ヨハン2世 (バイエルン公)
表示
ヨハン2世 Johann II. | |
---|---|
下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン=ミュンヘン公 | |
在位 |
下バイエルン=ランツフート公:1375年 - 1392年 上バイエルン=ミュンヘン公:1392年 - 1397年 |
出生 |
1341年 |
死去 |
1397年 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン公領、ミュンヘン、聖母教会 |
配偶者 | カタリーナ・フォン・ゲルツ |
子女 |
エルンスト ヴィルヘルム3世 ゾフィー |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 下バイエルン=ランツフート公シュテファン2世 |
母親 | イザベッラ・ディ・シチリア |
ヨハン2世(Johann II., 1341年 - 1397年)は、14世紀のバイエルン公。シュテファン2世とシチリア王フェデリーコ2世の娘イザベッラの三男[1]。シュテファン3世、フリードリヒの弟。下バイエルン=ランツフート公、上バイエルン=ミュンヘン公。
生涯
[編集]1375年、2人の兄シュテファン3世、フリードリヒと共に相続した。1385年にヨハン2世と妃カタリーナはリエンツとともにゲルツ伯領の1/3を継承したが、1392年にはこれをハプスブルク家に売却している。1392年には領土を3分割し、シュテファン3世はインゴルシュタット、フリードリヒはランツフートを、ヨハン2世はミュンヘンを治める事になった。しかし、シュテファン3世とは対立していて、1397年にヨハン2世が死去した後も2人の息子エルンスト、ヴィルヘルム3世とシュテファン3世の対立は収まらず、ミュンヘン市民の暴動を招く事になる。
家族
[編集]1372年にゲルツ伯マインハルト6世の娘カタリーナと結婚した[1]。
- エルンスト(1373年 - 1438年)[1] - 上バイエルン=ミュンヘン公
- ヴィルヘルム3世(1375年 - 1435年) - 上バイエルン=ミュンヘン公
- ゾフィー(1376年 - 1428年) - 1389年に神聖ローマ皇帝ヴェンツェルと結婚。
また、庶子ヨハン・グリュンヴァルダー(1393年 - 1452年)がおり、フライジング司教および枢機卿となった。
脚注
[編集]- ^ a b c Thomas 2010, p. 387.
参考文献
[編集]- Thomas, Andrew L. (2010). A House Divided: Wittelsbach Confessional Court Cultures in the Holy Roman Empire, c. 1550-1650. Brill
|
|
|
|
|