ジョン・オーガスタス・ハーヴィー
表示
ハーヴィー卿ジョン・オーガスタス・ハーヴィー(英語: John Augustus Hervey, Lord Hervey、1757年1月1日 – 1796年6月10日)は、グレートブリテン王国の外交官。1787年から1794年まで在トスカーナ大公国特命全権公使を務めた[1]。
生涯
[編集]第4代ブリストル伯爵フレデリック・オーガスタス・ハーヴィーと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓デイヴァース(Davers)、1800年12月18日没、の娘)の次男として、1757年1月1日に生まれ、29日にホーニングスヒースで洗礼を受けた[1]。兄ジョージは1755年10月25日に洗礼を受け、1764年ごろに死去した[1]。1780年、イギリス海軍の大佐になった[1]。
1787年10月に在トスカーナ大公国特命公使としての信任賞を受け、1788年2月13日にフィレンツェに到着した[2]。1791年に特命全権公使としての信任状が発行され、同年8月19日にトスカーナ大公フェルディナンド3世に奉呈した[3]。1794年2月に本国から召還命令を受け、3月23日ごろにフィレンツェを発った[3]。
1796年6月10日に父に先立って死去、9月26日にイックワースで埋葬された[1]。
家族
[編集]1779年10月4日にケベックでエリザベス・ドラモンド(Elizabeth Drummond、1818年9月4日没、コリン・ドラモンドの娘)と結婚、1女をもうけた[1]。
- エリザベス・キャサリン・キャロライン(1780年8月17日 – 1803年1月21日) - 1798年8月2日、チャールズ・ローズ・エリス(のちの初代シーフォード男爵)と結婚、子供あり[1]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 327–329.
- ^ Horn, D. B., ed. (1932). British Diplomatic Representatives 1689-1789 (英語). Vol. XLVI. City of Westminster: Offices of The Royal Historical Society. p. 82.
- ^ a b Bindoff, S. T.; Malcolm Smith, E. F.; Webster, C. K., eds. (1934). British Diplomatic Representatives 1789–1852 (英語). London: Offices of The Royal Historical Society. p. 171.
外部リンク
[編集]外交職 | ||
---|---|---|
先代 サー・ホレス・マン準男爵(正式) ジョン・アッドニー(暫定) |
在トスカーナ大公国特命全権公使 1787年 – 1794年 |
次代 ウィリアム・フレデリック・ウィンダム閣下 |