ジェフ・ブラッドリー
ダッドリー・ダッドリー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ダッドリー・ダッドリー ブルーザー・コング オリジナル・ダッドリー・ダッドリー バッド・ボーイ・ダッドリー チャーリー・ハンター イビル・スネーク |
本名 | ジェフ・ブラッドリー |
ニックネーム | 最もブルーザー・ブロディに似ている男 |
身長 | 196cm |
体重 | 134kg |
誕生日 | 1973年 |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州サンアントニオ |
トレーナー |
ディーン・マレンコ ジョー・マレンコ ヒロ・マツダ |
デビュー | 1992年 |
ジェフ・ブラッドリー(Jeff Bradley)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州サンアントニオ出身。キャリアにおいて、ECW時代のリングネームであるダッドリー・ダッドリー(Dudley Dudley)での活動で知られる[1]。
来歴
[編集]マレンコ道場にてプロレスラーとなるためにトレーニングを積み、1992年にプロレスラーデビューを果たす。同年、WWFに入団し、チャーリー・ハンター(Charlie Hunter)のリングネームで活動[1]。1995年までの2年間在籍するが特に活躍することができずに解雇となった。同年、ECWに移籍。7月1日に異母兄弟ヒールユニットであるダッドリー・ファミリーの長男、ダッドリー・ダッドリー(Dudley Dudley)のリングネームで次男のビッグ・ディック・ダッドリーとハーフブラザーのスノット・ダッドリーを引き連れ登場。以降、ファミリーのリーダーとして存在感を表し、ピットブルズやレイヴェンズ・ネストなどと抗争。同年後期に四男、ダンス・ウィズ・ダッドリーと五男、ババ・レイ・ダッドリーが加わりファミリーを拡大していくが、1996年に事故を起こし長期欠場。そのまま復帰することなくECWから離脱した[1]。
1997年、WCWに入団するがジョバーとしての役目が短期間で解雇された。WCW解雇後は世界の団体で活動するようになり、2002年に大日本プロレスに参戦するため来日。この時はオリジナル・ダッドリー・ダッドリー(Original Dudley Dudley)のリングネームで出場している[1]。
アフリカや中国の団体に参戦後、2004年に再び来日。8月31日に代々木第2体育館で行われたIWAジャパンの10周年記念興行にブルーザー・ブロディをオマージュしたギミック、ブルーザー・コング(Bruiser Kong)のリングネームで参戦し、IWA世界ヘビー級王座争奪トーナメントに出場するが一回戦のジム・ドゥガンと戦い敗れた[2]。
同年、オーストリアやハンガリーといったヨーロッパの団体やプエルトリコのIWAに参戦後、アメリカに帰国。フロリダ州のインディー団体を拠点とし、NWAフロリダなどの団体に参戦。また、マレンコ道場やスティーブ・カーンが主宰するレスリングスクールのトレーナーとしても活動[1]。
2008年、再び世界の団体で活動するようになり、WWCではWWC世界タッグ王座を獲得。2009年にはオーストリアのEWA(European Wrestling Association)にて日本の団体に参戦していることで知られるバンビ・キラーやジョー・レジェンドと対戦している[1]。
得意技
[編集]- ディスカス・ラリアット
- フィニッシャー
- ダイビング・ニー・ドロップ
- クローバーリーフ
- ダイビング・スプラッシュ
獲得タイトル
[編集]- IWA
- IWAハードコア王座 : 2回
- IWA世界タッグチーム王座 : 2回
- w / ミスター・ビッグ
- WWC
- WWC TV王座 : 1回
- WWC世界タッグチーム王座 : 2回
- w / トッド・ディーン
- IPW(Independent Professional Wrestling)
- IPWハードコア王座 : 1回
- IPW TV王座 : 1回
- BJW
- BJWヘビー級王座 : 1回
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『2005ゴング プロレスカラー名鑑』日本スポーツ出版社、2005年。ISBN 4930943876。