ジャスティン・ミラー (1977年生の投手)
AAA級エクスプレス時代 (2011年3月15日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州トーランス |
生年月日 | 1977年8月27日 |
没年月日 | 2013年6月26日(35歳没) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 MLBドラフト5巡目 |
初出場 |
MLB / 2004年4月26日 NPB / 2006年5月31日 |
最終出場 | NPB / 2006年9月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジャスティン・マーク・ミラー(Justin Mark Miller, 1977年8月27日 - 2013年6月26日[1])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のプロ野球選手(投手)。
来歴
[編集]1995年、サンフランシスコ・ジャイアンツからドラフト34巡目で指名されるも入団せず。1997年、コロラド・ロッキーズからドラフト5巡目で指名され入団する。1999年オフ、オークランド・アスレチックスとミルウォーキー・ブルワーズとが絡んだ三角トレードでアスレチックスに移籍。2001年オフ、トレードでトロント・ブルージェイズに移籍。
2002年、メジャーリーグデビューを果たし、ローテーションの穴を埋める形で先発をして防御率5点台ながらも9勝を挙げる。しかし、2003年は肩の手術のため1年間を棒に振る[2]。2004年、メジャーに復帰し、前々年同様ローテーション谷間の先発を中心に登板する。しかし、手術による戦線離脱中に多くのタトゥーを腕に施していたため、打者から紛らわしいとのクレームがついて、以後長袖の着用を義務づけられた[2]。2005年FAとなる。
2006年、タンパベイ・デビルレイズとマイナー契約を結び、同傘下のAAA級ダーラムでプレーしていたところ、シーズン途中に千葉ロッテマリーンズが獲得する。
5月31日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、延長11回表一死二塁の場面で初登板も、最初のアダム・リグスに決勝2ランを浴びる。その後4試合は1試合ごとに三者凡退と大量失点を繰り返し、6月4日の対広島東洋カープ戦では1アウトも取れず4失点し敗戦投手、6月8日の対中日ドラゴンズ戦では1回0/3を7失点の乱調で二軍落ちする(5試合で3回2/3自責点12、防御率29.45)。9月に一軍に復帰してからは好投を見せるも(7試合で8回自責点2、防御率2.25)、10月5日に自由契約となった。
2007年はフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び傘下のAAA級オタワでプレーするも解雇され、フロリダ・マーリンズとマイナー契約。傘下のAAAアルバカーキに所属し、5月19日にはメジャー昇格を果たした。
2008年は開幕戦のニューヨーク・メッツ戦に登板し勝利投手になった。8月3日に解雇され、11月1日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶ。
2009年12月4日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。
2010年11月17日にシアトル・マリナーズとマイナー契約。2011年4月25日に解雇され、29日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶも再び解雇される。7月4日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶも、25日に解雇された。
2013年6月26日夜、フロリダ州で遺体となって発見された。場所の詳細や死因は公表されていない[1][3][4]。
人物
[編集]スキンヘッドに加え、腕や足首にはタトゥーという厳つい外見であったが、実際は笑顔でサインに応じるなどファンには優しかった。140キロ台後半のシンカーとスライダーの組み合わせで凡打に打ち取る投球術であった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | TOR | 25 | 18 | 0 | 0 | 0 | 9 | 5 | 0 | 1 | .643 | 469 | 102.1 | 103 | 12 | 66 | 2 | 11 | 68 | 6 | 0 | 70 | 63 | 5.54 | 1.65 |
2004 | 19 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 375 | 81.2 | 101 | 14 | 42 | 3 | 5 | 47 | 3 | 1 | 58 | 55 | 6.06 | 1.75 | |
2005 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.1 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 15.43 | 2.14 | |
2006 | ロッテ | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | ---- | 63 | 11.2 | 18 | 3 | 10 | 1 | 0 | 11 | 2 | 1 | 14 | 14 | 10.80 | 2.40 |
2007 | FLA | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 17 | 1.000 | 259 | 61.2 | 53 | 5 | 24 | 6 | 0 | 74 | 4 | 1 | 27 | 25 | 3.65 | 1.25 |
2008 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 7 | .667 | 202 | 46.2 | 46 | 4 | 20 | 3 | 3 | 43 | 1 | 1 | 26 | 22 | 4.24 | 1.41 | |
2009 | SF | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 1 | .500 | 236 | 56.2 | 47 | 7 | 27 | 2 | 1 | 36 | 3 | 0 | 20 | 20 | 3.18 | 1.31 |
2010 | LAD | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 103 | 24.1 | 22 | 4 | 8 | 2 | 3 | 30 | 2 | 1 | 12 | 12 | 4.44 | 1.23 |
MLB:7年 | 216 | 33 | 0 | 0 | 0 | 24 | 14 | 0 | 27 | .632 | 1656 | 375.2 | 377 | 49 | 187 | 18 | 23 | 300 | 19 | 4 | 217 | 201 | 4.82 | 1.50 | |
NPB:1年 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | ---- | 63 | 11.2 | 18 | 3 | 10 | 1 | 0 | 11 | 2 | 1 | 14 | 14 | 10.80 | 2.40 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板:2006年5月31日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、11回表1死に6番手で救援登板・完了、2/3回1失点
- 初奪三振:同上、11回表にアレックス・ラミレスから見逃し三振
- 初ホールド:2006年9月24日、対北海道日本ハムファイターズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表2死に3番手として救援登板、1/3回無失点
- 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:上記の「初登板」の項を参照、11回表にアダム・リグスに中越決勝2ラン ※史上53人目(パ・リーグ28人目)
背番号
[編集]- 34(2002年、2004年 - 2005年)
- 36(2006年)
- 32(2007年 - 2008年)
- 45(2009年 - 2009年)
脚注
[編集]- ^ a b 朝日新聞2013年6月30日
- ^ a b The Rule : Justin Miller
- ^ http://www.sanspo.com/baseball/news/20130629/mar13062913510002-n1.html ボビー秘蔵っ子の元ロッテ投手、遺体で発見]:サンスポ2013年6月29日
- ^ 元ロッテのミラー投手が死去 35歳、死因は未公表:河北新報2013年6月29日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 ジャスティン・ミラー - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)