ジョニー・トムソン
ジョニー・トムソン | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | マサチューセッツ州・ローウェル |
生年月日 | 1922年4月9日 |
没年月日 | 1960年9月24日(38歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1953-1960 |
過去の所属チーム | カーティス・クラフト, Kuzma, Lesovsky, Nichels, Del Roy |
出走回数 | 8 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 10 |
ポールポジション | 1 |
ファステストラップ | 1 |
初戦 | 1953年のインディ500 |
最終戦 | 1960年のインディ500 |
ジョニー・トムソン (Johnny Thomson、1922年4月9日 - 1960年9月24日) は、アメリカ合衆国のレーシングドライバー。マサチューセッツ州ローウェル出身。
「フライング・スコット(the Flying Scot)」の愛称で知られた。
経歴
[編集]ミジェット・カー
[編集]トムソンはミジェットカー・レースで32勝を挙げた後、1948年にUCOA ニューイングランドのタイトルを獲得した。1950年にも再びタイトルを獲得している。
1952年には AAA イースタン・ディヴィジョンのタイトルを獲得した。
チャンピオンシップ・カー
[編集]1953年からは AAA および USAC のチャンピオンシップ・カー・シリーズに参戦した。1960年までに69戦に出走し、その中には各年のインディ500も含まれた。トップ10完走は43回に上り、7勝を挙げている。インディ500では1959年の3位が最高であった。世界ミジェット選手権初代チャンピオンのロイ・シャーマンがトムソンのインディ500におけるチーフメカニックを何度か務めている[1]。
トムソンはペンシルベニア州ラングホーンにおける100マイル (160km) ダートトラックレースを1時間未満でフィニッシュした最初のドライバーであった。そのときの平均速度は100.174マイル毎時であった[1]。
スプリント・カー
[編集]トムソンは1958年に USAC スプリント・カー・シリーズのタイトルを獲得した。1954年にもイースタン・スプリント・カー選手権を獲得している。
1960年、トムソンはグレート・アレンタウン・フェアーで開催されたスプリント・カーのイベントでクラッシュ、車はフェンスを越えてフィールド内に宙返りし、死亡した[1]。
1996年にトムソンは国際スプリント・カー殿堂入りした。1997年には国際ミジェットレーシング殿堂入りした。
インディ500の結果
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