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ジョージモナーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージモナーク
ジョージモナーク
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1985年5月14日
死没 2008年
ミルジョージ
レッドシグナル
母の父 Roan Rocket
生国 日本の旗 日本北海道
生産者 古川渉
馬主 須原秀晴
調教師 赤間清松大井
競走成績
生涯成績 39戦11勝(うち中央競馬8戦1勝)
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ジョージモナークとは、日本競走馬種牡馬である。南関東公営競馬で活躍し、地方競馬所属馬として中央競馬重賞である産経賞オールカマーを制し、ジャパンカップにも二度参戦した。

経歴

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1987年11月に競走馬としてデビュー。翌12月に2戦目で初勝利を挙げた。ジョージモナークを管理した赤間清松によると同馬は臆病ともいえる繊細さをもち、レースで競り合いになると弱い面があった。そのため赤間は1988年の1月のレースで3着に敗れたあと、同馬の精神面を鍛えようとハードな調教を課したが、調教中に右脚の第二臼骨を骨折。骨が3つに割れ、獣医師が安楽死させるべきだと主張するほどの重傷であったが馬主サイドの要望で治療が施され、まもなく自力歩行が可能な程度に回復。さらに1989年2月にはレースに復帰するほどの回復を見せた[1]

復帰後は同年7月まで6連勝を飾ったがその後10戦して1勝と勝ちきれないレースが続くなか、陣営は当時の中央競馬における代表的な地方競馬招待競走であった重賞オールカマーへの出走を決定。17頭中単勝8番人気と評価は高くなかったが、マイペースの逃げを打ち2着と好走した。これを受けて陣営はジャパンカップへの出走を決定。前哨戦の富士ステークスでは1番人気となったが4着、ジャパンカップは15頭中15番人気で15着に敗れた。

翌1991年、地元大井競馬場の重賞関東盃を優勝し重賞初制覇を達成。続いて2年連続でオールカマーに出走した。レースでは終始3番手を進み、直線で逃げたユキノサンライズを交わして先頭に立つとホワイトストーンの追撃を振り切って優勝した。その後陣営は前年と同様のローテーションでジャパンカップに出走したが富士ステークスは3着、ジャパンカップは15着に敗れた。翌1992年も競走生活を続けたが勝利を挙げることはできず、3度目の出走となったオールカマー(5着)を最後に競走馬を引退した。

競走馬を引退したあとは種牡馬となったが目立つ活躍馬を出すことはできず、2003年に種牡馬を引退、2008年に死亡した。

競走馬としての特徴

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  • 芝適性がかなり高く、調教師の赤間は当初からジョージモナークの走りに芝コースへの適性を見い出していた[2]。競走馬時代後半に主戦騎手を務めた早田秀治もまた同馬を芝向きでダートではそれほど強い馬ではないと評した[3]。その言葉通り引退直前、競走馬としては盛りを過ぎた7歳という高齢にもかかわらず1992年の新潟・BSN杯(芝1,800m)で二着と好走、また、引退レースとなる1992年オールカマーも5着と健闘、掲示板に載った。
  • ジョージモナークは故障を経験した影響もあって夏場に調子がよく、一方で冬場になると調子を落とすタイプの馬だった。また、その怪我の影響で左回りのコースが苦手になった。早田はそのことを初秋の中山競馬場(右回り)で行われるオールカマーで好走するものの晩秋の東京競馬場(左回り)で行われる富士ステークスやジャパンカップで結果が出ない一因として挙げている[4]
  • 前述のようにジョージモナークは性格的に競り合いに弱く、1991年帝王賞は早田いわく「勝てたレース」であったが、直線でチヤンピオンスターに寄られると後退し、2着に敗れた[5]

血統表

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ジョージモナーク血統ミルリーフ系 / Nasrullah4×5=9.38% Prince Rose5×5=6.25%〈父内〉) (血統表の出典)

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

*レッドシグナル
Red Signal
1974 鹿毛 フランス
Roan Rocket
1961 芦毛
Buisson Ardent Relic
Rose O'Lynn
Farandole Deux Pour Cent
Faramoude
母の母
Red Poppy
1963 鹿毛
Rockfella Hyperion
Rockfel
Red Shoes Bois Roussel
Picture Play F-No.1-s


脚注

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  1. ^ 『奔馬、燃え尽きるまで』p242-246
  2. ^ 『奔馬、燃え尽きるまで』p241-242
  3. ^ 『奔馬、燃え尽きるまで』p247
  4. ^ 『奔馬、燃え尽きるまで』p248-249、252-253
  5. ^ 『奔馬、燃え尽きるまで』p247-248

参考文献

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外部リンク

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