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ケン・カミニティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケン・カミニティ
Ken Caminiti
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ハンフォード
生年月日 1963年4月21日
没年月日 (2004-10-10) 2004年10月10日(41歳没)
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 三塁手
プロ入り 1984年 MLBドラフト3巡目
初出場 1987年7月16日
最終出場 2001年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケネス・ジーン・カミニティKenneth Gene Caminiti , 1963年4月21日 - 2004年10月10日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハンフォード出身のプロ野球選手三塁手)。右投両打(スイッチヒッター)。

経歴

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サンノゼのレイ高では野球の他にアメリカンフットボールバスケットボールでも活躍。サンノゼ州立大学を経て、ヒューストン・アストロズに入団。

2年間のマイナーリーグでのプレイの後、1987年7月16日にメジャーデビュー。

1988年は再びマイナーで過ごして、メジャーでも30試合に出場。

1989年にはレギュラーに定着し、161試合に出場。以後アストロズでは1994年までプレイするが、最多でも18本塁打(1994年)、80打点(1991年)であった。

1994年にオールスター初出場を果たし、この頃から打球がよく伸びるようになった[1]

1995年に12選手が絡む大規模なトレードサンディエゴ・パドレスに移籍。いきなりこの年打率.302、26本塁打、94打点と活躍。守備面でも高い評価を受けてこの年から3年連続してゴールドグラブ賞を受賞。同僚のトニー・グウィンに比肩する打者と認められていたが、それだけに同年に最終的に達成できなかったもの対戦相手の投手であったペドロ・マルティネスに延長10回まで完全試合の結果を出されたことから「グウィンやカミニティさえも完ぺきなピッチングに翻弄された」と引き立て役となってしまうこともあった[2]

そして1996年には打率.326、40本塁打、130打点の大活躍でナ・リーグMVPを満票で受賞[1]シルバースラッガー賞も受賞した。2回目の出場となったオールスターでも本塁打を放った。また、この年には1試合両打席本塁打を8月中の3回を含め4回記録している。

1998年にはチームのワールドシリーズ出場に貢献。この年限りでフリーエージェント(FA)権を行使し、アストロズに復帰した。

しかし、故障もあって出場機会は激減。2001年にはテキサス・レンジャーズに移籍し、さらにシーズン途中でアトランタ・ブレーブスに移籍。この年限りで現役を引退した。

現役時代は慈善活動に力を入れており、チームの「65バラ(黒人に多く見られる血液の病気の名前)の会」の会長を務め、毎年8月には自らの名を冠したゴルフ・トーナメントを開催して病院に寄付していた[1]

薬物乱用と突然の死

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現役時代からさまざまな問題を抱え、1994年にはアルコール使用障害に陥っていることを表明(2000年にリハビリ施設に入る)。

引退後、MVPを獲得した1996年を含む数年間にわたってステロイド剤を使用していたことをウォーリー・ジョイナー(パドレス時代のチームメイト)と共に告白。これによって薬物疑惑が沸騰し、メジャーリーグ機構はおろか議会まで巻き込む大問題に発展。

現役最晩年の2001年3月にはコカイン不法所持で逮捕され、執行猶予つきの有罪判決を受ける。2004年9月にはコカインの陽性反応を示し、10月5日にヒューストンの裁判所から執行猶予が停止され、懲役180日を宣告されたが、すでに刑期を勤めていたため釈放された。それからわずか5日後の10月10日、ニューヨークブロンクス心臓発作を起こし、リンカーン記念病院で急死。41歳。死後、11月1日に、ニューヨーク市警によって死因がコカインとアヘンによるオーバードースと発表された。

ステロイドの後遺症として1996年シーズン終了時には睾丸が縮んで萎縮し、ホルモンバランスも20%まで減退して体が女性化していた[3]と明かしており、これは死亡後の検視解剖によって実際に明らかになっている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 HOU 63 218 203 10 50 7 1 3 68 23 0 0 2 1 12 1 0 44 6 .246 .287 .335 .622
1988 30 89 83 5 15 2 0 1 20 7 0 0 0 1 5 0 0 18 3 .181 .225 .241 .466
1989 161 646 585 71 149 31 3 10 216 72 4 1 3 4 51 9 3 93 8 .255 .316 .369 .685
1990 153 596 541 52 131 20 2 4 167 51 9 4 3 4 48 7 0 97 15 .242 .302 .309 .611
1991 152 632 574 65 145 30 3 13 220 80 4 5 3 4 46 7 5 85 18 .253 .312 .383 .695
1992 135 557 506 68 149 31 2 13 223 62 10 4 2 4 44 13 1 68 14 .294 .350 .441 .791
1993 143 596 543 75 142 31 0 13 212 75 8 5 1 3 49 10 0 88 15 .262 .321 .390 .711
1994 111 454 406 63 115 28 2 18 201 75 4 3 0 3 43 13 2 71 8 .283 .352 .495 .847
1995 SD 143 602 526 74 159 33 0 26 270 94 12 5 0 6 69 8 1 94 11 .302 .380 .513 .893
1996 146 638 546 109 178 37 2 40 339 130 11 5 0 10 78 16 4 99 15 .326 .408 .621 1.029
1997 137 576 486 92 141 28 0 26 247 90 11 2 0 7 80 9 3 118 12 .290 .389 .508 .897
1998 131 535 452 87 114 29 0 29 230 82 6 2 0 8 71 4 4 108 6 .252 .353 .509 .862
1999 HOU 78 329 273 45 78 11 1 13 130 56 6 2 0 7 46 3 3 58 7 .286 .386 .476 .862
2000 59 253 208 42 63 13 0 15 121 45 3 0 0 2 42 8 1 37 7 .303 .419 .582 1.001
2001 TEX 54 211 185 24 43 8 1 9 80 25 0 0 0 2 22 2 2 41 5 .232 .318 .432 .750
ATL 64 193 171 12 38 9 0 6 65 16 0 1 0 1 21 1 0 44 2 .222 .306 .380 .686
'01計 118 404 356 36 81 17 1 15 145 41 0 1 0 3 43 3 2 85 7 .228 .312 .407 .719
MLB:15年 1760 7125 6288 894 1710 348 17 239 2809 983 88 39 14 67 727 111 29 1163 152 .272 .347 .447 .794
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 

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背番号

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  • 11(1987年 - 1999年、2000年 - 2001年)
  • 21(1995年 - 1998年)

脚注

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  1. ^ a b c 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、74-75頁。ISBN 4583034113 
  2. ^ ペドロ、西口、そして延長12回完全で黒星のハディックス――大野雄大だけじゃない「延長で完全試合を逃した悲劇の投手たち」<SLUGGER>
  3. ^ The Cautionary Tale of Ken Caminiti: The Steroid Era's First Truth-Teller”. Bleacher Report.com. 2023年7月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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