シカゴ・ブラウンズ
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シカゴ・ブラウンズ(Chicago Browns)は、1884年にイリノイ州シカゴを本拠地として、ユニオン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。シーズン中に本拠地をペンシルベニア州ピッツバーグに移し、"Pittsburgh Stogies"(ピッツバーグ・ストージース)となった。
球団史
[編集]1884年のユニオン・アソシエーション創設に合わせてシカゴで結成され、サウス・サイド・パークを本拠地として使っていた。当時シカゴはキャップ・アンソンが率いるホワイトストッキングの全盛期で、この年不調だった(リーグ4位)とはいえゆるぎない人気を誇っており、ブラウンズの観客動員はホワイトストッキングスの約3分の1にとどまっていた。チームは前年ナショナルリーグのクリーブランドから投手ヒュー・デイリーを雇い入れてリーグに臨み、デイリーは同年シカゴで27勝27敗の成績を残す。
チームの成績は5割そこそこだったが、セントルイス・マルーンズが独走してからは客も集まらなかったようで、8月22日を最後にチームはピッツバーグのレクリエーション・パークに本拠地を移してストージースを名乗った。しかしピッツバーグでは5試合を戦ったのみで、9月18日のゲームを最後にチームは解散、残り日程はマイナーリーグにいたセントポール・ホワイトキャップスが消化することになった。
戦績
[編集]※順位は勝率による。
年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1884年 | UA | 93 | 41 | 50 | .451 | 6位 | エド・ヘングル ジョー・バッティン ジョー・エリック |
South Side Park I Recreation Park |
所属した主な選手
[編集]- ヒュー・デイリー:投手。1884年にリーグ最多の483奪三振を記録した。
主な球団記録
[編集]- 通算安打数:116(ジャンボ・ショーネック)
- 通算得点数:71(ジョー・エリック)
- 通算勝利数:27(ヒュー・デイリー)