シャルル・ド・ヴァロワ (アングレーム公)
シャルル・ド・ヴァロワ Charles de Valois | |
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アングレーム公 | |
在位 | 1619年 - 1650年 |
出生 |
1573年4月28日 フランス王国、ドーフィネ、ファイエ城 |
死去 |
1650年9月24日(77歳没) フランス王国、パリ |
配偶者 | シャルロット・ド・モンモランシー |
フランソワーズ・ド・ナルボンヌ | |
子女 |
アンリ ルイ=エマニュエル フランソワ |
家名 | ヴァロワ=アングレーム家 |
父親 | フランス王シャルル9世 |
母親 | マリー・トゥシェ |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
シャルル・ド・ヴァロワ(フランス語:Charles de Valois, 1573年4月28日 - 1650年9月24日)は、フランス王シャルル9世とマリー・トゥシェの間に生まれた庶子。オーヴェルニュ伯、アングレーム公および回想録作者。
生涯
[編集]シャルル・ド・ヴァロワは、1573年にフランス王シャルル9世とマリー・トゥシェの間に庶子としてドーフィネのファイエ城で生まれた[1]。父シャルル9世はその翌年に死去し、弟アンリ3世に庶子シャルルの世話と恩恵を頼み、アンリ3世はそれを忠実に果たした[2][3]。母マリーはアントレーグ侯フワンソワ・ド・バルザックと結婚した。
シャルルは入念な教育を受け、マルタ騎士団に入団した[4]。1588年、シャルルは騎士団の最高位の一つであるフランスの大修道院長(Grand prieur de France)となった[5] 。シャルルは父方の祖母カトリーヌ・ド・メディシスが残した広大な領地を手に入れたすぐ後に、それらの領地の1つからオーヴェルニュ伯の称号を名乗った。
叔父アンリ3世が暗殺された後、シャルルは後継者であるアンリ4世の好意により重用された[6]。アンリ4世のもとで、シャルルは騎馬隊大佐とされ、イヴリーの戦いで戦隊を指揮した[7]。
1601年にシャルルは、サヴォイア公、ビロン公、ブイヨン公が企てた陰謀に関与した[8]。しかしこの陰謀は露見し、ビロン公とブイヨン公は逮捕され、ビロン公は処刑された[9]。シャルルは数ヶ月間投獄された後に釈放されたが、これは主にシャルルの異父妹、叔母、アングレーム公妃および継父アントレーグ侯の支援によるものであった[10]。
その後、シャルルはスペイン王フェリペ3世の宮廷と新たな陰謀を企て、異父妹アンリエット・ド・バルザック・ダントレーグおよび継父アントレーグ侯と協調して行動した[10]。1604年、シャルルとアントレーグ侯は逮捕され、死刑を宣告された。同時に、アンリエットは修道院に生涯幽閉を宣告された[11]。しかし、アンリエットは簡単に恩赦を得ることができ[12]、他の2人に対する死刑判決は無期懲役に減刑された[13]。シャルルは1605年から1616年までの11年間、バスティーユにとどまることとなった[6]。1606年にマルグリット・ド・ヴァロワが手に入れた議会の判決により、彼はオーヴェルニュを含むほとんどすべての領地を奪われたが、称号は保持していた。1616年、シャルルは解放されて騎兵隊大佐の身分に戻され、不満分子の一人で、ペロンヌを占領したロングヴィル公アンリ2世に対して派遣された。翌年、シャルルはイル・ド・フランスに集められた軍隊を指揮し、成功を収めた。
1619年、シャルルは遺贈によりアングレーム公領を受け取り、1620年に王室により許可された。シャルルは神聖ローマ帝国に対し重要な大使の役割を果たしたすぐ後に、1620年7月に結ばれたプロテスタント同盟という成果を得た[14]。1627年、シャルルはラ・ロシェル包囲戦において大軍を指揮した[15]。そしてその数年後の1635年、三十年戦争においてシャルルはロレーヌでフランス軍の将軍をつとめた。1636年、シャルルは陸軍中将となった。1643年にリシュリューが亡くなった直後に、彼は公的生活から引退したとみられる。
シャルルは以下の作品を著作した。
- 『Mémoires(回顧録)』 - アンリ3世の暗殺からアルクの戦い(1589年 - 1593年)までの出来事を記したもので、ボノーによりパリにおいて出版され、ブションにより年代記選集が(1836年)、プティトにより回顧録(第1シリーズ、vol. xliv.)が再版された[16]。
- 『Les Harangues(大演説)』(1620年)[16]
- ディエゴ・デ・トーレスのスペイン語作品の翻訳[16]
- 『La générale et fidèle Relation de tout ce qui s'est passé en l'Isle de Ré, envoyée par le Roy à la Royne sa mère(王が母后に送った、レ島で起こった全ての出来事の全般的かつ忠実な関係)』(パリ、1624年)[17]
シャルルは1650年9月24日に死去した。
結婚と子女
[編集]1591年、シャルルはマルタ騎士団の誓いから免除を受け、フランス元帥で後にモンモランシー公となるアンリ1世・ド・モンモランシーの娘シャルロットと結婚した[18]。2人の間には3子が生まれた。
- アンリ
- ルイ=エマニュエル(1596年 - 1653年) - 父の跡を継ぎアングレーム公となる[19]。娘マリー・フランソワーズ・ド・ヴァロワはジョワイユーズ公ルイと結婚した。
- フランソワ(1622年没)[16]
妃シャルロットは1636年に死去し、1644年にマレイユ男爵シャルルの娘フランソワーズ・ド・ナルボンヌと結婚した。2人の間に子供は生まれず、フランソワーズは1713年に死去した[16]。
脚注
[編集]- ^ McIlvenna 2016, p. 111.
- ^ Baynes 1878, p. 46.
- ^ Taylor 1842, p. 296.
- ^ Knecht 2016, p. 296.
- ^ Knecht 2016, p. 295.
- ^ a b Knecht 2016, p. 306.
- ^ Pitts 2009, p. 152.
- ^ Pitts 2009, pp. 275–277.
- ^ Pitts 2009, p. 277.
- ^ a b Pitts 2009, p. 278.
- ^ Pitts 2009, p. 279.
- ^ Pitts 2009, pp. 279–280.
- ^ Pitts 2009, p. 280.
- ^ Kettering 2008, p. 208.
- ^ Tucker 2010, p. 189.
- ^ a b c d e Chisholm 1911, p. 41.
- ^ James 2004, p. 179.
- ^ Davenport, p. 133.
- ^ Bergin 1996, p. 711.
参考文献
[編集]- Baynes, T. S., ed. (1878), Encyclopædia Britannica (英語), vol. 2 (9th ed.), New York: Charles Scribner's Sons, p. 46 ,
- Bergin, Joseph (1996), The Making of the French Episcopate, 1589–1661, Yale University Press
- Davenport, Richard Alfred, The History of the Bastile and of its Principal Captives, Kessinger Publishing
- James, Alan (2004). The Navy and Government in Early Modern France, 1572-1661. Boydell & Brewer
- Kettering, Sharon (2008). Power and reputation at the court of Louis XIII: The career of Charles d'Albert, duc de Luynes (1578-1621). Manchester University Press
- Knecht, Robert J. (2016). Hero or Tyrant? Henry III, King of France, 1574-89. Routledge
- McIlvenna, Una (2016). Scandal and Reputation at the Court of Catherine de Medici. Routledge
- Taylor, William Cooke (1842), Romantic Biography of the Age of Elizabeth: Calvin and the Church of Geneva, London: Richard Bentley
- Pitts, Vincent J. (2009). Henri IV of France: His Reign and Age. Johns Hopkins University Press
- Tucker, Spencer, ed. (2010). "Siege of La Rochelle". Battles that Changed History: An Encyclopedia of World Conflict. ABC-CLIO. p. 189.
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Angoulême, Charles de Valois, Duke of". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 2 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 41.
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