アート・トリップ

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アート・トリップ
アート・トリップ(2006年)
基本情報
出生名 アーサー・ダイアー・トリップ3世
別名 エド・マリンバ、テッド・カクタス
生誕 (1944-09-10) 1944年9月10日(79歳)アメリカ合衆国の旗オハイオ州アセンズ
出身地 アメリカ合衆国の旗ペンシルベニア州ピッツバーグ
学歴 マンハッタン音楽学校
ジャンル ロック
職業 パーカッショニストカイロプラクター
担当楽器 ドラムスマリンバパーカッション
共同作業者 ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション
キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド

アート・トリップ (Art Tripp) ことアーサー・ダイアー・トリップ3世Arthur Dyer Tripp III1944年9月10日 - )は、アメリカ合衆国カイロプラクターで元ミュージシャンである。1960年代と1970年代に、フランク・ザッパが率いたザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(以下、MOI)やドン・ヴァン・ヴリートが率いたキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドパーカッショニストとして活動した。

経歴[編集]

初期[編集]

オハイオ州アセンズに生まれ、ペンシルベニア州ピッツバーグで育った。小学4年生の時に学校のバンドでドラムの演奏をはじめた。高校時代には、結婚式やフラタニティのパーティ、またダンス・パーティなどでバンドとともにドラムを演奏した。その後ピッツバーグ交響楽団のティンパニ奏者スタンリー・レナードに弟子入りし、シロフォンティンパニマリンバその他十数種類にも及ぶ打楽器の演奏法を学んだ。

1961年シンシナティ大学音楽院 (University of Cincinnati College-Conservatory of Music) へ進学して、シンシナティ交響楽団の打楽器奏者 Ed Wuebold を指導教官とした。在学中にシンシナティ交響楽団の正式な団員となり、イーゴリ・ストラヴィンスキー[注釈 1]アイザック・スターンレナード・ローズホセ・イトゥルビといった高名な音楽家たちと共演した。また、デイトン・フィルハーモニー管弦楽団で2期、シンシナティ・サマー・オペラシンシナティ・ポップス・オーケストラでもそれぞれ1期、いずれもティンパニストとして活動した[1]。また前衛音楽家ジョン・ケージがシンシナティ大学音楽院に籍を置いて教鞭を振った時に、演奏やワークショップの協力者に指名された[2]1966年、シンシナティ交響楽団はアメリカ合衆国国務省に送り出されて10週間の世界ツアーを行ない、若きパーカッショニストにさらなる刺激を与えた。

1966年音楽学士の学位を取得し、1967年には奨学金を得てニューヨークマンハッタン音楽学校に進学して、フィラデルフィア管弦楽団の元団員で当時メトロポリタン・オペラ・オーケストラに在籍していたティンパニストのフレッド・ヒンガーの指導を受けた[1][注釈 2]。目的は音楽修士号取得のためであったが、現代音楽の世界への露出をつづけることも視野に入れていた。

パーカッショニストとして[編集]

トリップはニューヨークで、ザッパのレコーディング・エンジニアであったリチャード・クンツに紹介された。ザッパはクンツから、彼が知遇を得たこのパーカッショニストこそ自分が求めていたような知識と経験を兼ね備えた人物であることを聞き、1968年2月23日、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるアポストリック・スタジオにトリップを招いて、一緒に演奏してほしいと頼みこんだ。トリップは早くも翌日の2月24日のMOIのコンサートでステージに立ち[注釈 3]、1969年10月にザッパがMOIを解散するまで在籍して、ドラムス、マリンバヴィブラフォンを演奏した。在籍期間中には『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ』『アンクル・ミート』の2作のアルバムの制作に携わり[注釈 4]、映画に出演し、アメリカやヨーロッパを巡る多くのツアーにも同行した[注釈 5]。MOIの解散後、1969年11月にフランク・ザッパ・アンド・フレンズのメンバーとして、ザッパ(ギター)、ジェフ・シモンズ(ベース・ギター)、イアン・アンダーウッド(アルト・サクソフォーン、キーボード)と共に数回ステージに立ったのち、ザッパと袂を分かった[2]

同じころにはチャド・スチュワートやブラザーフッド・オブ・マンともレコーディングした。また、スマザーズ・ブラザーズ (Smothers Brothers) のサマー・スペシャルのためにパーカッショニストとして雇われたり、ステージ・ショー "Oh! Calcutta!" のピット・オーケストラのパーカッショニストに勧誘されたりもした。

トリップはかねてから一緒にプロジェクトを立ち上げることをヴァン・ヴリートと話し合っていたので、1970年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入した。そしてエド・マリンバのステージ名[注釈 6]で1974年まで在籍して、4作のアルバムの制作に携わり、アメリカやイギリスなどヨーロッパ諸国への度重なるツアーに参加した。この時期にもライ・クーダーオーネット・コールマンからアルバムの共同制作の話をもちかけられたが、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのリハーサルやツアー以外のことに時間を費やすのを避けるために断った。

1974年、内部での悶着が原因で、ヴァン・ヴリート以外のメンバー全員が脱退した。彼等はマラードというバンド名を名乗り、新曲の作曲とリハーサルをはじめ、ジェスロ・タルの強力な支援[注釈 7]のもとで1975年にアルバム『マラード』を完成した[3][4]。しかし、トリップはこのころにはすでに音楽ビジネスに失望しており、この後ピッツバーグへ戻って父親とともに保険業者となることを選んだ。

3年の時を経て、保険産業はやはり自分の望んだ職業ではないと自覚したトリップは、音楽業界への復帰を決意する。1978年、ハリウッドへ戻ってMOIでの同僚だったアンダーウッド夫妻のもとに滞在し[5]、スタジオ・ミュージシャンとしてアル・スチュワートといったアーティストやその他の商業音楽製作者のためのレコーディングに携わった[注釈 8]。しかし、スタジオ作業にはライブ演奏のような魅力がなかったため、またしても音楽の仕事に幻滅するようになった。

カイロプラクターとして[編集]

ちょうど同じころ、トリップはハリウッドの開業医であるジョン・ハンソン医師のカイロプラクティック治療を受けたところ、自分が優れたカイロプラクターとなる天賦の才を持っていることをハンソンに指摘された。トリップは16歳のころからカイロプラクティック治療を受けていたこともあり、この治療法に対して強い賛嘆の念を抱いていたため、すぐに本格的なカイロプラクティックの勉強を開始した。そして1983年にカイロプラクターの免許を取得し、カリフォルニア州ユーリカで開業した。2000年、カリフォルニア州政府のいや増す圧政に嫌気がさしてミシシッピ州ガルフポートに居を移し、この地で開業医として成功して治療を続けた。

ディスコグラフィ[編集]

フィルモグラフィ[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b Barnes (2011), p. 357.
  2. ^ a b Ulrich (2018), pp. 556–557.
  3. ^ Barnes (2011), pp. 219–222.
  4. ^ Harkleroad & James (2000), pp. 107–109.
  5. ^ Barnes (2011), p. 361.
  6. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。
  7. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  8. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。
  9. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  10. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ シンシナティ交響楽団の客員指揮者であった。
  2. ^ ヒンガーはのちにメトロポリタン歌劇場のオーケストラで打楽器を演奏し、何人かの弟子を育てた。
  3. ^ 脱退したビル・ムンディの後任として加入して、オリジナル・ドラマーのジミー・カール・ブラックと二人で打楽器を担当した。
  4. ^ この2作の他、ザッパがMOIを解散した後の1970年に発表した未発表音源集の『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』『いたち野郎』にも、彼が演奏に参加した楽曲が収録された。ザッパの死後に遺族が発表した未発表音源集を含めると、彼の演奏が収録されている作品は2018年の時点で10作を超える。
  5. ^ また、ザッパが設立したビザール・レコードに在籍したワイルド・マン・フィッシャーや、MOIの当時のマネージャーであったハーブ・コーヘンと契約を結んでいたティム・バックリィとも活動した。
  6. ^ キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーは全員、ヴァン・ヴリートがつけた奇妙なステージ名を名乗ることが義務だった。
  7. ^ ギタリストのマーティン・バーの家に滞在して、イアン・アンダーソンの経済的援助を受けて、アンダーソンが所有するモービル・スタジオで、ドラマーのバリモア・バーロウをゲストに迎えて、アルバムを制作した。
  8. ^ キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの新作アルバム『シャイニー・ビースト』の制作に客演した。

参考文献[編集]

  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6 
  • Harkleroad, Bill; James, Billy (2000). Lunar Notes: Zoot Horn Rollo's Captain Beefheart Experience. Gonzo Multimedia Publishing. ISBN 978-1-908728-34-0 
  • Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star, ISBN 978-1-55420-146-4