シュテファン3世 (バイエルン公)
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シュテファン3世 Stephen III. | |
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下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン=インゴルシュタット公 | |
在位 |
下バイエルン=ランツフート公:1375年 - 1392年 上バイエルン=インゴルシュタット公:1392年 - 1413年 |
出生 |
1337年 |
死去 |
1413年9月26日 神聖ローマ帝国、ニーダーシェーネンフェルト修道院 |
埋葬 | 神聖ローマ帝国、ニーダーシェーネンフェルト修道院 → インゴルシュタット |
配偶者 | タデア・ヴィスコンティ |
エリーザベト・フォン・クレーフェ | |
子女 |
ルートヴィヒ7世 イザベラ |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 下バイエルン=ランツフート公シュテファン2世 |
母親 | イザベッラ・ディ・シチリア |
シュテファン3世(Stephen III., 1337年 - 1413年9月26日)は、14世紀の下バイエルン=ランツフート公、上バイエルン=インゴルシュタット公。シュテファン2世とシチリア王フェデリーコ2世の娘イザベッラの長男。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の孫、フリードリヒ、ヨハン2世の兄、フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールの父である。
生涯
[編集]1375年、父の死に伴い領土を弟のフリードリヒ、ヨハン2世と共に相続した。1392年には領土を3分割し、シュテファン3世はインゴルシュタットを、フリードリヒはランツフートを、ヨハン2世はミュンヘンを治めることになった。1395年にヨハン2世と争うが、1397年にヨハンが死去したため、その領土を併合しようとしてヨハンの2人の遺児エルンスト、ヴィルヘルム3世とも対立、1398年、プファルツ選帝侯ループレヒト3世の仲裁で一旦和睦、1402年に最終的に相続を放棄した。1410年に父が逃したチロルに攻め込んだが、こちらも失敗した。
家族
[編集]1364年10月13日にミラノ僭主ベルナボ・ヴィスコンティの娘タデアと結婚した[1]。
1401年1月16日にクレーフェ伯・マルク伯アドルフ3世の娘エリーザベトと再婚した。子供はいない。
脚注
[編集]- ^ a b c Adams 2010, p. 2.
- ^ Pitti 2015, p. 287.
参考文献
[編集]- Adams, Tracy (2010). The Life and Afterlife of Isabeau of Bavaria. The Johns Hopkins University Press
- Pitti, Bonaccorso (2015). “Memoirs”. In Branca, Vittore. Merchant Writers: Florentine Memoirs from the Middle Ages and Renaissance. University of Toronto Press. pp. 254-343
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