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ジェイムズ・ハミルトン (第7代アバコーン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第7代アバコーン伯爵ジェイムズ・ハミルトン: James Hamilton, 7th Earl of Abercorn, FRS, PC1686年3月22日 - 1744年1月11日)は、イギリス及びアイルランドの貴族。

父が爵位を継承した1701年から自身が爵位を継承する1734年までペイズリー卿(Lord Paisley)の儀礼称号を使用した。

経歴

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1686年3月22日、後に第6代アバコーン伯爵となるジェイムズ・ハミルトン英語版とその妻エリザベス(初代準男爵ロバート・レディング英語版の娘)の間の長男として生まれる[1]

1715年王立協会フェロー(FRS)となり、1729年には〚魅力的な大量の天然石の対照表(Calculations and Tables on the Attractive Power of Lodestones)』を出版した[1]

1734年11月28日にアバコーン伯爵位を継承した[1]1738年枢密顧問官に列する。翌1739年にはアイルランド枢密顧問官英語版に列する[1]

1744年1月11日に死去した[1]

栄典

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爵位・準男爵位

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  • 1734年11月28日、第7代アバコーン伯爵 (7th Earl of Abercorn, 1606年創設スコットランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第2代ストラバン子爵 (2nd Viscount Strabane, 1701年創設アイルランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第7代レンフルー州におけるペイズリー卿 (7th Lord Paisley, county of Renfrew, 1587年創設スコットランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第7代リンリスゴー州におけるアバコーン卿 (7th Lord Abercorn, county of Linlithgow, 1603年創設スコットランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第7代マウントカシェルおよびカークパトリック、ハミルトン、ペイズリー卿 (7th Lord Paisley, Hamilton, Mountcashell and Kirkpatrick, 1606年創設スコットランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第8代ティロン県におけるハミルトン卿、ストラバン男爵 (8th Lord Hamilton, Baron of Strabane, county of Tyrone, 1617年創設アイルランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第2代ティロン県におけるマントキャッスル男爵 (2nd Baron Mountcastle, county of Tyrone, 1701年創設アイルランド貴族爵位)
  • 1734年11月28日、第3代ティロン県におけるドナロング及びティペラリー県におけるニーナーのハミルトン準男爵 (3rd Baronet Hamilton, of Donalong, county of Tyrone and of Nenagh, county of Tipperary, 1660年創設アイルランド準男爵位)

家族

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1711年にアン・プルーマーと結婚し、彼女との間に以下の8子を儲けた[1]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “James Hamilton, 7th Earl of Abercorn” (英語). thepeerage.com. 2015年9月16日閲覧。
フリーメイソン
先代
第2代リッチモンド=レノックス公爵
イングランド・首位グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1725年 – 1726年
次代
第4代インチクィン伯爵
スコットランドの爵位
先代
ジェイムズ・ハミルトン英語版
第7代アバコーン伯爵
1734年 – 1744年
次代
ジェイムズ・ハミルトン
アイルランドの爵位
先代
ジェイムズ・ハミルトン英語版
第2代マウントキャッスル男爵
(繰上招集勅書により死去前に爵位譲る)

1734年 – 1736年
次代
ジェイムズ・ハミルトン