シャイニー・ビースト
『シャイニー・ビースト(バット・チェイン・プラー)』 | ||||
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キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1978年6月6日-8月27日 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンフランシスコ オートマット | |||
ジャンル | ブルース・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
ワーナー・レコード ヴァージン・レコード | |||
プロデュース |
ドン・ヴァン・ヴリート ピート・ジョンソン | |||
キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド アルバム 年表 | ||||
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『シャイニー・ビースト(バット・チェイン・プラー)』(Shiny Beast (Bat Chain Puller))は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが1978年に発表した通算10作目に相当するアルバムである[注釈 1]。
解説
[編集]経緯
[編集]1976年の春、ヴァン・ヴリートは、元メンバーのジョン・フレンチ(ドラムス、ギター)、デニー・ウォーリー(ギター)、ジェフ・モリス・テッパー(ギター)、ジョン・トーマス(キーボード)と新しいキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドを結成して、アルバム『バット・チェイン・プラー』を製作した[1]。この作品はヴァン・ヴリートの旧友フランク・ザッパ[注釈 2]がエグゼクティブ・プロデューサーを務めて、ザッパと彼のマネージャーであるハーブ・コーヘンが共同で設立して経営していたディスクリート・レコードから発表されることになっていた。しかしザッパとコーヘンが経営を巡って対立して互いを告訴するという状況に陥り、ディスクリート・レコードの先行きは全く不透明になっていた[2]。そのような状況下で『バット・チェイン・プラー』はお蔵入りになり、オリジナル・テープはザッパに保管されたままになってしまった[注釈 3]。
『バット・チェイン・プラー』が製作されてまもなく、トーマスと再度フレンチが離脱し、テッパーの親しい友人で彼にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの音楽を聴くきっかけを与えたキーボーディストのエリック・ドリュー・フェルドマンと、フェルドマンの友人だったドラマーのゲイリー・ジェイが加入した[3]。彼等はさらにヴァン・ヴリートの従兄弟で以前客演者として参加したヴィクター・ヘイデン(アルト・サクソフォーン、バスクラリネット)を再び客演者に迎えて、1976年末から1977年初めにかけてリハーサルを繰り返し、幾つかのライブ活動を行なった。そしてジェイが離脱してフレンチが仮メンバーとして一時復帰した後、テッパーやフェルドマンと同じように長年に渡ってキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの音楽を愛聴してきたドラマーのロバート・ウィリアムスが加入した[4]。
ヴァン・ヴリート、ウォーリー、テッパー、フェルドマン、ウィリアムスのキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドは1977年10月31日に初舞台を踏み、11月にはフランス社会党がパリで開いた慈善コンサートに出演した[5]。彼等は1978年2月にツアーを終えると、新曲のデモ・テープを録音してワーナー・ブラザーズと交渉して、新作アルバムを制作することになった[6]。そして離脱したウォーリーの後任に選ばれたフェルドマンの旧友のリチャード・レダス(ギター)と、1975年のライブ活動でメンバーだったブルース・ファウラー(トロンボーン)を迎えて、6月6日から8月27日までサンフランシスコのオートマットで本作を製作した。ヴァン・ヴリートは、ワーナー・ブラザーズのA&Rでジャズ・ミュージシャンでもあるピート・ジョンソンと共同でプロデューサーを務め、元メンバーのアート・トリップ(マリンバ、パーカッション)が客演した[7]。
内容
[編集]収録曲のうち、'The Floppy Boot Stomp'、'Harry Irene'、'Bat Chain Puller'、'Owed T'Alex'の4曲は当時未発表だった『バット・チェイン・プラー』の収録曲の再録音版、'Apes-Ma'は『バット・チェイン・プラー』の収録曲と同様のホーム・レコーディングである[8]。'Owed T'Alex'は1966年に書かれ、ヴァン・ヴリートと共にキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドの結成の中心人物だったギタリストのアレックス・セント・クレアについての曲である[9]。
収録曲
[編集]- LP
- CD
全作詞・作曲: Don Van Vliet (Owed t' Alex by Don Van Vliet and Herb Bermann)。 | ||
# | タイトル | 時間 |
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1. | 「The Floppy Boot Stomp」 | |
2. | 「Tropical Hot Dog Night」 | |
3. | 「Ice Rose」 | |
4. | 「Harry Irene」 | |
5. | 「You Know You're a Man」 | |
6. | 「Bat Chain Puller」 | |
7. | 「When I See Mommy I Feel Like a Mummy」 | |
8. | 「Owed t' Alex」 | |
9. | 「Candle Mambo」 | |
10. | 「Love Lies」 | |
11. | 「Suction Prints」 | |
12. | 「Apes-Ma」 | |
合計時間: |
参加ミュージシャン
[編集]- Captain Beefheart and The Magic Band
- Captain Beefheart (Don Van Vliet) – ヴォーカル、ハーモニカ、ソプラノ・サクソフォーン、口笛
- Bruce Fowler – トロンボーン、エアー・ベース
- Jeff Moris Tepper – スライド・ギター、ギター、スペル・ギター
- Eric Drew Feldman – シンセサイザー、ローズ・ピアノ、グランド・ピアノ、ベース・ギター
- Robert Williams – ドラムス、パーカッション
- Richard Redus – スライド・ギター、ボトルネック・ギター、ギター、アコーディオン、フレットレス・ベース
- 客演
- Art Tripp – マリンバ、パーカッション
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1960年代に発表した3作のアルバムと『ミラー・マン』(1971年)はキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義だった。『ミラー・マン』はヒズ・マジック・バンド時代の1967年の未発表音源集。『ザ・スポットライト・キッド』(1972年)はキャプテン・ビーフハート名義だった。
- ^ ヴァン・ヴリートとザッパはカリフォルニア州ランカスターのアンテロープ・バレー・ハイ・スクールの同級生。R&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになった。1964年、ヴァン・ヴリートはザッパと共同制作していたSF映画の主人公の名前であったキャプテン・ビーフハートを自分のステージ名にした。1968年、ザッパはキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドを自分が同年に設立したストレイト・レコードに招き、『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)のプロデューサーを務めた。この作品の制作を巡って2人の関係は険悪化して、1970年代前半にはすっかり疎遠になっていた。しかし、1974年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが消滅して一人になったヴァン・ヴリートは、1975年のザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの国内ツアーに参加し、同年2人はザッパ/ビーフハート/マザーズの名義でライブ・アルバム『ボンゴ・フューリー』を発表した。
- ^ 1993年にザッパ、2010年にヴァン・ヴリートが病没した後、2012年にザッパの遺族によってキャプテン・ビーフハート名義の『バット・チェイン・プラー』として発表された。
出典
[編集]- ^ Barnes (2011), pp. 224–229.
- ^ Barnes (2011), p. 237.
- ^ Barnes (2011), pp. 235–236.
- ^ Barnes (2011), pp. 237, 239–240.
- ^ Barnes (2011), pp. 240–241.
- ^ Barnes (2011), p. 244.
- ^ Barnes (2011), pp. 244–248.
- ^ Barnes (2011), p. 248.
- ^ Barnes (2011), pp. 232–233.
引用文献
[編集]- Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6