コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

キャップ・アンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャップ・アンソン
Cap Anson
1888年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州マーシャルタウン
生年月日 1852年4月17日
没年月日 (1922-04-14) 1922年4月14日(69歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
227 lb =約103 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手三塁手
初出場 1871年5月6日
最終出場 1897年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
殿堂表彰者
選出年 1939年
選出方法 ベテランズ委員会選出

エイドリアン・コンスタンティン・アンソン(Adrian Constantine Anson, 1852年4月17日 - 1922年4月14日)は、アメリカ合衆国アイオワ州マーシャルタウン出身のプロ野球選手(一塁手)及び監督。右投右打。

MLB史上初の3000安打・2000打点を達成した選手。「キャップ」は愛称で、強いリーダーシップから「キャプテン」と呼ばれていたことに由来する。MLBの「カラーライン」を確立した人物とも言われている。

経歴

[編集]

1871年、当時発足したてのリーグであったナショナル・アソシエーション(NA)でデビュー。ロックフォード・フォレストシティーズフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックスとは無関係)でプレーした。アスレチックス時代の1875年には選手兼任監督も務めた。

1876年ナショナルリーグ(MLBのリーグとして現在も続く)発足にあたって、リーグ間協約に反した引き抜きにより シカゴ・ホワイトストッキングスに移籍する。

1879年、この年からホワイトストッキングスの選手兼任監督として活躍。1886年までの間に5回のリーグ制覇を達成している。

1897年に現役を引退。同時にシカゴの監督就任も退任した。

1922年、シカゴにて病死。

1939年ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂に選出。19世紀の選手としてはバック・ユーイングとともに最初の殿堂入りとなった。

監督として

[編集]

常に他の選手達が全力を尽くせるよう環境に気を配っていた。キング・ケリージョージ・ゴアといった名選手もアンソンのもとでプレーしている。 また、ヒットエンドランなどの戦術の整備や、複数投手による先発ローテーションスプリングトレーニングの導入など、現在では当たり前に行われているチーム経営術を確立した人物としても知られている。

選手としての特徴

[編集]

44歳のときに24盗塁を記録するなど息の長い選手であった。19歳でデビューしてから現役は27年続き、MLB史上初となる3000安打を記録している。また、MLB最多となるリーグ最多打点8回を記録している。

人物

[編集]

人種差別主義者としても有名で、白人以外のチームとの試合を固く拒んだという[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1871 ROK 25 122 120 29 39 11 3 0 56 16 6 2 -- -- 2 -- -- 1 0 .325 .336 .467 .803
1872 ATH 46 233 217 60 90 10 7 0 114 48 6 6 -- -- 16 -- -- 3 2 .415 .455 .525 .980
1873 52 259 254 53 101 9 2 0 114 36 1 2 -- -- 5 -- -- 2 2 .398 .409 .449 .858
1874 55 264 260 51 87 8 3 0 101 37 6 0 -- -- 4 -- -- 1 1 .335 .345 .388 .733
1875 69 330 326 84 106 15 3 0 127 58 11 6 -- -- 4 -- -- 2 1 .325 .333 .390 .723
1876 CHC 66 321 309 63 110 9 7 2 139 59 -- -- -- -- 12 -- -- 8 -- .356 .380 .450 .830
1877 59 264 255 52 86 19 1 0 107 32 -- -- -- -- 9 -- -- 3 -- .337 .360 .420 .779
1878 60 274 261 55 89 12 2 0 105 40 -- -- -- -- 13 -- -- 1 -- .341 .372 .402 .775
1879 51 229 227 40 72 20 1 0 94 34 -- -- -- -- 2 -- -- 2 -- .317 .323 .414 .737
1880 86 370 356 54 120 24 1 1 149 74 -- -- -- -- 14 -- -- 12 -- .337 .362 .419 .781
1881 84 369 343 67 137 21 7 1 175 82 -- -- -- -- 26 -- -- 4 -- .399 .442 .510 .952
1882 82 368 348 69 126 29 8 1 174 83 -- -- -- -- 20 -- -- 7 -- .362 .397 .500 .897
1883 98 431 413 70 127 36 5 0 173 68 -- -- -- -- 18 -- -- 9 -- .308 .336 .419 .755
1884 112 504 475 108 159 30 3 21 258 102 29 -- -- -- 29 -- -- 13 -- .335 .373 .543 .916
1885 112 498 464 100 144 35 7 7 214 108 27 -- -- -- 34 -- -- 13 -- .310 .357 .461 .819
1886 125 559 504 117 187 35 11 10 274 147 29 -- -- -- 55 -- -- 19 -- .371 .433 .544 .977
1887 122 533 472 107 164 33 13 7 244 102 27 -- -- -- 60 -- 1 18 -- .347 .422 .517 .939
1888 134 563 515 101 177 20 12 12 257 84 28 -- -- -- 47 -- 1 24 -- .344 .400 .499 .899
1889 134 609 518 100 177 32 7 7 244 117 27 -- -- -- 86 -- 5 19 -- .342 .440 .471 .911
1890 139 623 504 95 157 14 5 7 202 107 29 -- -- -- 113 -- 6 23 -- .312 .443 .401 .844
1891 136 616 540 81 157 24 8 8 221 120 17 -- -- -- 75 -- 1 29 -- .291 .378 .409 .788
1892 146 630 559 62 152 25 9 1 198 74 13 -- -- -- 67 -- 4 30 -- .272 .354 .354 .708
1893 103 467 398 70 125 24 2 0 153 91 13 -- -- -- 68 -- 1 12 -- .314 .415 .384 .800
1894 84 394 343 85 133 29 4 5 185 100 17 -- 7 -- 41 -- 3 15 -- .388 .457 .539 .997
1895 122 545 474 87 159 23 6 2 200 91 12 -- 13 -- 55 -- 3 23 -- .335 .408 .422 .830
1896 108 459 402 72 133 18 2 2 161 90 24 -- 5 -- 49 -- 3 10 -- .331 .407 .400 .808
1897 114 497 424 67 121 17 3 3 153 75 11 -- 9 -- 60 -- 4 27 -- .285 .379 .361 .740
通算:27年 2524 11331 10281 1999 3435 582 142 97 4592 2075 *277 *16 *34 -- 984 -- *32 330 *6 .334 .394 .447 .841
  • 「--」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB最高
  • CHC(シカゴ・ホワイトストッキングス)は、1890年からCHC(シカゴ・コルツ)に球団名を変更

タイトル

[編集]
  • 首位打者:2回(1881年、1888年)
  • 打点王:8回(1880、1881、1882、1884、1885、1886、1888、1891年)※8回は歴代1位

記録

[編集]
  • 通算打点:2076(歴代5位)[2]
  • 通算安打:3435 (歴代7位)
  • 通算得点:1999 (歴代9位)
  • 通算単打:2614 (歴代4位)
  • 実働年数:27年(歴代1位タイ)[3]
  • MLB史上初の通算1000安打(1881年)、2000安打(1888年)、3000安打(1894年)達成
  • MLB史上初の通算1000打点(1886年)、2000打点(1896年)達成
  • 投手として複数本塁打を打たれた次の試合で打者として複数本塁打を記録(1884年)[4]

シカゴ・カブス球団記録

[編集]
  • 歴代1位
    • 通算得点:1722
    • 通算安打:3012
    • 通算二塁打:529
    • 通算打点:1880
    • 通算単打:2262
    • 通算出塁数:3997
  • 歴代2位
    • 通算試合:2277
    • 通算打席:10123
    • 通算打数:9104
    • 通算三塁打:124
    • シーズン打率:.399 (1881年)
  • 歴代3位
    • 通算打率:.331
    • 通算塁打:4080
    • 通算四球:953

投手成績

[編集]
  • 通算:登板数3、0勝1敗、防御率4.50

監督としての戦績

[編集]


















1875 ATH NA 8 4 2 .667 2位 選手兼任、10月11日~
1879 CHC NL 64 41 21 .661 4位 選手兼任、開幕~8月26日
1880 86 67 17 .798 1位 選手兼任
1881 84 56 28 .667 1位
1882 84 55 29 .655 1位
1883 98 59 39 .602 2位
1884 113 62 50 .554 4位
1855 113 87 25 .777 1位
1886 126 90 34 .726 1位
1887 127 71 50 .587 3位
1888 136 77 58 .570 2位
1899 136 67 65 .508 3位
1890 139 83 53 .610 2位
1891 137 82 53 .607 2位
1892 147 70 76 .479 7位
1893 128 56 71 .441 9位
1894 137 57 75 .432 8位
1895 133 72 58 .554 4位
1896 132 71 57 .555 5位
1897 138 59 73 .447 9位
1898 NYG 22 9 13 .409 7位 6月11日7月5日
通算 2288 1295 947 .578

脚注

[編集]
  1. ^ 芝山幹郎. “ステロイドと殿堂。~野球の名誉を汚した男たち~”. Number Web. 2013年1月13日閲覧。
  2. ^ 通算打点数は、1968年に記録が調べなおされた際に判明した。通算2000打点以上は、ハンク・アーロンベーブ・ルースアレックス・ロドリゲスアルバート・プホルスとアンソンの5人だけである。なお、1871~75年のナショナル・アソシエーション時代を含めるか否かでMLB公式サイト、Baseball Reference、ESPNなどの各サイトにより違いがある。MLB公式サイトはナショナル・アソシエーション時代を含めておらず、1879打点としている。
  3. ^ ノーラン・ライアンと並ぶ。
  4. ^ Baseball’s never seen anything like Jose Reyes’ last two days” (英語). New York Post (2018年8月1日). 2018年8月4日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]