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ジミー・キー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジミー・キー
Jimmy Key
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州ハンツビル
生年月日 (1961-04-22) 1961年4月22日(63歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト3巡目
初出場 1984年4月6日
最終出場 1998年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェームズ・エドワード・"ジミー"・キーJames Edward "Jimmy" Key , 1961年4月22日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手左投右打。 アメリカ合衆国アラバマ州ハンツビル出身。現役時代の代理人はカリン夫人が務めていた。

経歴

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バトラー高校時代に10勝0敗、防御率0.30の記録を残す。 打者としても打率.410、11本塁打、35打点の活躍。 クレムゾン大学に進学し、投手としては9勝3敗、防御率2.79。登板しないときでも指名打者(DH)で出場し、打率.300を記録。 1980年にはカレッジ・ワールド・シリーズの第1戦に先発した。

1982年6月ドラフト会議トロント・ブルージェイズから3巡目に指名され、入団。 1シーズン半のマイナー生活を経て、1984年4月6日にリリーフでメジャー初登板。 この年はリリーフばかり63試合に登板して、4勝5敗10セーブ、防御率4.65を記録。 この年の背番号は「27」であったが、先発に転向した翌1985年以後、ブルージェイズでは「22」に変更した。 1985年には14勝6敗、防御率3.00の好成績。 デーブ・スティーブドイル・アレクサンダーらとともに先発ローテーションを担い、チームの球団創設以来初の地区優勝に貢献した。 カンザスシティ・ロイヤルズとのア・リーグチャンピオンシップシリーズではまず第2戦に登板。 勝敗はつかなかったが、チームは延長10回に逆転サヨナラ勝ち。 3勝1敗とリードし、あと1勝で初のカナダでのワールドシリーズ開催となる第5戦に先発。 1回、2回に1点ずつを取られるが、その2点に抑える好投。 しかし、打線がダニー・ジャクソンに抑えられて0-2で敗れる。チームはその後第6戦、第7戦にも敗れ、リーグ優勝はならなかった。 その後も、1997年までの間、故障で1勝に終わった1995年を除いて毎年12勝以上をあげる安定した活躍を見せる。 1987年には防御率1位のタイトルを獲得。

1988年秋に日米野球で、メジャーリーグオールスター(監督はデトロイト・タイガーススパーキー・アンダーソン)の一員として来日している。

1989年にもチームは地区優勝するが、リーグチャンピオンシップシリーズでオークランド・アスレチックスに敗れる。 1992年にようやく念願かない、ワールドシリーズに進出。 アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは、第4戦に先発してトム・グラビンに投げ勝って勝利投手となり、さらに第6戦にリリーフで勝利を挙げ、チームのワールドチャンピオンに貢献。 しかし、この登板を最後にフリーエージェント(FA)でニューヨーク・ヤンキースと4年1,680万ドルで契約。

ヤンキースでも背番号22をつけ、移籍初年度の1993年には自己最多の18勝をあげる。 1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが短縮された1994年にはリーグ最多の17勝をあげる。 1995年は故障のため1勝に終わるが、1996年に12勝をあげ、チーム15年ぶりのリーグ優勝、18年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献。 ブレーブスとのシリーズでは、まず第2戦に先発し、敗戦投手。 チームは本拠地ヤンキー・スタジアムで連敗スタートとなったが、その後チームは敵地アトランタで3連勝。 ホームに戻った第6戦に再び先発すると、グレッグ・マダックスに投げ勝って勝利投手となり、自身2度目のワールドチャンピオンとなるが、この時もこの登板を最後にFAで移籍することとなった。

ヤンキース移籍を決めてからちょうど4年後の1996年12月10日にボルチモア・オリオールズと2年773万ドルで契約。 背番号は今まで着けていた「22」がオリオールズの永久欠番ジム・パーマー)だったため、「21」となった。移籍初年度の1997年は16勝をあげ、チームのプレイオフ進出に貢献するが、1998年には6勝に終わり、この年限りで現役を引退した。

球速はそれほどでもないが、制球力に優れ、9イニングあたりの与四球は2回(1989年、1993年)リーグ最少であった。通算の9イニング平均与四球は2.32で、同時期に活躍した投手と比較すると、ブレット・セイバーヘイゲンの1.65やグレッグ・マダックスの1.81にはかなわないが、フランク・バイオーラが2.74、ロジャー・クレメンスが2.89、ジャック・モリスが 3.27、フェルナンド・バレンズエラが3.53、長年のチームメイトデーブ・スティーブが3.21となっている。

スライダーの切れは良く、右打者にも有効であった。通算勝率は.614で、これはメジャー歴代79位にあたる(2008年終了時点。通算2,000イニング以上投げた投手に限る。)。

現在はニューヨークのノースセーラムに在住。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1984 TOR 63 0 0 0 0 4 5 10 -- .444 285 62.0 70 8 32 8 1 44 3 1 37 32 4.65 1.65
1985 35 32 3 0 0 14 6 0 -- .700 856 212.2 188 22 50 1 2 85 6 1 77 71 3.00 1.12
1986 36 35 4 2 0 14 11 0 -- .560 959 232.0 222 24 74 1 3 141 3 0 98 92 3.57 1.28
1987 36 36 8 1 2 17 8 0 -- .680 1033 261.0 210 24 66 6 2 161 8 5 93 80 2.76 1.06
1988 21 21 2 2 0 12 5 0 -- .706 551 131.1 127 13 30 2 5 65 1 0 55 48 3.29 1.20
1989 33 33 5 1 3 13 14 0 -- .481 886 216.0 226 18 27 2 3 118 4 1 99 93 3.88 1.17
1990 27 27 0 0 0 13 7 0 -- .650 636 154.2 169 20 22 2 1 88 0 1 79 73 4.25 1.23
1991 33 33 2 2 1 16 12 0 -- .571 877 209.1 207 12 44 3 3 125 1 0 84 71 3.05 1.20
1992 33 33 4 2 1 13 13 0 -- .500 900 216.2 205 24 59 0 4 117 5 0 88 85 3.53 1.22
1993 NYY 34 34 4 2 0 18 6 0 -- .750 948 236.2 219 26 43 1 1 173 3 0 84 79 3.00 1.11
1994 25 25 1 0 1 17 4 0 -- .810 710 168.0 177 10 52 0 3 97 8 1 68 61 3.27 1.36
1995 5 5 0 0 0 1 2 0 -- .333 134 30.1 40 3 6 1 0 14 1 0 20 19 5.64 1.52
1996 30 30 0 0 0 12 11 0 -- .522 715 169.1 171 21 58 1 2 116 2 0 93 88 4.68 1.35
1997 BAL 34 34 1 1 0 16 10 0 -- .615 902 212.1 210 24 82 1 5 141 4 1 90 81 3.43 1.38
1998 25 11 0 0 0 6 3 0 -- .667 327 79.1 77 5 23 0 3 53 1 1 39 37 4.20 1.26
通算:15年 470 389 34 13 8 186 117 10 -- .614 10719 2591.2 2518 254 668 29 38 1538 50 12 1104 1010 3.51 1.23
  • 各年度の太字はリーグ最高

受賞歴・記録

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外部リンク

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