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ザランジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザランジュ

زرنج
シルクブリッジとして知られるエイブレシャム[1](2011年)
シルクブリッジとして知られるエイブレシャム[1](2011年)
ザランジュの位置(アフガニスタン内)
ザランジュ
ザランジュ
位置
座標:北緯30度57分36秒 東経61度51分36秒 / 北緯30.96000度 東経61.86000度 / 30.96000; 61.86000座標: 北緯30度57分36秒 東経61度51分36秒 / 北緯30.96000度 東経61.86000度 / 30.96000; 61.86000
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
ニームルーズ州
標高
476 m
人口
(2024)
 • 都市 49,851人
 • 都市部
160,902[2]
等時帯 UTC+4:30

ザランジュペルシア語/パシュトー語/バローチー語: زرنج‎、ラテン文字転写:Zaranj)はアフガニスタン南西部に位置する同国の都市である。ニームルーズ州の州都で、人口は2024年現在49,851人[3][4]。アフガニスタン国内を一周する環状の高速道路でラシュカルガーカンダハール、ファラー、ザーボルと結ばれている。

中東と中央アジア、南アジアを繋げる交通の要衝のひとつである[5]、エイブレシャム出入国管理局がイランとの国境線沿いに置かれており[6][1][7]、約21km東にはザランジュ空港が位置している。

ザランジュの歴史は約1200年前にサッファール朝を樹立したヤアクーブ・アル=サッファールにまで遡る。

歴史

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古ペルシア語で「水の島」という意味がある「ズランカ」が名前の由来である[8]。ギリシア語ではドランギアナと呼ばれ、アケメネス朝の都市の由来ともなった。ジラやザランジア、ズラーニなどの発音が確認されている[9][10]

アケメネス朝においてズランカと呼ばれる都市はドランギアナの首都であり、おおよそ現在のスィースターンに位置していた[11]。アラブ人の地理学者によると、後にズランカは放棄され、その地はヘルマンド川から水を引き、ラム・シャフリスタンという都市として発展するが、河川の氾濫により一帯の住民が北方へ避難し、定住した場所がスィースターンの約4.4km北に位置する現在のザランジュであるという[12]。当時のザランジュは古代末期に作成された道路地図であるポイティンガー図にて確認できる。

ヒジュラ暦393年ズー・アルヒッジャ月(1003年10月)にマフムードの軍隊がスィースターン方面のアルク城塞を攻め落としている場面 (エディンバラ本『集史』「ガズナ朝史」より)

651年にザランジュを含むホラーサーン地帯がイスラム教勢力に支配されると、661年には領土拡大のための駐屯地が建立された[13]。これとは別に、6世紀から8世紀末にはネストリウス派のヤコブ司教区が置かれたという記録も残っている[14]。9世紀頃には銅細工師のヤアクーブ・アル=サッファールによって開かれたサッファール朝の首都が置かれた[15]。サッファール朝は900年にサーマーン朝に、サーマーン朝は1003年にガズナ朝のマフムードによって滅ぼされた[16]。ザランジュは後にゴール朝ティムール朝サファヴィー朝などの一部となる。

1738年にナーディル・シャーによって支配されるまではパシュトゥーン人によるホータキー朝の都市であったが、18世紀中頃からはカラハン朝の領土となった[17]。1968年まではファーラー・チャカンスール州として知られていたが、後にニームルーズ州とファーラー州に分離し、ザランジュはニームルーズ州の州都となった。

ターリバーンによる占拠

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2021年8月6日ターリバーンによってザランジュが接収され、2021年の攻撃でターリバーンに攻略された最初の州都となった[18]。アフガニスタン政府はラシュカルガーの戦い英語版に専念していたため、ターリバーンはザランジュの抵抗はほとんど無かったと述べている[19]。ザランジュを占拠すると程なくして、ターリバーンは刑務所を破壊し多数の囚人を解放した[19]

2022年3月8日ニューヨーク・タイムズは、ターリバーンの厳しい経済状況を脱するために、イランへの密入国を求める数十万人のアフガン人の手助けを行う業者が蔓延っていると報じた。ザランジュのほぼ全ての住人が、一方的に巻き込まれたり、積極的に密入国のビジネスに関わっている、とも報告されている[20]

気候

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ザランジュは降水量が極端に少なく、寒暖差が激しい熱帯砂漠気候(BWh)である。夏季の気温は50℃にも達し、降雪は稀であるが、2016年11月27日に確認されている[21]

Zaranjの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 24.1
(75.4)
30.6
(87.1)
37.0
(98.6)
45.0
(113)
51.0
(123.8)
49.7
(121.5)
49.3
(120.7)
50.0
(122)
49.7
(121.5)
42.0
(107.6)
36.0
(96.8)
27.8
(82)
51
(123.8)
平均最高気温 °C°F 14.3
(57.7)
18.7
(65.7)
25.0
(77)
32.6
(90.7)
37.3
(99.1)
42.8
(109)
42.5
(108.5)
41.3
(106.3)
37.0
(98.6)
31.2
(88.2)
23.1
(73.6)
17.7
(63.9)
30.29
(86.53)
日平均気温 °C°F 6.5
(43.7)
10.0
(50)
15.7
(60.3)
23.3
(73.9)
29.1
(84.4)
33.4
(92.1)
35.0
(95)
32.3
(90.1)
27.2
(81)
21.9
(71.4)
13.1
(55.6)
8.7
(47.7)
21.35
(70.43)
平均最低気温 °C°F 0.1
(32.2)
2.9
(37.2)
7.7
(45.9)
14.7
(58.5)
20.0
(68)
25.2
(77.4)
27.3
(81.1)
24.9
(76.8)
18.5
(65.3)
12.3
(54.1)
4.8
(40.6)
0.7
(33.3)
13.26
(55.87)
最低気温記録 °C°F −13.2
(8.2)
−8.2
(17.2)
−5.2
(22.6)
1.0
(33.8)
5.0
(41)
16.0
(60.8)
18.4
(65.1)
13.2
(55.8)
3.9
(39)
−2.7
(27.1)
−7.1
(19.2)
−8.8
(16.2)
−13.2
(8.2)
降水量 mm (inch) 19.7
(0.776)
9.9
(0.39)
11.2
(0.441)
2.4
(0.094)
0.6
(0.024)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
1.2
(0.047)
1.4
(0.055)
5.1
(0.201)
51.5
(2.028)
平均降雨日数 3 2 2 2 0 0 0 0 0 0 1 1 11
湿度 55 50 44 40 35 29 28 29 33 41 49 54 40.6
出典:NOAA (1969-1983)[22]

ルート606

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デラーラーム・ザランジュ高速道路、通称ルート606は長さ217kmの、インドによって建設された対面通行路で、ファラー州デラーラームとイラン国境付近のザランジュを結んでいる[23]。カンダハール・ヘラート高速道路にデラーラームで接続されており、アフガニスタン環状道路(A01)を経由して他の主要道路との橋渡しを担う。従来デラーラームからザランジュまでは12-14時間を要していたが、ルート606によってわずか2時間まで短縮された。インドとイランは2016年5月にルート606とチャバハール港を鉄道・道路で接続することを可決した[23]

脚注

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  1. ^ a b Abresham Crossing Between Afghanistan & Iran Reopens After Nearly Two Weeks」『Khaama Press』2022年7月19日。2024年3月29日閲覧。
  2. ^ The State of Afghan Cities report 2015”. 2015年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月29日閲覧。
  3. ^ Population of Zaranj in 2024 - statistics” (英語). all-populations.com. 2024年3月28日閲覧。
  4. ^ GeoNames.org” (英語). www.geonames.org. 2024年3月28日閲覧。
  5. ^ China stresses on reviving "Silk Road" in Afghanistan」『Ariana News』2016年5月8日。2024年3月29日閲覧。
  6. ^ Trade activities at Abresham crossing drastically down」『Pajhwok Afghan News』2023年1月31日。2024年3月29日閲覧。
  7. ^ Closure of Abrisham Crossing With Iran Creates Obstacles for Afghans」『TOLOnews』2022年7月5日。2024年3月29日閲覧。
  8. ^ Schmitt, Rüdiger (15 November 1995). "DRANGIANA or Zarangiana; territory around Lake Hāmūn and the Helmand or Hindmand river in modern Sīstān". Encyclopædia Iranica. The name of the country and its inhabitants is first attested as Old Persian z-r-k (i.e., Zranka)in the great Bīsotūn (q.v. iii) inscription of Darius I (q.v.; col. I l. 16), apparently the original name. This form is reflected in the Elamite (Sir-ra-an-qa and variants), Babylonian (Za-ra-an-ga), and Egyptian (srng or srnḳ) versions of the Achaemenid royal inscriptions, as well as in Greek Zarángai, Zarangaîoi, Zarangianḗ (Arrian; Isidore of Charax), and Sarángai (Herodotus) and in Latin Zarangae (Pliny). Instead of this original form, characterized by non-Persian z (perhaps from proto-IE. palatal or *γh), in some Greek sources (chiefly those dependent upon the historians of Alexander the Great, q.v.) the perhaps hypercorrect Persianized variant (cf. Belardi, p. 183) with initial d-, *Dranka (or even *Dranga?), reflected in Greek Drángai, Drangḗ, Drangēnḗ, Drangi(a)nḗ (Ctesias; Polybius; Strabo; Diodorus; Ptolemy; Arrian; Stephanus Byzantius) and Latin Drangae, Drangiana, Drangiani (en:Curtius Rufus; Pliny; Ammianus Marcellinus; Justin) or Drancaeus (Valerius Flaccus, Argonautica 6.106, 6.507) occurs. [1]
  9. ^ Ten Thousand Miles in Persia: Or, Eight Years in Irán By Percy Sykes, pg. 363
  10. ^ Vogelsang, Willem『The Afghans』Wiley-Blackwell、2002年、162頁。ISBN 0-631-19841-5https://books.google.com/books?id=9kfJ6MlMsJQC&pg=PA1622024年3月29日閲覧 
  11. ^ “….As for ibn-Samurah, he established his rule over everything between Zaranj and Kishsh of the land of al-Hind, and over that part of the region of the road of ar-Rukhkhaj which is between it and the province of ad-Dhawar”, The origins of the Islamic State, Part II (1924) page 143 by Murgotten, Francis Clark
  12. ^ Guy Le Strange. The lands of the eastern caliphate: Mesopotamia, Persia, and Central Asia, from the Moslem conquest to the time of Timur. Cambridge geographical series. General editor: F. H. H. Guillemard. reprint Publisher CUP Archive, 1930. Originally published 1905.
  13. ^ Islamic History: A New Interpretation By Muhammad Abdulhavy Shaban
  14. ^ Fiey, Pour un Oriens Christianus, 281
  15. ^ Ariana Antiqua: A Descriptive Account of the Antiquities and Coins of Afghanistan By Horace Hayman Wilson, pg. 154
  16. ^ Joel L. Kraemer, Philosophy in the Renaissance of Islam: Abū Sulaymān Al-Sijistānī and His Circle, Vol. VIII, ed. Itamar Rabinovich, William M. Brinner, Martin Kramer, Joel L. Kraemer and Shimon Shamir, (Brill, 1986), 4.
  17. ^ Bruns, Bettina; Miggelbrink, Judith (2011-10-08) (英語). Subverting Borders: Doing Research on Smuggling and Small-Scale Trade. Springer Science & Business Media. pp. 52. ISBN 978-3-531-93273-6. https://books.google.com/books?id=VlULn9od0HoC&pg=PA52 
  18. ^ Taliban capture regional capital - Afghan officials”. BBC News (6 August 2021). 2024年3月29日閲覧。
  19. ^ a b Taliban Capture Afghan Provincial Capital in a Symbolic Victory”. The New York Times (August 6, 2021). 2024年3月29日閲覧。
  20. ^ "A boom for Afghan smugglers", New York Times, 2022年3月8日, [2] (記事の3つ目の見出し)
  21. ^ رامین「دهاقین، بارش برف در ولایت نیمروز را نوید خوب برای زراعت می دانند」『PAJHWOK AFGHAN NEWS』2016年11月27日。2024年3月29日閲覧。
  22. ^ Zaranj Climate Normals 1969-1983”. アメリカ海洋大気庁. December 26, 2012閲覧。
  23. ^ a b India hands over strategic highway to Afghanistan」『en:The Hindu』2009年1月23日。オリジナルの2009年2月3日時点におけるアーカイブ。2011年8月10日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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