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エリス・バークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリス・バークス
Ellis Burks
2007年3月5日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシシッピ州ヴィックスバーグ
生年月日 (1964-09-11) 1964年9月11日(60歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1983年 ドラフト1巡目
初出場 1987年4月30日
最終出場 2004年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エリス・レナ・バークスEllis Rena Burks, 1964年9月11日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ヴィックスバーグ出身の元プロ野球選手外野手指名打者)。

NPBオリックス・ブルーウェーブでもプレイしたルーズベルト・ブラウンとは従兄弟にあたる。

経歴

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レッドソックス時代

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1983年1月のMLBドラフトボストン・レッドソックスから1巡目(全体20位)に指名を受け入団。1987年4月30日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。「1番・中堅手」のレギュラーに定着し、6月10日のボルチモア・オリオールズ戦で満塁本塁打を含む2本塁打・7打点を記録。打率.272・20本塁打・59打点・27盗塁の好成績を残したが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では票を獲得できなかった。1988年は打率.294・18本塁打・92打点・25盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.235と振るわず、チームは4連敗で敗退した。1989年は故障の影響で97試合の出場に留まるものの打率.303・21盗塁を記録。1990年オールスターゲームに初選出される。打率.296・21本塁打・89打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは本塁打・打点共に0。チームは4試合続けて1点しか奪えず、またも4連敗で敗退した。オフにシルバースラッガー賞、キャリア唯一のゴールドグラブ賞を受賞。1991年は打率.251・14本塁打と平凡な成績に終わる。1992年は故障で6月24日を最後に離脱して66試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。

ホワイトソックス時代

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1993年1月4日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は右翼手として大きな故障もなくプレイして打率.275・17本塁打を記録し、チームは10年ぶりの地区優勝を果たす。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦で本塁打を放つなど打率.304を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに再びフリーエージェントとなり、11月30日に創設間もないコロラド・ロッキーズと契約。

ロッキーズ時代

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1994年は4月に打率.413・9本塁打を記録し、プレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど好調な滑り出しだったが、故障で5月中旬に離脱。7月末に復帰したが、間もなく1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られたため42試合の出場に終わった。新球場クアーズ・フィールドが開場した1995年は打率.266・14本塁打と平凡な数字だったが、チームはワイルドカードを獲得し、球団創設3年目にしてポストシーズン進出。アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第1戦で2打点を挙げるなど活躍するが、チームは1勝3敗で敗退した。1996年は前半戦で打率.341・22本塁打・72打点を記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。9月17日のロサンゼルス・ドジャース戦で、チームが野茂英雄ノーヒットノーランを喫した際に最後の打者となった。リーグ2位の打率.344[1]・40本塁打・128打点・211安打・32盗塁、いずれもリーグトップの142得点・長打率.639・392塁打を記録。チームメイトのダンテ・ビシェットと共に「30-30」(30本塁打30盗塁)を達成し、MVPの投票で3位に入った。1997年は5月中旬まで打率が.200前後と低調で、6月末から故障で1ヶ月離脱。復帰後は調子を上げ、打率.290・32本塁打を記録した。1998年7月31日に3選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。

ジャイアンツ時代

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移籍後は打率.306を記録。チームはワイルドカード争いでシカゴ・カブスと同率で並んだが、ワイルドカード決定戦で敗れポストシーズン進出を逃した。1999年は6月29日の古巣ロッキーズ戦で2本塁打7打点。120試合の出場ながら31本塁打・96打点を記録した。新球場パシフィック・ベル・パークが開場した2000年は故障がちだったが開幕から好調を維持し、前半戦で打率.363を記録。規定打席不足ながら打率.344・24本塁打・96打点の好成績でチームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは第1戦でマイク・ハンプトンから本塁打を放ち勝利するがその後は振るわず、チームも1勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、11月19日にクリーブランド・インディアンスと契約。

インディアンス時代

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2001年は6月19日のミネソタ・ツインズ戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど前半戦で21本塁打。後半戦はやや調子を落としたものの打率.280・28本塁打・74打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。マリナーズとのディビジョンシリーズでは第1戦で本塁打を放つなど打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。2002年は後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.301・32本塁打・91打点の好成績で最優秀指名打者賞を受賞した。2003年は6月7日を最後に離脱して55試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。

以後

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2004年2月6日に古巣レッドソックスと契約。11試合の出場で打率.182・1本塁打に終わる。チームはワイルドカードから18年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズセントルイス・カージナルスを下して86年ぶりのワールドチャンピオンとなったが、ポストシーズンのロースター入りはできなかった。同年限りで現役引退。

2005年にインディアンスのGM補佐に就任した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 BOS 133 606 558 94 152 30 2 20 246 59 27 6 4 1 41 0 2 98 1 .272 .324 .441 .765
1988 144 615 540 93 159 37 5 18 260 92 25 9 4 6 62 1 3 89 8 .294 .367 .481 .848
1989 97 446 399 73 121 19 6 12 188 61 21 5 2 4 36 2 5 52 8 .303 .365 .471 .836
1990 152 641 588 89 174 33 8 21 286 89 9 11 2 2 48 4 1 82 18 .296 .349 .486 .835
1991 130 524 474 56 119 33 3 14 200 56 6 11 2 3 39 2 6 81 7 .251 .314 .422 .736
1992 66 263 235 35 60 8 3 8 98 30 5 2 0 2 25 2 1 48 5 .255 .327 .417 .744
1993 CWS 146 574 499 75 137 24 4 17 220 74 6 9 3 8 60 2 4 97 11 .275 .352 .441 .793
1994 COL 42 165 149 33 48 8 3 13 101 24 3 1 0 0 16 3 0 39 3 .322 .388 .678 1.066
1995 103 321 278 41 74 10 6 14 138 49 7 3 1 1 39 0 2 72 7 .266 .359 .496 .855
1996 156 685 613 142 211 45 8 40 392 128 32 6 3 2 61 2 6 114 19 .344 .408 .639 1.047
1997 119 477 424 91 123 19 2 32 242 82 7 2 1 2 47 0 3 75 17 .290 .363 .571 .934
1998 100 405 357 54 102 22 5 16 182 54 3 7 2 5 39 0 2 80 10 .286 .355 .510 .865
SF 42 177 147 22 45 6 1 5 68 22 8 1 4 4 19 1 3 31 2 .306 .387 .463 .850
'98計 142 582 504 76 147 28 6 21 250 76 11 8 6 9 58 1 5 111 12 .292 .365 .496 .861
1999 120 469 390 73 110 19 0 31 222 96 7 5 0 4 69 2 6 86 11 .282 .394 .569 .963
2000 122 458 393 74 135 21 5 24 238 96 5 1 0 8 56 5 1 49 10 .344 .419 .606 1.025
2001 CLE 124 515 439 83 123 29 1 28 238 74 5 1 0 9 62 2 5 85 16 .280 .369 .542 .911
2002 138 570 518 92 156 28 0 32 280 91 2 3 1 1 44 3 6 108 13 .301 .362 .541 .903
2003 55 228 198 27 52 11 1 6 83 28 1 1 0 0 27 2 3 46 4 .263 .360 .419 .779
2004 BOS 11 37 33 6 6 0 0 1 9 1 2 0 0 0 3 0 1 8 1 .182 .270 .273 .543
MLB:18年 2000 8176 7232 1253 2107 402 63 352 3691 1206 181 84 29 62 793 33 60 1340 171 .291 .363 .510 .873
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1987 BOS - 132 320 15 4 2 .988 -
1988 - 142 370 9 9 0 .977 -
1989 - 95 244 7 6 3 .977 -
1990 - 143 325 7 2 0 .994 -
1991 - 126 283 2 2 1 .993 -
1992 - 63 122 3 2 0 .984 -
1993 CWS - 21 48 2 0 0 1.000 132 264 4 6 1 .978
1994 COL - 39 77 2 3 0 .963 -
1995 23 27 1 2 0 .933 65 131 2 3 0 .978 1 0 0 0 0 ----
1996 129 209 4 5 1 .977 32 64 2 0 1 1.000 -
1997 66 53 3 2 0 .966 89 151 3 2 1 .987 -
1998 45 45 0 3 0 .938 78 141 5 2 0 .986 -
SF - 36 72 1 1 0 .986 10 18 0 0 0 1.000
'98計 45 45 0 3 0 .938 114 213 6 3 0 .986 10 18 0 0 0 1.000
1999 - - 107 210 3 2 2 .991
2000 - - 108 214 4 4 1 .982
2001 CLE 18 21 2 0 0 1.000 - 2 4 0 0 0 1.000
2002 6 7 0 0 0 1.000 - -
2003 2 5 0 0 0 1.000 - -
MLB 289 367 10 12 1 .969 1061 2348 60 36 8 .985 360 710 11 12 4 .984

表彰

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記録

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背番号

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  • 12(1987年 - 1992年)
  • 26(1993年 - 1998年途中)
  • 23(1998年途中 - 2003年)
  • 25(2004年)

脚注

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  1. ^ 規定打席到達者では1位だったが、規定打席に4打席不足のトニー・グウィンが.353を記録し、4打席を凡打と計算しても.349となるため首位打者となった。

外部リンク

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