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ジョン・マクグロックリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・マクグロックリン
Jon P. McGlocklin
ミルウォーキー・バックス  No.14 #永久欠番
ポジション シューティングガード
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1943年6月10日
出身地 インディアナ州フランクリン
身長 196cm (6 ft 5 in)
体重 93kg (205 lb)
キャリア情報
ドラフト 1965年 3巡目全体24位
選手経歴
1962-1965
1965-1967
1967-1968
1968-1976
インディアナ大学
シンシナティ・ロイヤルズ
サンディエゴ・ロケッツ
ミルウォーキー・バックス
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ジョン・マクグロックリンJon McGlocklin, 1943年6月10日 - )はアメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。インディアナ州、フランクリン出身。1968年に誕生したミルウォーキー・バックスのオリジナルメンバーであり、1971年の優勝に貢献。背番号『14』はバックスの永久欠番となっている。

経歴

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フランクリン高校時代はサウス・セントラル・カンファレンスのMVP、得点王に輝き、州のオールチームにも選ばれた。インディアナ大学卒業後、1965年のNBAドラフトで24位指名でシンシナティ・ロイヤルズに入団。ロイヤルズでは2シーズンプ過ごしたが、あまり出場時間を得られることができず、目だった成績を残すことはできなかった。1967年にはエクスパンションにより誕生したサンディエゴ・ロケッツに移籍、さらに翌1968年にもエクスパンション・ドラフトによってミルウォーキー・バックスに移籍した。

ミルウォーキー・バックス

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バックス移籍を契機にマクグロックリンは急成長し、移籍1年目にはキャリアハイとなる19.6得点4.3リバウンドを記録してバックス初のオールスター選手となった。翌1969-70シーズンにはカリーム・アブドゥル=ジャバーが入団。ジャバーの加入でマクグロックリンの得点アベレージは後退したが、チームは前季の27勝から56勝まで勝ち星を延ばす大躍進を遂げた。翌1970-71シーズンには66勝をあげ、プレーオフでは12勝2敗と圧倒的な強さで勝ち進み、NBAファイナルを制して創部3年目にして初優勝を遂げた。マクグロックリンはプレーオフ期間中平均14.9得点、フィールドゴール成功率53.6%を記録した。

マクグロックリンはバックスで8シーズン過ごし、1975-76シーズンを最後に現役から引退した。バックスでの成績は平均12.6得点、NBA通算成績は11シーズン792試合の出場で、9,169得点2,280アシスト、平均11.6得点2.9アシストだった。

引退後はバックスのキャスターを長年に渡って務めた。また小児癌患者救済のためのMACC財団を設立した。

プレースタイル・業績

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マクグロックリンは『虹』に例えられた高い弧を描くジャンプシュートを得意とし、正確なシュート精度を誇った。当時はNBAに3Pシュートは導入されていなかったが、ロングレンジからでも決められるマクグロックリンのシュートはバックスにとって大きな武器となり、特にインサイドを支配するジャバーとの愛称は抜群だった。ディフェンスがジャバーに集中すれば、マクグロックリンが外からゴールを射抜いてしまうと言う寸法である。1969-70シーズンからは4シーズン連続でフィールドゴール成功率50%以上を記録しており、キャリア通算でも48.9%とガードの選手としては高水準の数字を残している。フリースローも上手く、キャリア通算成功率は84.5%だった。

引退後、彼の背番号はすぐに永久欠番とされたため、バックス史上背番号『14』を着けた選手はマクグロックリンのみとなった。バックスのキャスターとしてのキャリアは25年間に及び、選手時代と併せてマクグロックリンは少なくとも33年間バックスに関わったことになる。

主な業績

外部リンク

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