ジョン・ヘンリー・ブレンリッジ
ジョン・ヘンリー・ブレンリッジ John Henry Bremridge | |
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香港財政司 | |
任期 1981年6月10日 – 1986年5月28日 | |
前任者 | フィリップ・ハッドン=ケイヴ |
後任者 | ピアース・ジェイコブス |
個人情報 | |
生誕 | 1925年7月12日 南アフリカ連邦、トランスヴァール州 |
死没 | 1994年5月6日 (68歳没) イギリス、ロンドン |
父 | ゴドフリー・ブレンリッジ |
サー・ジョン・ヘンリー・ブレンリッジ(英語: Sir John Henry Bremridge KBE JP、繁体字中国語: 彭勵治爵士、1925年7月12日 - 1994年5月6日)は、イギリス領香港の財政司(在任:1981年6月10日 - 1986年5月28日)。公務員出身でない最初の香港財政長官だった。
生涯
[編集]ブレンリッジは1925年、南アフリカ連邦のトランスヴァール州にあるオレンジの農園で生まれた。両親ともイギリス人であり、一家は1933年にイギリスへ移住した[1]。父の死後、1943年に18歳になるとイギリス陸軍のライフル旅団に従軍、オックスフォード大学で法学を学んだのち1949年にスワイヤー・グループに就職、1973年から1980年まで系列会社であるスワイヤー・パシフィック社とキャセイパシフィック航空の会長を務めた[2]。1987年には香港スワイヤー商事の役員を務めている(1989年退任)[2]。1976年新年叙勲の一環として、1976年1月1日に大英帝国勲章オフィサーを授与された[3]。
1981年にスワイヤーを退社して香港の財政司に就任、1986年まで務めた。任期中は英中共同声明の交渉により経済が不安定になり、香港ドルにドルペッグ制を採用(1US$対7.8HK$、香港におけるドルペッグ制も参照)した。ブレンリッジと後任のピアース・ジェイコブスは消費税を導入しようとしたが失敗に終わっている。1983年女王誕生日記念叙勲の一環として、1983年6月11日に大英帝国勲章ナイト・コマンダーを授与された[4]。
1987年に転倒して負傷し、1994年5月6日にロンドンで死去した[2]。
家族
[編集]1956年にジャックリン・エヴェラード(Jacqueline Everard)と結婚して、2男2女をもうっけた[2](アン、エリザベス、チャールズ、ヘンリー)[1]。
脚注
[編集]- ^ a b "Revd Henry Bremridge". Chess Devon (英語). 2018年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月9日閲覧。
- ^ a b c d Fell, R. (13 May 1994). "Obituary: Sir John Bremridge". The Independent (英語). 2024年3月9日閲覧。
- ^ "No. 46777". The London Gazette (Supplement) (英語). 30 December 1975. p. 18.
- ^ "No. 49375". The London Gazette (Supplement) (英語). 10 June 1983. p. 17.
官職 | ||
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先代 フィリップ・ハッドン=ケイヴ |
香港財政司 1981年 – 1986年 |
次代 ピアース・ジェイコブス |