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ジャック・グラスコック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャック・グラスコック
Jack Glasscock
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウェストバージニア州ホイーリング
生年月日 1857年7月22日
没年月日 (1947-02-24) 1947年2月24日(89歳没)
身長
体重
5' 8" =約172.7 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
初出場 1879年5月1日
最終出場 1895年7月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジャック・グラスコック(John Wesley "Jack" Glasscock、1857年7月22日 - 1947年2月24日)は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州ホイーリング出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投げ右打ち。

ニックネームは"Pebbly Jack"

経歴

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子供の頃、父親の後を継いで大工になるため小学校を4年で中退し通信教育を受けていたが、15歳の時には既にオハイオ州のバックアイ・ベースボール・クラブの選手となっていた。翌年オハイオ州のスタンダードクラブに昇格し.369の打率を残す。翌年チームはプロ化し、当時グラスコックは月給40ドルでプレーをしていたそうである。

その後より高給を求めてクリーブランドのクラブに移り、1879年にこのチームがナショナルリーグに加盟したことで、グラスコックはメジャーリーグの選手となった。10代だったグラスコックの背はこの頃まだ伸び続けていたそうである。同年は主に二塁手をしていたが、打率.209と打つ方がだめで、翌年には遊撃手にコンバートされた。

1882年には当時の二塁手で兼任監督だったフレッド・ダンラップ、一塁手ビル・フィリップスとともにリーグ最多の併殺数を記録する一方、打率も.291を記録しクリーブランドの中軸を打つまでになっていた。1884年ユニオン・アソシエーションが活動した年は、シーズン途中にクリーブランドを離れシンシナティ・アウトロー・レッズに参加し、38試合の出場ながら打率.419と大暴れする。グラスコックはその後も高い守備率やリーグ最多の併殺数を誇る一方で、打率3割前後を毎年残す打者になっていた。インディアナポリスの監督を兼任していた1889年には、リーグ最多の205安打と打率.352、7本の本塁打とキャリア最高の数字を残した。

1890年に選手組合がプレイヤーズ・リーグを創設し多くの選手が移籍した際、以前のユニオン・アソシエーション参加の際のごたごたに懲りていたグラスコックはナショナルリーグに留まったが、逆にそのことで選手組合に参加していた他の多くの選手から非難されることになった。この年グラスコックは打率.336を記録、ナショナルリーグの首位打者となる。

1891年に手を負傷してからは徐々に出場機会が減り、1895年にメジャーリーグから引退した。その後生まれ故郷の「アイアン・アンド・オイル・リーグ」でエド・バローが率いるチームに参加、4割の打率を残してチームをリーグ優勝に導くなど、1901年頃までマイナーリーグでプレーを続けていた。野球選手引退後は大工となり、1947年に90歳で亡くなった。

人物

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グラスコックは内野守備の際に、グラウンドの小石をしょっちゅう拾っては外に放り投げるという習慣があったそうで、"Pebbly"(石ころだらけの意味[1])というニックネームは、これを見たシンシナティの新聞記者がつけたあだ名である。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1879 CLV 80 331 325 31 68 9 3 0 83 29 -- -- -- -- 6 -- -- 24 -- .209 .224 .255 .479
1880 77 298 296 37 72 13 3 0 91 27 -- -- -- -- 2 -- -- 21 -- .243 .248 .307 .556
1881 85 350 335 49 86 9 5 0 105 33 -- -- -- -- 15 -- -- 8 -- .257 .289 .313 .602
1882 84 371 358 66 104 27 9 4 161 46 -- -- -- -- 13 -- -- 9 -- .291 .315 .450 .765
1883 96 396 383 67 110 19 6 0 141 46 -- -- -- -- 13 -- -- 23 -- .287 .311 .368 .679
1884 72 306 281 45 70 4 4 1 85 22 -- -- -- -- 25 -- -- 16 -- .249 .310 .302 .613
COR 38 180 172 48 72 9 5 2 97 -- -- -- -- -- 8 -- -- -- -- .419 .444 .564 1.008
'84計 110 486 453 93 142 13 9 3 182 22 -- -- -- -- 33 -- -- 16 -- .313 .360 .402 .762
1885 SLM 111 475 446 66 125 18 3 1 152 40 -- -- -- -- 29 -- -- 10 -- .280 .324 .341 .665
1886 121 524 486 96 158 29 7 3 210 40 38 -- -- -- 38 -- -- 13 -- .325 .374 .432 .806
1887 IND 122 534 483 91 142 18 7 0 174 40 62 -- -- -- 41 -- 10 8 -- .294 .361 .360 .722
1888 113 463 442 63 119 17 3 1 145 45 48 -- -- -- 14 -- 7 17 -- .269 .302 .328 .630
1889 134 618 582 128 205 40 3 7 272 85 57 -- -- -- 31 -- 5 10 -- .352 .390 .467 .857
1890 NYG 124 562 512 91 172 32 9 1 225 66 54 -- -- -- 41 -- 9 8 -- .336 .395 .439 .834
1891 97 410 369 46 89 12 6 0 113 55 29 -- -- -- 36 -- 5 11 -- .241 .317 .306 .623
1892 STL 139 617 566 83 151 27 5 3 197 72 26 -- -- -- 44 -- 7 19 -- .267 .327 .348 .675
1893 48 225 195 32 56 8 1 1 69 26 20 -- -- -- 25 -- 5 3 -- .287 .382 .354 .736
PIT 66 314 293 49 100 7 11 1 132 74 16 -- -- -- 17 -- 4 4 -- .341 .385 .451 .836
'93計 114 539 488 81 156 15 12 2 201 100 36 -- -- -- 42 -- 9 7 -- .320 .384 .412 .796
1894 87 384 335 47 94 10 7 1 121 65 18 -- 13 -- 32 -- 4 4 -- .281 .350 .361 .712
1895 LOU 18 81 74 9 25 3 1 1 33 6 1 -- 1 -- 3 -- 3 1 -- .338 .388 .446 .833
WAS 25 113 100 20 23 2 0 0 25 10 3 -- 3 -- 7 -- 3 3 -- .230 .300 .250 .550
'95計 43 194 174 29 48 5 1 1 58 16 4 -- 4 -- 10 -- 6 4 -- .276 .337 .333 .670
通算:17年 1737 7552 7033 1164 2041 313 98 27 2631 827 372 -- 17 -- 440 -- 62 212 -- .290 .337 .374 .712
  • 各年度の太字はリーグ最高

投手記録

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  • 通算:5試合、投球回7.0、奪三振3、被安打12、被本塁打0、自責点5、防御率6.43

タイトル

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  • 首位打者:1回(1890年)

記録

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年度別監督成績

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※順位は年度最終順位

年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1889年 IND NL 67 34 32 .515 7位 7月22日~
1892年 STL 4 1 3 .250 11位 開幕~4月17日
通算 71 35 35 .500

脚注

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  1. ^ 転じて「扱いにくい」という意味もある。

関連項目

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出典・外部リンク

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