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カーク・ギブソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーク・ギブソン
Kirk Gibson
2017年3月18日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシガン州ポンティアック
生年月日 (1957-05-28) 1957年5月28日(67歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1978年 MLBドラフト1巡目(全体12位)
初出場 1979年9月8日
最終出場 1995年8月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

カーク・ハロルド・ギブソンKirk Harold Gibson , 1957年5月28日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州ポンティアック出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。左投左打。

現役時代は主にデトロイト・タイガースロサンゼルス・ドジャースでプレーした。アリゾナ・ダイヤモンドバックス2010年シーズン途中より監督代行に就任し、2011年より正式に監督に就任して2014年まで務めた。

経歴

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最初のタイガース時代

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ミシガン州立大学では野球の他にアメリカンフットボールでもワイドレシーバー(WR)として全米大学チームに選出されるほどの活躍を見せた。大学卒業時にはMLBデトロイト・タイガースNFLセントルイス(現在はアリゾナ)・カージナルスの両方からドラフト指名を受けたが、野球を選択。タイガース入りして1979年9月8日にメジャーデビューを果たす。1983年には右翼手のレギュラーとなり、1984年にはチームが地区優勝し、ア・リーグチャンピオンシップシリーズではMVPに選出される活躍を見せ、チームをワールドシリーズに導く。ワールドシリーズでもサンディエゴ・パドレスを破り、ワールドチャンピオンに輝いた。タイガースが3勝1敗と王手をかけたタイガースタジアムでの第5戦、8回表にパドレスが1点を返して1点差に迫ったその裏、ギブソンはパドレスのリリーフエース、リッチ・ゴセージ2008年アメリカ野球殿堂入り、ダイエーでもプレー)から4点差と引き離すダメ押しの3ランホームランを打ち、シリーズの趨勢を決する一打となった。

1984年は27本塁打・29盗塁を記録し、ワールドチャンピオンも経験した。

1985年は29本塁打、30盗塁で惜しくもThe 30-30 club」(30本塁打30盗塁)を逃す。この年のオフにフリーエージェント(FA)となる。去就が注目されたが、当時は各球団のオーナーが共謀してギブソンのような高額フリーエージェントとの契約を避けたために良いオファーが得られず、旧所属球団との交渉期限となる1986年1月8日にタイガースと再契約。このシーズンも28本塁打34盗塁と惜しくも「30-30」を逃し、結局引退まで30-30は達成できず終いとなった。1987年も24本塁打を打ってチームの地区優勝に貢献。その年のオフに、1985年から1987年にかけてのオーナーの共謀が反トラスト法違反とみなされ、ギブソンも再度FAが認められ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。1987年には、フロリダ州レイクランドで自家用セスナ機(セスナ 206)で標高25,200フィート(約7,500メートル)を飛び、全米飛行家協会英語版公認の最高記録を達成した。

タイガース時代の監督スパーキー・アンダーソンはチーム事情のためにギブソンのメジャー昇格が早まってしまったことを後に悔やんでいる。もう少し経験を積ませてからの方がよい成績を収められたと語っている。

「The Home Run」(ドジャース時代)

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映像外部リンク
ギブソンの逆転サヨナラ本塁打
ワールドシリーズ第1戦、1988年10月15日
WS1988 Gm1: Scully's call of Gibson memorable at-bat - ギブソンが代打起用されてから試合終了まで、MLB公式YouTubeチャンネル
上記動画の本塁打シーン(6分42秒-)

初のナ・リーグとなった1988年は、終盤に足を痛めたが132試合で打率.290、25本塁打、75打点と活躍しチームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズは、メッツ有利がささやかれていた。第3戦では雨のシェイ・スタジアムで、ムーキー・ウィルソンの打球を足を滑らせて膝立ちになりながらもキャッチ。第4戦は同点で延長戦となり、12回表に決勝のソロホームランを打つ。そして第5戦では5回表に3点本塁打を放つなどの活躍で、チームのワールドシリーズ進出に貢献した。

ワールドシリーズも、ホセ・カンセコマーク・マグワイアらの強打を誇るオークランド・アスレチックス有利と予想されていた。このシリーズでは、ギブソンは足の故障を悪化させて走ることができず、スターティングラインナップからは外された。迎えた本拠地ドジャー・スタジアムでの第1戦。1回裏にドジャースが2点を先制するが、アスレチックスは2回表にカンセコの満塁本塁打であっさり4-2と逆転。ドジャース打線はその後、アスレチックスのエース、デーブ・スチュワートに抑えられ、6回に1点を返し4-3と1点差に迫るが、アスレチックスは9回裏にその年45セーブをあげたリリーフエースのデニス・エカーズリー(のち殿堂入り)が登板。すぐに2アウトを取るが、代打の、マイク・デービス英語版が四球で出塁。続いてギブソンが投手アレハンドロ・ペーニャの代打に起用される。

デービスが二塁盗塁成功。3ボール、2ストライクのフルカウントからエカーズリーが投げた、彼が得意とするローボールの[1]、スライダーを片手打ちのようにスイングすると[1]、打球は右翼スタンドへの逆転サヨナラ2点本塁打となった。ギブソンが二塁ベースから三塁へ向かう途中で見せた独特の両腕をパシッと前後に出したポーズは日本でも放映された[1]。そして、足を引きずりながらダイヤモンドを一周する姿はこの年のMLBのハイライトと言えるシーンとなった。ギブソンがこのシリーズに出場したのはこの1試合、1打席きりであったが、永遠に語り継がれるであろう一打となった。ドジャースはオーレル・ハーシュハイザーの力投もあって4勝1敗でアスレチックスを下し、両リーグでワールドチャンピオンを経験した。なお、このワールドシリーズから30年後の2018年10月27日、ドジャースタジアムでのワールドシリーズ第4戦でエカーズリーとギブソンによる始球式が行われた。

そして、その年のナ・リーグMVPに選出された。シーズンの成績は特筆すべきものではなかったが、プレイオフ、ワールドシリーズでの印象的な活躍によって選ばれた。

その後、1989年1990年はいずれも故障で100試合以下の出場にとどまり、1990年限りでFAとなってドジャースを去る。

カンザスシティ・ロイヤルズ以後

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1991年にはカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。この年132試合に出場するが打率.236、16本塁打に終わり、翌1992年ピッツバーグ・パイレーツに移籍。この年はわずか16試合の出場に終わって自由契約となり、1993年は古巣タイガースに6年ぶりに復帰。その年は116試合に出場。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが途中で終わった翌1994年は98試合の出場で23本塁打を打つ活躍を見せるも、1995年8月に現役を引退。

現役引退後

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1998年から2002年にはFSNのタイガース担当解説者を務め、2003年にはタイガースのベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)に就任。2005年には打撃コーチに変更。2007年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍してベンチコーチとなる。2010年シーズン途中で監督A・J・ヒンチが解任され、7月1日に監督代行に就任した。同年シーズン終了後に正式な監督としての契約(2011年から2年契約+チームオプション1年)を結んだ[2]。2010年は地区最下位に終わったチームを、2011年には94勝をあげて地区優勝に導き、最優秀監督賞を受賞した[3]。選手としてMVPを受賞し、監督として最優秀監督賞を受賞したのは史上4人目となった(他の3人はフランク・ロビンソンジョー・トーリドン・ベイラー)。2014年9月に成績不振により解任された。

2017年1月9日に、ミシガン州立大学時代のアメリカン・フットボールの実績が評価され、カレッジフットボール殿堂に選出された。1レシーブの平均ヤード20.96は、2017年現在でも同大学の歴代最高記録となっている[4]

人物

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現役時代にギブソンがつけていた背番号はほとんどが「23」であったが、2000年にタイガースの背番号23はウィリー・ホートン永久欠番となったため、2003年から2年間ギブソンがタイガースでコーチを務めた際につけていた背番号は隣の番号である「22」だった。ダイヤモンドバックス監督時代は現役時代と同じ背番号23だった。2016年終了時点で、リーグMVPになった選手でオールスターの出場歴がないのはギブソンのみである。

1979年から1984年までタイガースのチームメイトだったデーブ・ロゼマ英語版とは、お互いの夫人同士が姉妹という義兄弟となる。タイガースがワールドシリーズ優勝した1984年12月22日に合同で結婚式を行った。ロゼマは1977年の15勝をはじめ1986年に引退するまで60勝(53敗)を記録。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1979 DET 12 39 38 3 9 3 0 1 15 4 3 3 0 0 1 0 0 3 0 .237 .256 .395 .651
1980 51 189 175 23 46 2 1 9 77 16 4 7 1 2 10 0 1 45 0 .263 .303 .440 .743
1981 83 313 290 41 95 11 3 9 139 40 17 5 1 2 18 1 2 64 9 .328 .369 .479 .848
1982 69 294 266 34 74 16 2 8 118 35 9 7 1 1 25 2 1 41 2 .278 .341 .444 .785
1983 128 467 401 60 91 12 9 15 166 51 14 3 5 4 53 3 4 96 2 .227 .320 .414 .734
1984 149 611 531 92 150 23 10 27 274 91 29 9 3 6 63 6 8 103 4 .282 .363 .516 .879
1985 154 670 581 96 167 37 5 29 301 97 30 4 3 10 71 16 5 137 5 .287 .364 .518 .882
1986 119 521 441 84 118 11 2 28 217 86 34 6 1 4 68 4 7 107 8 .268 .371 .492 .863
1987 128 568 487 95 135 25 3 24 238 79 26 7 1 4 71 8 5 117 5 .277 .372 .489 .861
1988 LAD 150 632 542 106 157 28 1 25 262 76 31 4 3 7 73 14 7 120 8 .290 .377 .483 .860
1989 71 292 253 35 54 8 2 9 93 28 12 3 0 2 35 5 2 55 5 .213 .312 .368 .679
1990 89 359 315 59 82 20 0 8 126 38 26 2 0 2 39 0 3 65 4 .260 .345 .400 .745
1991 KC 132 540 462 81 109 17 6 16 186 55 18 4 1 2 69 3 6 103 9 .236 .341 .403 .744
1992 PIT 16 60 56 6 11 0 0 2 17 5 3 1 1 0 3 0 0 12 1 .196 .237 .304 .541
1993 DET 116 454 403 62 105 18 6 13 174 62 15 6 0 3 44 4 4 87 2 .261 .337 .432 .769
1994 98 382 330 71 91 17 2 23 181 72 4 5 2 5 42 3 3 69 2 .276 .358 .548 .906
1995 70 265 227 37 59 12 2 9 102 35 9 2 0 2 33 3 3 61 6 .260 .358 .449 .808
通算:17年 1635 6656 5798 985 1553 260 54 255 2686 870 284 78 23 56 718 72 61 1285 72 .268 .352 .463 .815

監督としての年度別成績

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年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/
チーム数
備考 勝敗表
2010年 ARI NL 西 53 83 34 49 .410 5 / 5 監督代行
2011年 54 162 94 68 .580 / 5 NLDS敗退 2勝3敗
2012年 55 162 81 81 .500 3 / 5
2013年 56 162 81 81 .500 2 / 5
通算:4年 569 290 279 .510

表彰

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、142-143頁。ISBN 4-583-03411-3 
  2. ^ “ギブソン監督と2年契約=米大リーグ・Dバックス”. 時事通信. (2010年10月5日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201010/2010100500291 2011年2月15日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ “MLB=年間最優秀監督、ダイヤモンドバックス監督ら”. ロイター. (2011年11月16日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-24216520111117 2011年11月17日閲覧。 
  4. ^ “元MVPの強打者K.ギブソン氏、大学アメフトの殿堂入り”. iSM(Yahoo!JAPAN). (2017年1月10日). オリジナルの2017年1月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170119052554/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170110-00000214-ism-base 2017年1月19日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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