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ジョージ・グロバム・ハウ (初代準男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代準男爵サージョージ・グロバム・ハウ英語: Sir George Grobham Howe, 1st Baronet[注釈 1]1627年ごろ – 1676年9月26日)は、イングランド王国の政治家。ハウ伯爵家の先祖にあたる初代準男爵サー・ジョン・ハウは伯父にあたる[1][2]王政復古の後に準男爵に叙され、庶民院議員を16年間務めた[1]

生涯

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ジョージ・ハウ(1589年ごろ – 1647年12月7日)と妻ドロシー(Dorothy、旧姓クラーク(Clarke)、1676年7月13日以降没、ハンフリー・クラークの娘)の息子として[1][2]、1627年ごろに生まれた[3]。1646年4月19日、リンカーン法曹院に入学した[1]

イングランド共和国期においては1649年から1652年までウィルトシャー治安判事を務めた後、1656年に再び治安判事に就任、以降1676年に死去するまで務めた[3]王政復古の後、1660年6月20日に準男爵に叙され[1][2]、1662年から1676年に死去するまでウィルトシャー副統監を務めた[3]

父はヒンドン英語版から1マイルのところにあるベリック・セント・レオナード英語版をグロバム家(Grobham)から継承しており、1647年に死去すると唯一の息子であるハウが継承した[3]。これにより1660年仮議会の選挙でヒンドン選挙区英語版から出馬、無投票で当選した[4]。仮議会ではあまり活動的ではなく、1661年イングランド総選挙で再選した後も1676年に死去するまで議員を務めたが、やはり活動的ではなく、クラレンドン法典の制定にも関わらなかった[3]

1676年9月26日に死去[1]ベリック・セント・レオナード英語版で埋葬された[2]。息子ジェームズが準男爵位を継承した[1]

家族

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1650年、エリザベス・グリムストン(Elizabeth Grimston、1708年/1709年没、第2代準男爵サー・ハーボトル・グリムストン英語版の娘)と結婚、4男7女をもうけたが、うち3男3女が夭折した[2]

  • ジェームズ(1669年ごろ – 1736年1月19日) - 第2代準男爵[2]
  • ドロシー(1717年没) - 1679年10月16日、ヘンリー・リー英語版(1657年ごろ – 1734年9月6日)と結婚、子供あり[5]
  • アン - 1701年11月12日、ジョン・ライル(John Lisle、1709年8月没)と結婚[2]
  • エリザベス(1731年没) - ロバート・ホヴェンデン(Robert Hovenden、1718年ごろ没)と結婚[2]
  • メアリー(1699年没) - 1684年10月までにジョージ・ルーク(1650年 – 1709年1月24日)と結婚、子供なし[6]
  • メアリー(1652年8月/9月 – 12月25日[2]
  • アン(1657年4月2日ごろ – 23日[2]
  • グリムストン(1661年9月/10月 – 11月9日[2]
  • トマス(1663年10月/11月 – 12月20日[2]
  • エリザベス(1668年8月 – 1669年3月28日[2]
  • ジョージ(1668年8月 – 1669年4月11日[2]

注釈

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  1. ^ ジョージ・グラバム・ハウGeorge Grubham Howe)とも[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. p. 45.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 95–98.
  3. ^ a b c d e Helms, M. W.; Ferris, John. P. (1983). "HOWE, George Grobham (c.1627-76), of Berwick St. Leonard, nr. Hindon, Wilts.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧
  4. ^ Ferris, John. P. (1983). "Hindon". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧
  5. ^ Handley, Stuart (2002). "LEE, Henry (c.1657-1734), of 'Dunjeen', or 'Dane John', nr. Canterbury, Kent". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧
  6. ^ Handley, Stuart (2002). "ROOKE, Sir George (1650-1709), of St. Lawrence, Canterbury, Kent". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧
イングランド議会 (en
先代
サー・ロバート・レノルズ英語版
庶民院議員(ヒンドン選挙区英語版選出)
1660年 – 1676年
同職:エドマンド・ラドロー 1660年
サー・トマス・シン英語版 1660年 – 1661年
エドワード・シーモア英語版 1661年 – 1676年
次代

エドワード・シーモア英語版
イングランドの準男爵
爵位創設 (コールド・バリックの)準男爵
1660年 – 1676年
次代
ジェームズ・ハウ