ベイビー・ドッズ
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ベイビー・ドッズ Baby Dodds | |
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ベイビー・ドッズ(1946年) | |
基本情報 | |
出生名 | Warren Dodds |
生誕 | 1898年12月24日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 |
1959年2月14日(60歳没) アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ |
ジャンル | ジャズ、ディキシーランド・ジャズ |
職業 | ドラマー |
担当楽器 | ドラム |
レーベル | フォンタナ |
共同作業者 | ジョニー・ドッズ、ジェリー・ロール・モートン、アート・ホーディス |
ベイビー・ドッズ(Baby Dodds、1898年12月24日 - 1959年2月14日)は、ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたジャズ・ドラム奏者である。
生涯・人物
[編集]ベイビー・ドッズはクラリネット奏者、ジョニー・ドッズの弟である。ベイビー・ドッズは初期のジャズ・ドラマーとして重要な存在とされ、ビッグ・バンド登場以前の最上のジャズ・ドラマーのひとりに数えられた。
ドッズは、ニューオーリンズで最高の若手ドラマーとしての名声を得て、まもなく若かりしルイ・アームストロングとミシシッピー川の蒸気船バンドでともに演奏をするようになった。ドッズはキング・オリヴァーと演奏をするため、1921年にオリヴァーのいるカリフォルニア州へ移り、オリヴァーについてシカゴへ移り、そこがドッズの仕事の本拠地になることとなった。
ドッズは、ルイ・アームストロング、ジェリー・ロール・モートン、アート・ホーディス、それに兄のジョニー・ドッズらと録音を行った。1940年代の後期には、ドッズはニューヨーク市でジミー・ライアンのバンドで演奏をした。ドッズがニューオーリンズへ帰郷した時は、バンク・ジョンソンと録音することもあった。1959年、ドッズはシカゴで死去した。60歳没。
ドッズは、録音中に即興演奏を行う最初のドラマーのひとりであり、アクセントや華麗な身振りでドラム・パターンに変化を添えた。また、どの曲も毎回コーラスごとに何かしら違った演奏をすることを信条としていた。また、フロア・バスや「キック・ドラム」を追加することにより、ドラム・キットに大きな変革をもたらした。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- Talking And Drum Solos (1951年、Folkways)
- Baby Dodds No.1 (1951年、American Music)
- Baby Dodds No.2 (1951年、American Music)
- Baby Dodds No.3 (1951年、American Music)
- Out Of The Back Room (1952年、Blue Note) ※with アート・ホーディス、マックス・カミンスキー、アルバート・ニコラス、オマー・シメオン、サンディ・ウィリアムズ
参考文献
[編集]- The Baby Dodds Story - Larry Gara によるドッズとの広範囲にわたるインタビューを元にした伝記、1959年初版、ISBN 978-1888408089。
外部リンク
[編集]- ベイビー・ドッズ - Discogs
- Baby Dodds - Encyclopedia of Early Jazz 日本語で読めるBaby Doddsの経歴。
- redhotjazz.com による伝記とオーディオ・ファイル
- ベイビー・ドッズの演奏作品の抜粋目録[リンク切れ] - en:Folkways Records による。
- Baby's Story ~『The Baby Dodds Story』日本語翻訳~[リンク切れ] - 上記「The Baby Dodds Story」の日本語訳。