シャルル2世・ダルブレ
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シャルル2世・ダルブレ Charles II d'Albret | |
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ドルー伯 アルブレ領主 | |
在位 | 1415年 - 1471年 |
出生 |
1407年 |
死去 |
1471年 |
配偶者 | アンヌ・ダルマニャック |
子女 | 本文参照 |
家名 | アルブレ家 |
父親 | ドルー伯シャルル1世・ダルブレ |
母親 | マリー・ド・シュリー |
シャルル2世・ダルブレ(フランス語:Charles II d'Albret, 1407年 - 1471年)は、フランスの有力貴族、軍人で、アルブレ領主およびドルー伯(在位:1415年 - 1471年)。
生涯
[編集]シャルル2世はドルー伯シャルル1世・ダルブレとマリー・ド・シュリーの息子である。父シャルル1世は1415年にアジャンクールの戦いで亡くなり、シャルル2世はアルブレ領主および名目上のドルー伯位を継承した。アジャンクールの戦いの後、ドルー伯領はイングランドの手に渡っていた。シャルル2世は、後にフランス王シャルル7世となるシャルル王太子のはとこで支援者であり、ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユの異母弟でもあったため、フランス宮廷内に強いつながりがあった[1]。
シャルル7世の議員として仕えている間、シャルル2世はジャンヌ・ダルクの遠征に参加し、ランスでのシャルル7世の戴冠式においては王の剣を担いだ[2]。シャルル2世は後にベリーの副官に任命された[1]。
1441年にシャルル7世によってドルー伯領の領有が確認された。
ルイ11世の治世中、シャルル2世は反乱貴族とともに公益同盟戦争に参加した[1]。
シャルル2世の死後、息子ジャン1世の息子である孫のアランが継承したが、ドルー伯領は三男のアルノー・アマニューに残した。しかし、アランはドルー伯領の支配権を掌握した。四男シャルルは1473年に反逆罪で処刑された。
子女
[編集]1418年4月23日にアルマニャック伯ベルナール7世の娘アンヌ・ダルマニャックと結婚した。2人との間に以下の子女をもうけた。
- ジャン1世(1425年 - 1468年)[3] - アルブレ領主、ドルー伯
- ルイ(1422年 - 1465年) - 枢機卿
- アルノー・アマニュー(1463年没) - オルヴァル領主、ルテル女伯マリーの祖父
- シャルル(1473年没) - サント=バゼイユ領主
- ジル(1479年没) - カステルモロン領主
- マリー(1486年没) - 1456年6月11日にヌヴェール伯・ルテル伯シャルル・ド・ブルゴーニュと結婚
- ジャンヌ(1444年没) - 1442年8月29日にブルターニュ公アルテュール3世と結婚
脚注
[編集]- ^ a b c Manning 2023, p. 11.
- ^ Manning 2023, p. 68.
- ^ de Carvalho 2021, p. 326.
参考文献
[編集]- de Carvalho, Helena Avelar (2021). An Astrologer at Work in Late Medieval France: The Notebooks of S. Belle. Brill
- Bordonove, Georges, Charles VII le Victorieux. Paris: Pygmalion, 1985.
- Manning, Scott (2023). Joan of Arc: A Reference Guide to Her Life and Works. Rowman & Littlefield. ISBN 978-1538139165
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