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ジャン=バティスト・バガザ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン=バティスト・バガザ
Jean-Baptiste Bagaza

ジャン=バティスト・バガザ(1978年撮影)

任期 1976年11月1日1987年9月3日
首相 エドゥアール・ンザムビマナ英語版

任期 1976年11月10日1987年9月3日
大統領 ジャン=バティスト・バガザ(兼務)
内閣 ンザムビマナ内閣

出生 1946年8月29日
ベルギーの旗 ルアンダ=ウルンディ ルトヴ英語版
死去 (2016-05-04) 2016年5月4日(69歳没)
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
政党 民族進歩連合→)
民族再生党
出身校 王立陸軍士官学校英語版
配偶者 ファウスタ・バガザ
子女 4人

ジャン=バティスト・バガザルンディ語: Jean-Baptiste Bagaza, 1946年8月29日 - 2016年5月4日[1])は、ブルンジ政治家軍人大統領ツチ。晩年、上院議員を務めた。

経歴

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ベルギーの王立陸軍士官学校で学び1971年にブルンジへ帰国。ブルンジ陸軍参謀次長を務めていた1976年11月に、無血クーデターミシェル・ミコンベロ大統領から政権を奪取した[2]。軍事独裁機構として最高革命評議会を設立し、元首に相当する議長にはバガザ自身が就任。事実上の独裁体制を敷き、同年11月2日には大統領に就任。しかしツチ優遇の行き過ぎ、汚職などで内外から批判が高まり、1987年ピエール・ブヨヤによるクーデターで失脚し追放された。ツチ優勢の最大政党民族進歩連合(UPRONA)に所属していたが、1994年民族再生党(PARENA)を設立し、自らその党首となった。

脚注

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  1. ^ Jean-Baptiste Bagaza, ousted Burundian president, dies at 69ワシントンポスト、2016年8月5日閲覧。
  2. ^ 新大統領にバガザ中佐 ブルンジ『朝日新聞』1976年(昭和51年)11月12日朝刊、13版、7面

関連項目

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外部リンク

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