ジョニー・ドッズ
ジョニー・ドッズ Johnny Dodds | |
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生誕 | 1892年4月12日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ミシシッピー州ウェイブランド |
死没 |
1940年8月8日(48歳没) アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ |
ジャンル | ディキシーランド・ジャズ、ジャズ |
担当楽器 | クラリネット、アルト・サクソフォーン |
共同作業者 | ルイ・アームストロング、キング・オリヴァー、ジェリー・ロール・モートン、リルズ・ホット・ショッツ |
ジョニー・ドッズ(Johnny Dodds、1892年4月12日 - 1940年8月8日)は、ニューオーリンズに拠点を置くジャズ・クラリネット奏者、ジャズ・アルト・サクソフォーン奏者であり、彼自身の名前での録音や、キング・オリヴァー、ジェリー・ロール・モートン、ラヴィー・オースティン、ルイ・アームストロングらのバンドとの録音とでもっとも知られている。ドラム奏者のベイビー・ドッズは弟。ふたりは1926年にニューオーリンズ・ブートブラックスで共演した。
ドッズはミシシッピ州ウェイブランドに生まれ、青年時代にニューオーリンズに引っ越し、ロレンツォ・ティオにクラリネットを学んだ。ドッズは、フランキー・デューソン、キッド・オリー、キング・オリヴァーらのバンドと演奏した。ドッズはシカゴへ行き、オリヴァーズ・クレオール・ジャズ・バンドで演奏をした。それはドッズが1923年に最初の録音をしたバンドである。ドッズはこの期間、親友のナッティ・ドミニクとも頻繁に演奏をし、仕事上の付き合いは一生涯続いた。1924年にオリヴァーのバンドが解散したのち、ドッズはケリーズ・ステイブルズというジャズ・ハウスの専属クラリネット奏者でバンドリーダーでもあったアルサイド・ヌニェスの後を引き継いだ。ドッズはシカゴで数え切れないほどの少人数編成のグループで録音を行った。最も注目に値するのはルイ・アームストロングのホット・ファイヴとホット・セブン、そしてジェリー・ロール・モートンのレッド・ホット・ペッパーズとの録音である。
ドッズは音楽家としてのプロ意識と技巧、そして彼の心からの濃密にブルースを汲み出すスタイル[1]で有名であり、後のクラリネット奏者たち(特にベニー・グッドマン)に重要な影響を与えた。
ドッズは1930年代は健康を害し、ほとんど録音を行わなかった。1940年にシカゴで死去。
1987年、ドッズは『ダウン・ビート』誌による「ダウン・ビート・ジャズ・ホール・オヴ・フェイム(ダウン・ビートのジャズの殿堂)」入りをした。
脚注
[編集]- ^ heavily blues-laden style.
参考文献
[編集]- ジャズ批評編集部編 編『ジャズ管楽器 : バリトン・サックス/ソプラノ・サックス/クラリネット/フルート/トロンボーン他』松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2002年、100頁。ISBN 4-915557-12-X。