。

2015年は、開幕戦デイトナ500の前日に行われたエクスフィニティ・シリーズのレースでクラッシュに巻き込まれ、両足を骨折する大怪我を負ってしまう。この怪我によって、開幕戦から第11戦まで欠場を余儀なくされる。 第12戦の前に行われたNASCARスプリント・オールスターレースから復帰し、第16戦ソノマで復帰後の初勝利と共にシーズン初勝利を挙げる。さらに、第18戦ケンタッキーから第20戦インディアナポリスまで怒涛の3連勝を挙げ、チェイス入りの条件となるランキング30位以内に入りチェイス入りを果たす。 チェイス戦に入ってからは、初戦で下位に沈むがそれ以降は上位入賞を繰り返し、最終ラウンドまで進出。最終戦ホームステッド=マイアミで見事勝利し、自身初のチェイス戦での勝利と共に初のシリーズチャンピオンを獲得した。 トヨタ勢としては参戦9年目にして初のシリーズチャンピオン、開幕戦から11戦を欠場して、そこから怒涛の追い上げを果たしてチャンピオン獲得とドラマチックなシーズンとなった。

2016年シーズンは第6戦マーティンズビルを初めとして4勝を挙げチェイス進出を果たすが、チェイスに入ってからは勝利を挙げることができず、ポイントランキングで最終ラウンドまで勝ち進んだものの、ジミー・ジョンソンに7回目のシリーズチャンピオン獲得を許してしまった。

2017年は、開幕戦デイトナでのタイヤトラブルによるクラッシュから始まり、第3戦ラスベガスではゴール後にジョーイ・ロガーノと接触を巡って乱闘、ピットロード絡みのペナルティ等と乱調気味に陥る。 第21戦のポコノにてようやくシーズン初勝利を挙げ復調し、第24戦ブリストルでは2010年以来となる前人未到唯一無二である2度目の3カテゴリー同一週制覇(週末3連勝)を成し遂げた。プレーオフに進出後も、第28戦ロードン、第29戦ドーバー、第33戦マーティンズビルに勝利し最終ラウンドへ進出したが、マーティン・トゥーレックスJr.に敗れ、シリーズ2位となった。

2018年シーズンは第7戦テキサス[3]、第8戦ブリストル[4]、第9戦リッチモンド[5]と3連勝を挙げる。

2022年末に自身のプライベートチームともどもトヨタ陣営から離脱し、シボレーへ移籍した。

ドライビングスタイル

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前出の通りノーフィアーと呼ばれる過激な走りで常にトップを取りに行く走りが魅力。特にリスタートに関しての能力はずば抜けており、リスタートごとに抜群のスタートを決め順位を上げる姿はよく見られる。ただ過激な走りが行き過ぎ、軽い接触に対して報復としてぶつけ返しタイヤをパンクさせるなどの自爆も目立つ。他にも肝心な所でパンクしたりレーシングアクシデントでクラッシュさせられたりと運の悪さも目立ち、勝てるがランキングが上がらないドライバーであった。しかし経験を積むにつれ徐々に安定感のある走りも見せる様になり、ついにはチャンピオンまで上り詰めている。

コース的な相性はローバンクショートトラック、ハイバンクショートトラック、インターミディエイトトラック、スーパースピードウェイとどのトラックでも勝てる器用さを持ち、特に2008年には36戦中2戦しかないロードコースの両方を制覇するなど、器用さはオーバルトラックの走り方だけに留まらない。その中でも得意としているのはショートオーバルで、ブリストルでは同週3シリーズ制覇という離れ業を2度もやってのけている。

リザルト

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スプリントカップ・シリーズ

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ナスカー スプリントカップ・シリーズ 結果
チーム ナンバー Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 NSCC Pts
2004 ヘンドリック・モータースポーツ 84 シボレー DAY CAR LVS
41
ATL DAR BRI TEX
DNQ
MAR TAL CAL RCH CLT
32
DOV POC MCH SON DAY CHI NHA
DNQ
POC IND GLN MCH
DNQ
BRI CAL
24
RCH NHA DOV TAL KAN
37
CLT
34
MAR ATL
43
PHO DAR HOM 52nd 345
2005 5 DAY
38
CAL
23
LVS
2
ATL
12
BRI
28
MAR
39
TEX
21
PHO
8
TAL
41
DAR
23
RCH
4
CLT
25
DOV
2
POC
4
MCH
9
SON
40
DAY
31
CHI
14
NHA
4
POC
39
IND
10
GLN
33
MCH
43
BRI
33
CAL
1*
RCH
4
NHA
27
DOV
2
TAL
33
KAN
21
CLT
39
MAR
9
ATL
12
TEX
40
PHO
1
HOM
41
20th 3753
2006 DAY
23
CAL
10
LVS
3
ATL
12
BRI
8
MAR
5
TEX
15
PHO
36
TAL
32
RCH
5
DAR
7
CLT
38
DOV
5
POC
22
MCH
14
SON
11
DAY
2
CHI
3
NHA
1*
POC
12
IND
7
GLN
9
MCH
39
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2
CAL
8
RCH
2*
NHA
38
DOV
40
KAN
7
TAL
11
CLT
6
MAR
18
ATL
27
TEX
4
PHO
38
HOM
38
10th 6027
2007 DAY
24
CAL
9
LVS
9
ATL
32
BRI
1
MAR
4
TEX
37
PHO
7
TAL
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2
DAR
37
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30
DOV
17
POC
8
MCH
6
SON
8
NHA
11
DAY
2
CHI
13
IND
4
POC
12
GLN
7
MCH
13
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CAL
3*
RCH
20
NHA
4
DOV
5
KAN
41
TAL
36
CLT
3
MAR
4
ATL
20
TEX
4*
PHO
8
HOM
20
5th 6293
2008 ジョーギブスレーシング 18 トヨタ DAY
4*
CAL
4
LVS
11
ATL
1*
BRI
17
MAR
38
TEX
3
PHO
10
TAL
1
RCH
2
DAR
1*
CLT
3
DOV
1
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43
MCH
13
SON
1*
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25
DAY
1
CHI
1*
IND
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POC
36
GLN
1*
MCH
2
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2*
CAL
7
RCH
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NHA
34
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43
KAN
28
TAL
15
CLT
4
MAR
29
ATL
5
TEX
6
PHO
8
HOM
19
10th 6186
2009 DAY
41*
CAL
3
LVS
1
ATL
18
BRI
1*
MAR
24
TEX
18
PHO
17
TAL
25*
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1
DAR
34
CLT
6*
DOV
23
POC
22
MCH
13
SON
22
NHA
7
DAY
14
CHI
33
IND
38
POC
16
GLN
4
MCH
23
BRI
1
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13
RCH
5
NHA
5
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31
KAN
12
CAL
24
CLT
8
MAR
4
TAL
15
TEX
11*
PHO
12
HOM
8
13th 4457
2010 DAY
14
CAL
14
LVS
15
ATL
25
BRI
9
MAR
22
PHO
8*
TEX
3
TAL
9
RCH
1*
DAR
7
DOV
1
CLT
3
POC
2
MCH
20
SON
39
NHA
11
DAY
40
CHI
17
IND
8
POC
23
GLN
8
MCH
18
BRI
1*
ATL
5
RCH
2
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9
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6
KAN
21
CAL
35
CLT
2*
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4
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TEX
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PHO
13
HOM
32
8th 6182
2011 DAY
8
PHO
2
LVS
38
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1
CAL
3*
MAR
3*
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TAL
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1*
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4
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32
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3
SON
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DAY
5
KEN
1*
NHA
36
IND
10
POC
2
GLN
3*
MCH
1
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ATL
23
RCH
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22
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11
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6
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11
CLT
2*
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MAR
27*
TEX
QL
PHO
36
HOM
23
12th 2246
2012 DAY
17
PHO
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CAL
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10*
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24
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IND
2
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5
KAN
31
MAR
2
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PHO
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HOM
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13th 1133
2013 DAY
34
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IND
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2014 DAY
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39
10th 2285
2015 DAY
INQ
ATL LVS PHO CAL MAR TEX BRI RCH TAL KAN CLT
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43
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1*
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IND
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4
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1
1st 5043
2016 DAY
3
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3
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4
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4
CAL
25
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1*
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1
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2
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7
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2
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12
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8*
IND
1*
POC
9
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38
MCH
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8
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3
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2
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6
KAN
5
TAL
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MAR
5
TEX
5
PHO
2
HOM
6
3rd
- Qualified but replaced by Michael McDowell · - Qualified but replaced by Matt Crafton

デイトナ 500

[編集]
チーム Manufacturer スタート ゴール
2005 ヘンドリック・モータースポーツ シボレー 19 38
2006 4 23
2007 8 24
2008 ジョー・ギブス・レーシング トヨタ 24 4
2009 4 41
2010 7 14
2011 10 8
2012 14 17
2013 4 34
2014 37 19
2015 INQ
2016 4 3
2017 21 38
- Qualified but replaced by Matt Crafton

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ スプリントカップ・シリーズの最年少記録は2009年第17戦ロードンで19歳35日のジョーイ・ロガーノに、トラックシリーズについては2012年第15戦アイオワで18歳8ヶ月15日のライアン・ブレイニーに更新された。なお、トラックシリーズの最年少記録は2014年9月20日の第16戦ロードンにおけるコール・カスター英語版の16歳7ヶ月28日である。

出典

[編集]

外部リンク

[編集]