シャルル・ド・フーコー
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聖シャルル・ド・フーコー | |
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シャルル・ド・フーコー | |
司祭・隠遁者 | |
生誕 |
1858年9月15日 フランス帝国 ストラスブール |
死没 |
1916年12月1日(58歳没) フランス共和国領(現 アルジェリア)タマンラセット |
崇敬する教派 | カトリック教会 |
列福日 | 2005年11月15日 |
列福場所 |
バチカン サン・ピエトロ大聖堂 |
列福決定者 | ベネディクト16世 |
列聖日 | 2022年5月15日 |
列聖場所 |
バチカン サン・ピエトロ広場 |
列聖決定者 | フランシスコ |
シャルル・ウジェーヌ・ド・フーコー・ド・ポンブリアン(フランス語: Charles Eugène de Foucauld de Ponbriand, 1858年9月15日 - 1916年12月1日)は、フランスのカトリック教会の神父で、探検家、地理学者である[1]。
生涯
[編集]1858年、ストラスブールに貴族の家に生まれる。両親にとってシャルルは2人目の子供だった。ヴェルサイユでイエズス会のリセを卒業し、1877年にサン・シール陸軍士官学校を卒業した。フランス領アルジェリアに渡り、その後はモロッコに入国して調査を始めた。1888年に著書『モロッコのルネサンス』を発表した[2]。帰国後、彼はパリのサントギュスタン教会に配属された。1890年に厳律シトー会に入会し、シリアやナザレに向かった。トゥアレグ族と共に行動し、彼らの文化を調査した。突然、彼は1916年にタマンラセット近郊で暗殺された[3]。フランス支配に反発したサヌーシー教団によって差し向けられた刺客による犯行ではないかと言われている。
2001年4月24日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって尊者に、2005年11月13日には教皇ベネディクト16世によって列福された[4]。2021年11月、教皇庁列聖省は、2022年5月15日に教皇フランシスコによってシャルル・ド・フーコー神父を含む数名の福者の列聖式が執り行われると発表した[5]。2022年5月15日、列聖式が執り行われた[6][7]。
脚注
[編集]- ^ “シャルル・ド・フーコー神父ら7人が「聖人」に 2021年5月7日”. Kirishin (2021年5月7日). 2022年5月16日閲覧。
- ^ “Reconnaissance au Maroc, 1883-1884... / Vte Ch. de Foucauld”. Gallica. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “Biography of Charles de Foucauld”. Famille Spirituelle Charles de Foucauld. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “Blessed Charles de Foucauld”. Franciscan Media (2020年12月1日). 2022年5月16日閲覧。
- ^ “福者シャルル・ド・フーコーら7名、2022年5月に列聖式”. vaticannews.va (2021年11月9日). 2021年11月10日閲覧。
- ^ “Pope at Canonization: Like new saints, let's live God's dream joyfully”. vaticannews.va (2022年5月15日). 2022年5月15日閲覧。
- ^ “10名の聖人を新たに宣言、バチカンで列聖式”. vaticannews.va (2022年5月15日). 2022年5月16日閲覧。
外部リンク
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