サン=トゥアン=ロモヌ
Saint-Ouen-l'Aumône | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | ヴァル=ドワーズ県 |
郡 (arrondissement) | ポントワーズ郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 95572 |
郵便番号 | 95310 |
市長(任期) |
アラン・リシャール (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération de Cergy-Pontoise |
人口動態 | |
人口 |
22 876人 (2007年) |
人口密度 | 人/km2 |
住民の呼称 | Saint-Ouennais |
地理 | |
座標 | 北緯49度03分00秒 東経2度07分00秒 / 北緯49.0500度 東経2.1167度座標: 北緯49度03分00秒 東経2度07分00秒 / 北緯49.0500度 東経2.1167度 |
標高 |
平均:25m 最低:22m 最高:58m |
面積 | 12.21km2 |
公式サイト | http://www.ville-saintouenlaumone.fr |
サン=トゥアン=ロモヌ (Saint-Ouen-l'Aumône)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、ヴァル=ドワーズ県のコミューン。
地理
[編集]オワーズ川の左岸、ポントワーズの対岸に位置する。元々は農村であり、1860年代以降は労働者のまちであった。現在は自治体間連合セルジー=ポントワーズを構成するニュー・タウンの1つである。1980年代半ば以降、サン=トゥアン=ロモヌはヨーロッパ有数の規模のビジネス・パーク所在地である。
由来
[編集]1170年、Odo de Eleemosynaの名が記された[1]。l'Aumoneは封土の名称であったが、この名前をどこにも見つけることができない。同時代にはVilla S. Audoeniの名が見つかっている。15世紀のプイェ教区の公文書にCuratus S. Audoeni juxta Pontisaramが記されている。1486年にはCapellanus S. Hilarii infra metas Parochiae S. Audoeni juxta Pontisaramの記載がされている。
歴史
[編集]ルテティアからリールボンヌへと通じるカエサルの道(fr)が交差する所に、サン=トゥアン=ロモヌのまちができた。サン=トゥアンとはダゴベルト1世の助言者でルーアン司教であった聖ウアンに由来する。683年、聖ウアンの遺体はこの地で一晩を過ごした。12世紀のロモヌには、サン=ラザールのハンセン病病院があった。18世紀まで、この地はモービュイッソン(Maubuisson)と呼ばれていた。村は政治的にも軍事的にもポントワーズに依存していた。実際、ブランシュ・ド・カスティーユが建てたモービュイッソン修道院の周りに村はあり、経済活動は医療と信仰で発展していった。
19世紀半ば、サン=トゥアン=ロモヌは農村から都市への人口移動で活気付いていた。パリ=ポントワーズ間の鉄道路線開通の恩恵も受け、第一次世界大戦前夜には人口3000人に達していた。
第二次世界大戦後、住宅危機によって多くの集合住宅が建てられ、1970年代からセルジー=ポントワーズのニュー・タウンが誕生した。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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6985 | 9957 | 15 948 | 17 098 | 18 673 | 19 660 | 22 876 |