ジェイムス・マンチャム
ジェイムス・マンチャム James Mancham | |
公式肖像(1976年)
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任期 | 1976年6月29日 – 1977年6月5日 |
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首相 | フランス=アルベール・ルネ |
任期 | 1975年10月1日 – 1976年6月28日 |
セーシェル植民地
首相 | |
任期 | 1970年11月12日 – 1975年10月1日 |
総督/行政官 | コリン・アラン |
出生 | 1939年8月11日 セーシェル植民地・ヴィクトリア |
死去 | 2017年1月8日(77歳没) セーシェル・グラシ |
政党 | セーシェル民主党 |
配偶者 | ヘザー・ジャン・エヴァンス(1963年-1974年 離婚) キャサリン・オルセン(1985年-) |
子女 | 3人 |
サー・ジェイムス・リチャード・マリー・マンチャム(Sir James Richard Marie Mancham KBE、1939年8月11日 - 2017年1月8日[1])は、セーシェルの政治家。セーシェル共和国初代大統領(在任1976年-1977年)、セーシェル植民地首相(1970年-1975年)、セーシェル自治領首相(1975年-1976年)をそれぞれ務めた[2]。
経歴
[編集]マンチャムは1939年、イギリスの王領植民地だったセーシェルの首都・ヴィクトリアでイギリス人の裕福な実業家の家庭に生まれた。また、華僑の血も引いている[3]。母親はフランス人の血を引いている。セーシェルにイギリスからの独立の動きが起こると、マンチャムはセーシェル民主党を結成し、2005年まで党首の座にあった。セーシェル民主党は資本主義と保守主義を柱とし、ソ連の支援を受けたフランス=アルベール・ルネ率いるセーシェル人民統一党と政権を争った。マンチャムはセーシェル植民地の主席大臣として空港の設備を改善し、世界からセーシェルへのアクセスを容易にした。このため、観光業が発展し経済は成長した。独立するとマンチャムの民主党はルネの人民統一党と連立を組み、マンチャムが大統領に、ルネは首相に就任した。しかし独立1年後の1977年6月、マンチャムはタンザニアで訓練を受けた部隊を率いたルネのクーデターで失脚し、亡命を余儀なくされた。1992年、ルネ政権が複数政党制を認めるとマンチャムは帰国し、1993年7月の大統領選挙では36.72%を得てルネに次ぐ得票数となった。1998年3月の大統領選挙にも出馬したが、このときは13.8%の得票で3位となった。
2017年1月8日、死去。77歳没。
脚注
[編集]- ^ ジェームス・マンチャム氏死去=セーシェル元大統領 時事ドットコム 2017年1月8日付
- ^ “Seychelles”. Worldstatemen.org. 2022年4月25日閲覧。
- ^ Obituary: Sir James Mancham, deposed playboy president of Indian Ocean 'islands of love'
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