ジェイムズ・オコナー (モンタナ州の政治家)
表示
ジェイムズ・オコナー James Francis O'Connor | |
---|---|
| |
生年月日 | 1878年5月7日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 アイオワ州、ハリソン郡、カリフォルニアジャンクション近郊 |
没年月日 | 1945年1月15日 (66歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 コロンビア特別区 |
出身校 | ネブラスカ大学リンカーン校 |
所属政党 | 民主党 |
選挙区 | モンタナ州第2選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1937年1月3日 - 1945年1月15日 |
在任期間 | 1917年 - 1918年 |
ジェイムズ・フランシス・オコナー(英語: James Francis O'Connor, 1878年5月7日 - 1945年1月15日)は、アメリカ合衆国・モンタナ州の政治家、弁護士、民主党員。
経歴・人物
[編集]オコナーはアイオワ州ハリソン郡カリフォルニアジャンクション近郊の農場で生まれた。アイオワの師範学校を経て、1904年にネブラスカ大学リンカーン校法学部を卒業し、弁護士資格を取得した。翌年にはモンタナ州パーク郡リビングストンを拠点に弁護士活動を始め、畜産業や銀行業にも手を出した[1]。
モンタナ州第6司法地区の裁判官を務めた後、1917年からモンタナ州下院議員に就任し、任期初年度ながら下院議長も務めた[2]。
オコナーは連邦下院議員を目指し、モンタナ州第2選挙区から三度(1922年、1932年、1934年)に渡って出馬したが、いずれも民主党予備選挙の段階で敗れた[3]。1936年、民主党現職のロイ・エルマー・エアーズ(MT-2)がモンタナ州知事選挙への挑戦を表明。オコナーは民主党の指名を勝ち取り[4]、共和党のT・S・ストックダルらを破って初当選を果たした[5]。
5期目の任期が始まって12日後の1945年1月15日、オコナーはワシントンD.C.の自宅で亡くなった[6]。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ “Bioguide Search”. bioguide.congress.gov. 2021年4月17日閲覧。
- ^ “Collection 1059 - James Francis O'Connor Papers, 1937-1945 - MSU Library | Montana State University”. www.lib.montana.edu. 2021年4月17日閲覧。
- ^ EVAN BARRETT (Feb 16, 2017). “Interesting history of Montana’s special congressional elections”. Independent Record
- ^ Montana. Secretary of State (1936年). “Report of the Official Canvass of the Vote Cast at the Primary Election Held in the State of Montana, July 21, 1936”. 2021年4月10日閲覧。
- ^ Montana. Secretary of State (1936年). “Official Montana General Election Return November 3, 1936”. 2021年4月10日閲覧。
- ^ Congress, United States (1945) (英語). Congressional Record: Proceedings and Debates of the 79th Congress. U.S. Government Printing Office
アメリカ合衆国下院 | ||
---|---|---|
先代 ロイ・エアーズ |
モンタナ州第2選挙区 選出議員 第4代: 1937年1月3日 - 1945年1月15日 |
次代 ウェズリー・デワート |