シャルル2世 (エルブフ公)
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シャルル2世・ド・ロレーヌ=ギーズ Charles II de Lorraine-Guise | |
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エルブフ公 | |
在位 | 1605年 - 1657年 |
出生 |
1596年11月5日 フランス王国、パリ |
死去 |
1657年11月5日(61歳没) フランス王国、パリ |
配偶者 | カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボン |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ギーズ家 |
父親 | エルブフ公シャルル1世 |
母親 | マルグリット・ド・シャボー |
シャルル2世・ド・ロレーヌ=ギーズ(Charles II de Guise-Lorraine, duc d'Elbeuf, 1596年11月5日 - 1657年11月5日)は、フランスの貴族、廷臣。エルブフ公爵。フランス王ルイ13世の義兄にあたる。
生涯
[編集]エルブフ公シャルル1世とその妻のマルグリット・ド・シャボーの間の長男として生まれ、1605年にエルブフ公爵家の当主となった[1]。1607年に宮廷に入って幼王ルイ13世の遊び相手を務めた。その後、少将および王室侍従長となる。1619年6月20日にルイ13世の異母姉でアンリ4世がガブリエル・デストレに産ませた庶出の娘カトリーヌ・アンリエット・ド・ブルボン(ヴァンドーム姫)と結婚し、ルイ13世の義兄となった。
シャルル2世はルイ13世に対して常に忠実であり、国王と王母マリー・ド・メディシスやユグノーの争いにおいていつも国王を支持し続けた。1620年にマリーを支持するノルマンディー知事のロングヴィル公アンリが国王とリシュリュー枢機卿に対して反乱を起こした際、アンリに代わりノルマンディー知事に任命、ピカルディー知事も務めた。ユグノーの反乱では1627年のラ・ロシェル包囲戦に参加し、サン=ジャン=ダンジェリでの戦闘で負傷している。1657年にパリで死去。
子女
[編集]妻カトリーヌとの間に4男2女の6人の子女をもうけた。
- シャルル(1620年 - 1692年) - エルブフ公
- アンリ(1622年 - 1648年) - オンブリエル修道院長
- フランソワ・ルイ(1623年 - 1694年) - アルクール伯
- フランソワ・マリー(1624年 - 1694年) - リルボンヌ公
- カトリーヌ(1626年 - 1645年)
- マリー・マルグリット(1629年 - 1679年)
脚注
[編集]- ^ Miroslav Marek (2005年3月30日). “Charles II, Duc d'Elboeuf”. Genealogy Index. 2012年4月10日閲覧。
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