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ヨハン2世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン2世
Johann II.
下バイエルン=ランツフート公
上バイエルン=ミュンヘン公
在位 下バイエルン=ランツフート公1375年 - 1392年
上バイエルン=ミュンヘン公:1392年 - 1397年

出生 1341年
死去 1397年
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
boeder バイエルン公領ミュンヘン、聖母教会
配偶者 カタリーナ・フォン・ゲルツ
子女 エルンスト
ヴィルヘルム3世
ゾフィー
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 下バイエルン=ランツフート公シュテファン2世
母親 イザベッラ・ディ・シチリア
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ヨハン2世(Johann II., 1341年 - 1397年)は、14世紀バイエルン公シュテファン2世シチリア王フェデリーコ2世の娘イザベッラの三男[1]シュテファン3世フリードリヒの弟。下バイエルン=ランツフート上バイエルン=ミュンヘン

生涯

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1375年、2人の兄シュテファン3世、フリードリヒと共に相続した。1385年にヨハン2世と妃カタリーナはリエンツとともにゲルツ伯領の1/3を継承したが、1392年にはこれをハプスブルク家に売却している。1392年には領土を3分割し、シュテファン3世はインゴルシュタット、フリードリヒはランツフートを、ヨハン2世はミュンヘンを治める事になった。しかし、シュテファン3世とは対立していて、1397年にヨハン2世が死去した後も2人の息子エルンストヴィルヘルム3世とシュテファン3世の対立は収まらず、ミュンヘン市民の暴動を招く事になる。

家族

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1372年にゲルツ伯マインハルト6世の娘カタリーナと結婚した[1]

  1. エルンスト(1373年 - 1438年)[1] - 上バイエルン=ミュンヘン公
  2. ヴィルヘルム3世(1375年 - 1435年) - 上バイエルン=ミュンヘン公
  3. ゾフィー(1376年 - 1428年) - 1389年神聖ローマ皇帝ヴェンツェルと結婚。

また、庶子ヨハン・グリュンヴァルダー(1393年 - 1452年)がおり、フライジング司教および枢機卿となった。

脚注

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  1. ^ a b c Thomas 2010, p. 387.

参考文献

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  • Thomas, Andrew L. (2010). A House Divided: Wittelsbach Confessional Court Cultures in the Holy Roman Empire, c. 1550-1650. Brill 
先代
シュテファン2世
下バイエルン=ランツフート
1375年 - 1392年
シュテファン3世フリードリヒと共同統治
次代
インゴルシュタット、ランツフート、ミュンヘン系に3分割
先代
下バイエルンから分割
上バイエルン=ミュンヘン
1392年 - 1397年
次代
エルンスト
ヴィルヘルム3世