スコット・ヘアストン
メッツ時代(2011年) | |
基本情報 | |
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国籍 |
アメリカ合衆国 メキシコ (二重国籍)[要出典] |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州フォートワース |
生年月日 | 1980年5月5日(44歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト3巡目(全体98位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名 |
初出場 | 2004年5月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | メキシコ |
WBC | 2009年 |
この表について
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スコット・アレクサンダー・ヘアストン(Scott Alexander Hairston, 1980年5月25日[1] - )は、アメリカ合衆国・テキサス州フォートワース出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]1999年6月2日にドラフト18巡目(全体549位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名を受けたが、選手契約は結ばなかった。
ダイヤモンドバックス時代
[編集]2001年6月5日にドラフト3巡目(全体98位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名を受け、6月15日に選手契約を結んだ。ルーキー級ミズーラ・オスプレイで74試合に出場し、打率.347、14本塁打、65打点、OPS1.010を記録。ドラフト3巡目入団選手の実力を存分に見せ付けた。
2002年はA級サウスベンド・シルバーホークスとA+級ランカスター・ジェットホークスで計127試合に出場し、打率.345・22本塁打・98打点という成績を記録。相変わらず、他の追随を許さない打力を見せ付けた。
2003年はAA級エル・パソ・ディアブロスに昇格し、88試合に出場。2002年までと比べると、多少成績は落ちたものの、打率.276・10本塁打・47打点を記録。シーズン終盤にはAAA級ツーソン・サイドワインダーズでも1試合に出場し、打点1を記録した。
2004年5月4日にメジャー初昇格を果たし、5月7日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。この年は101試合に出場。打率こそ.248と低かったものの、13本塁打・29打点という成績を記録し、持ち前のパワーを存分に見せつけた。
2005年と2006年はメジャーでの出場機会に恵まれず、2年間での出場試合数はわずか24試合に留まった。それに伴い、打撃成績も2年間で打率.229・0本塁打・2打点という寂しいものだった。しかし、マイナーリーグでは相変わらずのパワーを発揮。2005年と2006年のいずれもAAA級ツーソンに所属し、2年間で計156試合に出場。打率.318・42本塁打・121打点という素晴らしい成績を残していた。
2007年3月7日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意。この年は76試合に出場し、打率.222・3本塁打・16打点・2盗塁だった。
パドレス時代
[編集]2007年7月27日に、マイナーリーガーのレオ・ロサレスとのトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍した。すると、そのトレードが起爆剤となったかのように、ヘアストンの打棒が爆発。移籍後は31試合の出場で、打率こそ.287と平凡だったものの、8本塁打・20打点・長打率.644という数字を記録した。
2008年3月3日にパドレスと1年契約に合意した。8月29日に親指を負傷し、残りの試合を欠場した。この年は112試合に出場し、打率.248・17本塁打・31打点・3盗塁だった。オフには、第2回WBCのメキシコ代表に選ばれた。
2009年は56試合に出場し、打率.299・10本塁打・29打点・8盗塁だった。
アスレチックス時代
[編集]2009年7月5日にクレイグ・イタリアーノ、ライアン・ウェブとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍。アスレチックスでは60試合に出場し、打率.236・7本塁打・35打点・3盗塁だった。
パドレス復帰
[編集]2010年1月16日にケビン・クーズマノフ、エリック・ソガードとのトレードでアーロン・カニンガムと共に古巣・パドレスへ移籍[2]。2月2日にパドレスと1年契約に合意した。この年は104試合に出場し、打率.210・10本塁打・36打点・6盗塁だった。12月2日にFAとなった。
メッツ時代
[編集]2011年1月20日にニューヨーク・メッツと1年契約で合意した[3]。8月26日に左斜筋を痛め、15日間の故障者リスト入りした。9月29日にリストから外れた。この年は79試合に出場し、打率.235・7本塁打・24打点・1盗塁だった。10月30日にFAとなったが、2012年1月11日にメッツと1年110万ドルで再契約した[4]。この年は自己最多の134試合に出場し、打率.263・20本塁打・57打点・8盗塁だった。10月29日にFAとなった。
カブス時代
[編集]2013年2月10日にシカゴ・カブスと2年総額500万ドルで契約[5]。52試合に出場し、打率.172・8本塁打・19打点・2盗塁だった。
ナショナルズ時代
[編集]2013年7月8日にトレードでワシントン・ナショナルズへ移籍した[6]。ナショナルズでは33試合に出場し、打率.224・2本塁打・7打点だった。
2014年は61試合に出場したが、打率.208・1本塁打・8打点という成績に終わり、過去にシーズン15本塁打以上を3度記録した長打力は発揮されなかった。また、犠飛を4本記録し、実にシーズン全打点の半分を犠飛で稼いだ。守備面では、左翼の守りに就いた試合(15試合)が最多だった。10月31日にFAとなった。
ホワイトソックス傘下時代
[編集]2015年11月18日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[7]。
2016年3月31日に解雇された。
選手としての特徴
[編集]打撃面での特徴はパワーであり、4年連続2ケタ本塁打を放ったり、シーズン20本塁打を記録した事がある。特にマイナーリーグ時代は、19.42打数に1本という割合でホームランを放っていた。また、マイナー時代は打率も高かったが、メジャーではそれほどの高打率を残していない。守備面でのレベルは低い。元々は二塁手だったが、2004年に85試合で11失策を犯すなど、守備面ではレベルが低かったため、外野にコンバートされた。
親子孫三代メジャーリーガー
[編集]ヘアストン一家は、メジャー史上でも屈指の野球一家。父のジェリー・ヘアストン・シニアは、ホワイトソックスなどで14年間プレー。兄のジェリー・ヘアストン・ジュニアは、ユーティリティプレーヤーとして16年間プレーし、ボルチモア・オリオールズで二塁のレギュラーを務めた事もある元選手。祖父のサミー・ヘアストンも、1951年だけだがホワイトソックスでプレーし、叔父のジョニー・ヘアストンも、1969年にシカゴ・カブスでプレーしている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | ARI | 101 | 364 | 339 | 39 | 84 | 15 | 6 | 13 | 150 | 29 | 3 | 3 | 2 | 1 | 21 | 0 | 1 | 88 | 4 | .248 | .293 | .442 | .735 |
2005 | 15 | 20 | 20 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | .100 | .100 | .150 | .250 | |
2006 | 9 | 16 | 15 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | .400 | .438 | .533 | .971 | |
2007 | 76 | 199 | 176 | 21 | 39 | 13 | 1 | 3 | 63 | 16 | 2 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | 1 | 37 | 4 | .222 | .301 | .358 | .659 | |
SD | 31 | 95 | 87 | 16 | 25 | 5 | 1 | 8 | 56 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 18 | 0 | .287 | .337 | .644 | .981 | |
'07計 | 107 | 294 | 263 | 37 | 64 | 18 | 2 | 11 | 119 | 36 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 0 | 1 | 55 | 4 | .243 | .313 | .452 | .765 | |
2008 | 112 | 362 | 326 | 42 | 81 | 18 | 3 | 17 | 156 | 31 | 3 | 1 | 3 | 2 | 28 | 2 | 3 | 84 | 2 | .248 | .312 | .479 | .791 | |
2009 | 56 | 216 | 197 | 26 | 59 | 14 | 1 | 10 | 105 | 29 | 8 | 1 | 1 | 0 | 17 | 0 | 1 | 45 | 4 | .299 | .358 | .533 | .891 | |
OAK | 60 | 248 | 233 | 24 | 55 | 13 | 1 | 7 | 91 | 35 | 3 | 2 | 0 | 5 | 8 | 0 | 2 | 38 | 5 | .236 | .262 | .391 | .653 | |
'09計 | 116 | 464 | 430 | 50 | 114 | 27 | 2 | 17 | 196 | 64 | 11 | 3 | 1 | 5 | 25 | 0 | 3 | 83 | 9 | .265 | .307 | .456 | .763 | |
2010 | SD | 104 | 336 | 295 | 34 | 62 | 10 | 0 | 10 | 102 | 36 | 6 | 1 | 0 | 4 | 31 | 1 | 6 | 69 | 3 | .210 | .295 | .346 | .640 |
2011 | NYM | 79 | 145 | 132 | 20 | 31 | 8 | 1 | 7 | 62 | 24 | 1 | 1 | 0 | 0 | 11 | 2 | 2 | 34 | 2 | .235 | .303 | .470 | .773 |
2012 | 134 | 398 | 377 | 52 | 99 | 25 | 3 | 20 | 190 | 57 | 8 | 2 | 0 | 1 | 19 | 0 | 1 | 83 | 10 | .263 | .299 | .504 | .803 | |
2013 | CHC | 52 | 112 | 99 | 13 | 17 | 2 | 0 | 8 | 43 | 19 | 2 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 2 | 25 | 3 | .172 | .232 | .434 | .666 |
WSH | 33 | 62 | 58 | 5 | 13 | 3 | 0 | 2 | 22 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 19 | 0 | .224 | .246 | .379 | .625 | |
'13計 | 85 | 174 | 157 | 18 | 30 | 5 | 0 | 10 | 65 | 26 | 2 | 0 | 1 | 5 | 9 | 0 | 2 | 44 | 3 | .191 | .237 | .414 | .651 | |
2014 | 61 | 87 | 77 | 6 | 16 | 4 | 0 | 1 | 23 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 2 | 26 | 2 | .208 | .253 | .299 | .552 | |
通算:11年 | 923 | 2660 | 2431 | 300 | 589 | 133 | 17 | 106 | 1074 | 313 | 36 | 11 | 10 | 23 | 175 | 5 | 21 | 577 | 41 | .242 | .296 | .442 | .738 |
- 2014年度シーズン終了時。
背番号
[編集]- 5 (2004年)
- 9 (2005年 - 2007年途中)
- 14 (2007年途中 - 同年終了)
- 12 (2008年 - 2012年)
- 21 (2013年 - 同年途中)
- 7 (2013年途中 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ https://www.mlb.com/player/scott-hairston-430668
- ^ A's land Kouzmanoff in deal with Padres MLB.com
- ^ Scott Hairston signing official ESPN New York
- ^ Mets re-sign Scott Hairston FOX News
- ^ Source: Cubs sign Scott Hairston ESPN Chicago
- ^ Cubs trade OF Scott Hairston to Washington for Minor League RHP Ivan Pineyro MLB.com
- ^ “White Sox sign Scott Hairston to minor league deal” (英語). ESPN. (2015年11月18日) 2015年11月20日閲覧。