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シャリーフダンサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャリーフダンサー
ハムダーン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームの勝負服
欧字表記 Shareef Dancer
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1980年
死没 1999年5月4日(19歳没)
Northern Dancer
Sweet Alliance
母の父 Sir Ivor
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 エドワード・テイラー
馬主 ハムダーン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム
調教師 マイケル・スタウトイギリス
競走成績
生涯成績 5戦3勝
獲得賞金 246,463USドル
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シャリーフダンサー (Shareef Dancer) とはアメリカ合衆国で生産された競走馬および種牡馬である。

経歴

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1歳時にケンタッキー州で行われたセリで330万ドル(約8億円)で落札されたものの、競走馬としては5戦で3勝したのみであった。しかし3歳時の1983年にはウォルター・スウィンバーンの騎乗によりキングエドワード7世ステークス (G2) でラシアンルーブルを2着に抑え、アイリッシュダービーではカーリアンを2着に抑えてそれぞれ優勝している。アイリッシュダービー優勝後は一度もレースに出走することなく当年限りで競走馬を引退した。

1984年よりイギリスで種牡馬入りした。当初は重賞馬を輩出するもののG1競走を制す産駒を出せていなかったが、1988年に誕生したポセッシヴダンサー1991年オークスイタリアーノアイリッシュオークスを制したことにより評価が上昇し、以降も多くの活躍馬を輩出した。

1999年5月4日ニューマーケット厩舎で右後脚の骨折が原因で19歳で死亡した。

産駒は牝馬の活躍馬が多く、ブルードメアサイアーとしてもドバイミレニアムなどの活躍馬を輩出している。また後継種牡馬も数頭残しているが、勢いのあるノーザンダンサー系のなかでは目立ったサイアーではない。

日本においては競走馬としての産駒が数頭輸入されており、中央競馬で勝利を記録している。ほかにも1991年ジャパンカップにはロックホッパー外国馬として出走し、単勝4番人気で7着となっている。

おもな産駒

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おもなブルードメアサイアーとしての産駒は以下のとおり。

エピソード

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1983年に組まれた4000万ドルのシンジケート2000年フサイチペガサスに抜かれるまで世界最高額記録だった。同年のスナーフィダンサー英語版(1歳馬として世界記録となる1020万ドルで落札された。なお同馬はハーツクライの祖母の半兄に当たる)とともにノーザンダンサーバブルを象徴する出来事になった。

血統表

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シャリーフダンサー血統ノーザンダンサー系 / Mahmoud 4×5=9.38%、Pharamond 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Northern Dancer
1961 鹿毛
父の父
Nearctic
1954 黒鹿毛
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
父の母
Natalma
1957 鹿毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbirator

Sweet Alliance
1974 鹿毛
Sir Ivor
1965 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Attica Mr.Trouble
Athenia
母の母
Mrs.Peterkin
1965 鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Legendra Challenger
Lady Legend F-No.4-r

母のスウィートアライアンスは1977年ケンタッキーオークス(当時G2)を制している。

外部リンク

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先代
アイルランドの旗アサート英語版
愛ダービー勝ち馬
1983年
次代
アイルランドの旗エルグランセニョール