コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ザールラント州立劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザールラント州立劇場
情報
旧名称 ガウ劇場ザールプファルツ
種別 オペラハウス
建設期間 アドルフ・ヒトラー
開館 1938年10月9日 (1938-10-09)
収容人員 875人
所在地 ドイツの旗 ドイツザールラント州ザールブリュッケン
位置 座標: 北緯49度13分51秒 西経6度59分45秒 / 北緯49.23083度 西経6.99583度 / 49.23083; -6.99583
外部リンク http://www.staatstheater.saarland
テンプレートを表示

ザールラント州立劇場(ザールラントしゅうりつげきじょう、: Saarländisches Staatstheater)は、ドイツザールラント州ザールブリュッケン市の街の中心に位置するシラー広場にある歌劇場、劇場で、9月から翌年7月までのシーズンを通してオペラオペレッタミュージカルバレエ演劇コンサートなどが催されている。州立劇場 (Staatstheater)、アルテ・フォイアーヴァッヘ (Alte Feuerwache)、シュパルテ4 (Sparte4) の3つの劇場から構成されている。

沿革

[編集]

ザールラント州立劇場は「総統ヒトラーからの贈り物」[1]としてパウル・バウムガルテン(パウル・オットー・アウグスト・バウムガルテン)によってガウ劇場ザールプファルツ[2]の名称で、1937/1938年に建設された。

1938年10月9日のこけら落としはリヒャルト・ワーグナーの『さまよえるオランダ人』。当時の劇場は客席数は約1200席、赤と金色で装飾された豪華な作りで客席中央には総統席(ボックス席)があった。しかし、1941年と1942年の空襲で劇場は崩壊、戦後に再建された劇場は外観は復元されたが、客席数は約300席少ない875席になり、総統席も無くなった。

戦後、1948年3月6日の再こけら落としは、モーツァルトの『魔笛』。

ヘルマン・ヴェーデキント (Hermann Wedekind)の劇場支配人時代 (1960-1975)、彼は「芸術に国境はない」というモットーのもと、多くの外国人作品、特にフランスグルジア(現:ジョージア)の作品を取り上げ、上演した。劇場では「グルジア週間」が催され、この縁でグルジアの首都トビリシザールブリュッケンは姉妹都市提携を結んだ。劇場前の広場はジョージアの首都に因んで、トビリシ広場(ティフリス広場)と名付けられている[3]

1988年にザールラント州が劇場に関する全権を引き継ぎ、Saarländische Landestheater von der Staatstheater GmbHとなったが、その1年後の1989年にSaarländisches Staatstheater GmbHへ引き継がれ、現在の名称になった。

組織・活動内容

[編集]

通常の上演活動以外に、ザールラント州の若者への芸術振興にも力を注いでおり、以前からある児童バレエ団や児童合唱団の指導に加え、2006年からJörg Wesemüller指導の下、12歳から21歳の若者に授業料無しで演劇の稽古をしてシーズン最期にアルテ・フォイアーヴァッヘで公演を行うJugendclubが導入された。

2009年からはザールラント州の学生[4]は州立劇場の公演を公演の3日前から無料で購入できる制度を導入している。

また、子供や若者向けのコンサートや演劇などの公演も多く行われている。

劇場支配人

[編集]

1960年以降の歴代劇場支配人は次の人たちが務めている。

  • 1960-1975年:ヘルマン・ヴェーデキント (Hermann Wedekind)
  • 1975-1988年:Martin Peleikis
  • 1991-2006年:Kurt-Josef Schildknecht
  • 2006-2017年:Dagmar Schlingmann
  • 2017年-:ボド・ブッセ (Bodo Busse)

音楽総監督

[編集]

1956年以降の歴代音楽総監督は次の人たちが務めている。

  • 1956-1964年:フィリップ・ブスト(Philipp Wüst)
  • 1964-1973年:ジークフリート・ケーラー(Siegfried Köhler)
  • 1975-1977年:クリストフ・プリック(Christoph Prick)
  • 1977-1986年:マティアス・クンチュ(Matthias Kuntzsch)
  • 1986-1988年:イルジー・コウト(Jiri Kout)
  • 1988-1991年:マティアス・クンチュ(Matthias Kuntzsch)
  • 1991-1994年:準・メルクル (Jun Märkl)
  • 1994-1998年:ローラン・ワーグナー(Laurent Wagner)
  • 1998-2001年:オラフ・ヘンツォルト(Olaf Henzold)
  • 2001-2006年:レオニード・グリン(Leonid Grin)
  • コンスタンティン・トリンクス(Constantin Trinks暫定・代理 2006-2009)[5]
  • 2009-2014年:上岡敏之
  • 2014-2018年:ニコラス・ミルトン (Nicholas Milton)
  • 2018年-:セバスティアン・ルロン(Sébastien Rouland)

バレエ

[編集]

現在のバレエ・ディレクターはステイン・セリス(Stijn Celis)

日本関連

[編集]
  • 上岡敏之 (指揮者:2009-2014年、音楽総監督に就任)
  • 松位浩(バス歌手:ソロ専属歌手として在籍)

脚注

[編集]
  1. ^ 1935年、国際連盟の管理下にあったザールラントの帰属を廻って住民投票が行われ、その結果ザールラントはドイツに帰属することになった。その決定に感謝の意を表して、総統ヒトラーは「総統からの贈り物」としてこの劇場を建てた。
  2. ^ ドイツ第三帝国の当時、ドイツはガウという大官区に分かれており、ザールラント周辺はザールプファルツ大官区だった。
  3. ^ ザールの街角、独仏国境の街ドイツ・ザールブリュッケン”. saar.hiroba.de. 2020年12月13日閲覧。
  4. ^ 無料券の対象となるのはUniversität des Saarland, HTW, HfM Saar, HBK Saarの学生で、Tageskasseで学生証を見せるともらうことができる。
  5. ^ 1975年生まれのドイツ人指揮者。2002年に第二指揮者でこの劇場と契約後、2004年に第一指揮者になり、その後、上岡が就任するまでの3年間(2006-2009)、暫定音楽総監督として就任した。2009年シーズンからダルムシュタット州立劇場の音楽総監督。日本では2008年12月の新国立劇場オペラ公演『ドン・ジョヴァンニ』で指揮をした。

外部リンク

[編集]