ジョニー・ウィルソン
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基本情報 | |
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本名 | ジョン・パニカ |
通称 |
ジョバンニ・フランシスコ・パニカ Giovanni Francisco Panica |
階級 | ミドル級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1893年3月23日 |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク |
死没日 | 1985年12月8日(92歳没) |
死没地 | マサチューセッツ州ボストン |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 127 |
勝ち | 77 |
KO勝ち | 46 |
敗け | 24 |
引き分け | 5 |
無効試合 | 21 |
ジョニー・ウィルソン(Johnny Wilson、1893年3月23日 - 1985年12月8日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の男性元プロボクサー。本名はジョン・パニカ(Giovanni Panica)。ニューヨーク生まれ。イタリア系。元世界ミドル級王者。
来歴
[編集]- 1911年デビュー。
- 1920年5月6日、マイク・オドウドをアウトボックスし世界ミドル級王座獲得。強打と技巧を兼ね備えたサウスポー。
- 同年7月1日ソルジャー・バートフィールドを降し初防衛。
- 1921年1月13日に設立された全米ボクシング協会(NBA)から世界王者の認定を受ける。同年1月17日には元王者ジョージ・チップを降す。同年2月10日にはネイビー・ロスタンを降し防衛。
- 1921年3月17日マイク・オドウドとの再戦し勝利。
- 1921年7月27日、ブライアン・ダウニー と戦い7R失格で勝利する。オハイオ州の委員会は7RKOでダウニーが勝ったとし、ダウニーを世界ミドル級王者と認定した。
- 1921年9月5日、オハイオ州認定世界王者ブライアン・ダウニーと即再戦し、判定引き分け。
- 1923年8月31日、“人間風車”ハリー・グレブに判定で敗れ、王座陥落。
- 1924年1月18日、王座奪還の為、ハリー・グレブに挑戦するが、判定負け。
- 1924年2月12日、ライトヘビー級に転向しトミー・ローランと戦うが判定負け。
- 1925年4月17日、ハリー・グレブとノンタイトル戦で再戦するも判定負け。
- 1926年8月27日後の世界王者マキシー・ローゼンバーグに判定負け。
- 翌月の試合は勝利したが、10月4日にマキシーとの再戦に大差の判定負けを喫し引退した。
- 1985年12月8日、マサチューセッツ州ボストンにて死亡。
通算戦績
[編集]77勝24敗5分21無効
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 マイク・オドウド |
世界ミドル級王者 1921年1月13日 - 1923年8月31日 |
次王者 ハリー・グレブ |