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ゲーブ・キャプラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲーブ・キャプラー
Gabe Kapler
サンフランシスコ・ジャイアンツでの監督時代
(2023年6月13日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド
生年月日 (1975-07-31) 1975年7月31日(49歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1995年 MLBドラフト57巡目
初出場 MLB / 1998年9月20日
NPB / 2005年4月1日
最終出場 MLB/ 2010年8月14日
NPB / 2005年5月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

ゲイブリエル・ステファン・キャプラーGabriel Stefan Kapler1975年7月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド出身の元プロ野球選手外野手)、監督。右投右打。

経歴

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プロ入りとタイガース時代

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1995年MLBドラフト57巡目(全体1487位)でデトロイト・タイガースから指名され、プロ入り。

1998年に22歳でメジャーデビューを果たす。

レンジャーズ時代

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1999年11月にフアン・ゴンザレスらとのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した。

ロッキーズ時代

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2002年7月にトレードで、コロラド・ロッキーズへ移籍した。

レッドソックス時代

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ボストン・レッドソックス時代
(2004年4月20日)

2003年シーズン途中にトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した。

2004年はレッドソックスで136試合に出場、打率.272、6本塁打、33打点を記録。左投手要員と外野全てを守れる選手として広い守備範囲と強肩で、2004年のレッドソックスのワールドシリーズ制覇へとつながった快進撃に貢献した。

巨人時代

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2004年11月22日に読売ジャイアンツは守備力を期待しセンターラインの補強として契約した[1]

2005年のキャンプでは外野の深い位置から目の覚めるような送球を見せ、ファンを期待させたが、来日する数年前から足の故障もあってホームへのダイレクト返球向きの大きな送球モーションをつかれ走られることが多かった(4月24日の中日ドラゴンズ戦で、井端弘和の中堅前の単打で一塁走者の荒木雅博が生還するなど)。その大きなモーションを改めたら、今度は送球が手投げ同然になり強肩が発揮されなくなったため結局は走られていた。不動のレギュラーの清水隆行を押しのけてポジションは開始当初は中堅手で出場していたが打撃不振で左翼手にコンバートされると併用になり最終的には清水にレギュラーを奪い返されるなど最後まで日本野球に適応することはできず、持病の腰痛を再発させた事を理由に6月4日に出場登録抹消[2]され、治療に専念していたが、完治の見込みが立たず、7月8日に契約解除を球団に申し出ると球団も了承した[3]。開幕から17打席無安打を含め38試合、111打数で17安打打率.153と低迷した。

レッドソックス復帰

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帰国後の7月15日に古巣のレッドソックスとメジャー契約を結んだが、15日間の故障者リスト入りし、AAA級ポータケット・レッドソックスでプレー。同じ元巨人のロベルト・ペタジーニと共に本塁打を放ち、対左投手要員という元のサヤに収まっていたが、アキレス腱断裂のため出場試合機会が減少。レッドソックスでの成績は36試合出場で打率.247、1本塁打、9打点だった。オフにFAとなった。

2006年も再びレッドソックスでプレーしたが、72試合出場で打率.254、2本塁打、12打点と満足な成績を残せず、この年のオフに一旦引退。

2007年はレッドソックス傘下のマイナーで監督を務めていたが、9月20日にレッドソックスは現役復帰の意向を示したと発表し、その後ミルウォーキー・ブルワーズと1年契約を結んだ。

ブルワーズ時代

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2008年、ブルワーズでは98試合に出場。打率.301、出塁率.340、8本塁打という結果を残している。守備でも強肩を発揮する場面もあった。キャプラーは対左を得意としており、(対左には)82打数で.354、4本塁打の数字を残している。

レイズ時代

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タンパベイ・レイズでの現役時代
(2009年5月12日)

2009年1月12日、タンパベイ・レイズと1年100万18ドルで契約を結んだ。端数の18ドルには(キャプラー自身の)ラッキーナンバーとユダヤ教における生命という意味が込められている。キャプラーはマット・ジョイスと中堅手のポジションを争った。なお、当時レイズの中堅手には不動のレギュラーであるB.J.アップトンがいたのだが、オフに行った左肩手術の関係で開幕は絶望的だった。4月13日、レイズの大量リードのためマウンドに上がったニック・スウィッシャー(本来は外野手)と対戦、三振を喫した。シーズン中は右翼手としてゲーブ・グロスと併用されていた。7月10日時点では長打率は.505をマークし、75打数で打率.320、4本塁打をマークしていた。対左に対しては滅法強く長打率は.680をマークしていた。安打のうち64本が長打となっており、100打席以上の野手ではトップの長打数をマークしていた。7月23日に当時ホワイトソックスのマーク・バーリーが完全試合を達成した試合にも出場している。この試合でキャプラーは本塁打性の打球を放ったものの、ドウェイン・ワイズの好捕によって完全試合を阻むには至らなかった。10月27日、レイズと1年105万ドルで再契約を結んだ。2009年シーズン、キャプラーは対左キラーとして活躍し、(対左に対して)打率.304、長打率.577の成績を残す。レイズのGMであるアンドリュー・フリードマンはキャプラーを「(キャプラーほど)対左に打ってつけの選手はいないし、守備も素晴らしい。チームに欠かせない人材となっているし、チームにいるだけで、若手に手本としていい影響を与えている。」と高く評価した。

2010年スプリングトレーニングではまたもジョイスと右翼手のポジションを争った。しかし、シーズンを通して出場試合は59試合で打率.210、2本塁打の低成績に終わり、シーズンオフにはFAとなった。

引退とその後

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2011年1月18日にはロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約した。スプリングトレーニングで招待選手として参加したものの、同年3月31日で契約を解除された。

引退後はフォックス放送で解説者を務めた[4]

2014年にドジャースの強化育成部門として球団フロント入りした。

2015年からファームディレクターとなった[5]

2016年オフに第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のイスラエル代表コーチを務めた。同大会でイスラエルは本戦初進出を果たした。

2017年1月にはイスラエル代表選手10名と共にイスラエルの第2都市テルアビブを表敬訪問した。しかし、第4回WBC本戦はドジャースのスプリングトレーニングと日程が重なるため、代表コーチを辞退[6]

2017年10月30日にフィラデルフィア・フィリーズの監督に就任することが発表された[7][8]

2019年10月10日に解任された[9]

2020年からはサンフランシスコ・ジャイアンツの監督を務める[10]

2021年は、チーム史上最多となる107勝を記録するとともに、監督として初となる地区優勝を経験。前年まで8年連続でナショナルリーグ西地区を制していたロサンゼルス・ドジャースの優勝を阻止した。同年オフの11月16日に全米野球記者協会から自身初となる最優秀監督賞を受賞した[11]

2023年は2年連続でプレーオフ進出を逃したことでシーズン途中の9月29日に解任された。残りの3試合はヘッドコーチのカイ・コレアが監督代行を務めた。

人物

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ユダヤ系アメリカ人の実業家の家に生まれた。MLBでは有名なボディビルダーであり、シーズンオフになると、ボディビルに力を入れていた[12]。鍛え抜かれた身体を生かし、数々のエクササイズ雑誌に登場した。また、スポーツシューズのCMに出演し、懸垂をしたこともある。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 DET 7 26 25 3 5 0 1 0 7 0 2 0 0 0 1 0 0 4 0 .200 .231 .280 .511
1999 130 468 416 60 102 22 4 18 186 49 11 5 4 4 42 0 2 74 7 .245 .315 .447 .762
2000 TEX 116 491 444 59 134 32 1 14 210 66 8 4 2 3 42 2 0 57 12 .302 .360 .473 .833
2001 134 556 483 77 129 29 1 17 211 72 23 6 2 7 61 2 3 70 10 .267 .348 .437 .785
2002 72 214 196 25 51 12 1 0 65 17 5 2 7 3 8 0 0 30 3 .260 .285 .332 .617
COL 40 128 119 12 37 4 3 2 53 17 6 2 0 0 8 0 1 23 2 .311 .359 .445 .804
'02計 112 342 315 37 88 16 4 2 118 34 11 4 7 3 16 0 1 53 5 .279 .313 .375 .688
2003 39 75 67 10 15 2 0 0 17 4 2 0 0 0 8 1 0 18 3 .224 .307 .254 .561
BOS 68 172 158 29 46 11 1 4 71 23 4 2 0 0 14 0 0 23 5 .271 .349 .449 .798
'03計 107 247 225 39 61 13 1 4 88 27 6 2 0 0 22 1 0 41 8 .271 .336 .391 .727
2004 136 310 290 51 79 14 1 6 113 33 5 4 1 2 15 0 2 49 2 .272 .311 .390 .701
2005 巨人 38 120 111 11 17 1 1 3 29 6 2 0 0 0 9 0 0 19 4 .153 .217 .261 .478
BOS 36 104 97 15 24 7 0 1 34 9 1 0 1 1 3 0 2 15 1 .247 .282 .351 .633
2006 72 147 130 21 33 7 0 2 46 12 1 1 0 0 14 0 3 15 3 .254 .340 .354 .694
2008 MIL 96 245 229 36 69 17 2 8 114 38 3 1 1 1 13 0 1 39 3 .301 .340 .498 .838
2009 TB 99 238 205 26 49 15 1 8 90 32 5 2 1 3 29 1 0 39 9 .239 .329 .439 .768
2010 59 140 124 19 26 4 0 2 36 14 1 1 1 1 11 0 3 24 3 .210 .288 .290 .578
MLB:12年 1104 3314 2983 443 799 176 16 82 1253 386 77 30 20 25 269 6 17 480 68 .268 .329 .420 .749
NPB:1年 38 120 111 11 17 1 1 3 29 6 2 0 0 0 9 0 0 19 4 .153 .217 .261 .478

年度別守備成績

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一塁守備


一塁(1B)












2002 TEX 1 1 0 0 0 1.000
2003 BOS 1 3 0 0 0 1.000
MLB 2 4 0 0 0 1.000
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1998 DET - - 6 9 0 0 0 1.000
1999 - 114 267 3 4 1 .985 32 35 1 2 1 .947
2000 TEX - 84 220 4 8 3 .966 40 86 1 2 1 .978
2001 - 133 344 8 1 3 .997 -
2002 31 56 2 1 0 .983 23 41 4 0 0 1.000 18 21 1 2 0 .917
COL 15 17 1 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000 23 44 2 0 0 1.000
'02計 46 73 3 1 0 .987 24 42 4 0 0 1.000 41 65 3 2 0 .971
2003 15 6 1 0 1 1.000 2 6 0 0 0 1.000 13 17 2 1 0 .950
BOS 25 21 1 1 0 .957 8 16 2 2 0 .900 30 40 2 3 1 .933
'03計 40 27 2 1 1 .967 10 22 2 2 0 .923 43 57 4 4 1 .938
2004 18 13 0 0 0 1.000 17 24 1 2 0 .926 101 133 5 2 0 .986
2005 8 1 0 0 0 1.000 12 19 0 0 0 1.000 22 45 0 0 0 1.000
2006 21 18 2 0 0 1.000 14 17 0 0 0 1.000 37 48 2 0 1 1.000
2008 MIL 17 22 1 0 0 1.000 36 70 0 1 0 .986 14 9 0 0 0 1.000
2009 TB 14 8 0 0 0 1.000 12 27 1 0 0 1.000 66 108 4 2 0 .982
2010 12 12 1 0 0 1.000 2 0 0 0 0 ---- 39 46 0 0 0 1.000
MLB 176 174 9 2 1 .989 458 1052 23 18 7 .984 441 641 20 14 4 .979
NPB


外野(OF)












2005 巨人 35 55 1 0 0 1.000
NPB 35 55 1 0 0 1.000

年度別監督成績

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ポストシーズン
勝敗
2018 PHI NL 東 42歳 162 80 82 .494 3/ 5
2019 43歳 162 81 81 .500 4/ 5
2020 SF NL 西 44歳 60 29 31 .483 3/ 5
2021 45歳 162 107 55 .660 1/ 5 NLDS敗退 2勝3敗
2022 46歳 162 81 81 .500 3/ 5
2023 47歳 159 78 81 .491 4/ 5 途中解任
MLB:6年 867 456 411 .526 - 2勝3敗
  • 2023年度シーズン終了時。
  • 年度の太字は最優秀監督賞受賞。
  • 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)。
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム

表彰

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  • ナショナルリーグ最優秀監督賞:1回(2021年)[13]

記録

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NPB

背番号

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  • 51(1998年)
  • 23(1999年 - 2000年)
  • 19(2001年、2002年 - 2003年、2004年、2010年、2019年 - 2023年)
  • 18(2002年)
  • 29(2003年)
  • 22(2005年、2018年)
  • 44(2005年 - 2006年)
  • 33(2008年)
  • 27(2009年)

脚注

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出典

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  1. ^ 「巨人に新助っ人 俊足・強肩キャプラー RソックスVメンバー センターライン強化」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)11月23日付朝刊、23面(スポーツ面)。
  2. ^ 「巨人・キャプラーの登録を抹消へ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)6月4日付朝刊、27面(スポーツ面)。
  3. ^ 「キャプラー退団へ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)7月9日付朝刊、23面(スポーツ面)。
  4. ^ 週刊ベースボール2013年12月16日号 P80
  5. ^ 元巨人のキャプラー氏がド軍ファームディレクターに就任 ”. スポーツニッポン. 2014年11月7日閲覧。
  6. ^ “イスラエル 韓国食った 本大会初出場も実はメジャー経験者ずらり”. スポニチアネックス. (2017年3月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/03/07/kiji/20170307s00001004067000c.html 2017年11月2日閲覧。 
  7. ^ Todd Zolecki (2017年10月30日). “Phillies name Kapler next manager” (英語). MLB.com. 2017年10月31日閲覧。
  8. ^ R.J.Anderson (2017年10月30日). “Phillies name Gabe Kapler as their new manager” (英語). CBS Sports. 2017年10月31日閲覧。
  9. ^ Steve Adams (2019年10月10日). “Phillies Fire Gabe Kapler” (英語). MLB Trade Rumors. 2019年11月3日閲覧。
  10. ^ Maria Guardado (2019年11月12日). “Giants hire Gabe Kapler as new manager” (英語). MLB.com. 2019年11月13日閲覧。
  11. ^ Gabe Kapler wins NL Manager of the Year after leading Giants to 107 victories” (英語). BBWAA – Baseball Writers' Association of America (November 16, 2021). November 17, 2021閲覧。
    Steve Gilbert (November 16, 2021). “Stunning season earns Kapler NL MOY” (英語). MLB.com. November 17, 2021閲覧。
  12. ^ Gabe Kapler Pictures”. fanpix.famousfix.com. 2019年3月27日閲覧。
  13. ^ Manager of the Year” (英語). MLB.com. November 17, 2021閲覧。

関連項目

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外部リンク

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