コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

スタン・アルベック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スタン・アルベック
Stan Albeck
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1931-05-17) 1931年5月17日
没年月日 (2021-03-25) 2021年3月25日(89歳没)
出身地 イリノイ州
指導者経歴
  • 1970-1971
  • 1979-1980
  • 1980-1983
  • 1983-1985
  • 1985-1986

スタン・アルベックStan Albeck1931年5月17日 - 2021年3月25日[1])は、アメリカ合衆国バスケットボールの指導者。イリノイ州出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグABAデンバー・ロケッツNBAサンアントニオ・スパーズなどのヘッドコーチを務め、ABA、NBA通算で、レギュラーシーズンでは645試合を指揮し、334勝311敗、プレイオフは44試合を指揮し、18勝26敗[2]

経歴

[編集]

1955年、ブラッドリー大学を卒業、1957年ミシガン州立大学で修士号を取得後、1970年までカレッジチームのヘッドコーチを務めた。

1970-1971シーズン、ABAのデンバー・ロケッツ(現デンバー・ナゲッツ)が開幕から13試合で10敗すると、ジョー・ベルモントに代わりヘッドコーチに就任した。この年彼は27勝44敗の成績をあげ、チームは30勝54敗でシーズンを終えて、インディアナ・ペイサーズから28ゲーム差、テキサス・チャパラルズと同率になったが、4月1日のワンゲームプレーオフで敗れて、プレーオフ進出はならなかった。デンバーの観客入場者数は前年の平均6281人から4139人に減少した。同年4月8日、ヘッドコーチを解任されアレックス・ハナムが後任となった。

1972-1973シーズン、K・C・ジョーンズのもとでサンディエゴ・コンキスタドアーズのアシスタントコーチを務めた。1973-74シーズンは、同チームでウィルト・チェンバレンヘッドコーチのもとでアシスタントコーチを務め、チェンバレンが欠場した数試合で指揮を執った。

1974-1975シーズン、ケンタッキー・カーネルズのアシスタントコーチを務めた。この年、カーネルズはABAチャンピオンとなった。

カーネルズが1976年に消滅すると、ロサンゼルス・レイカーズのアシスタントコーチとなり、1979年まで務めた。

1979-80シーズンクリーブランド・キャバリアーズ1980-1981シーズンから1982-1983シーズンまで3シーズン、サンアントニオ・スパーズ1983-1984シーズンから1984-1985シーズンニュージャージー・ネッツ1985-1986シーズンシカゴ・ブルズでヘッドコーチを務めた。

NBAで7シーズンヘッドコーチを務め通算勝率は、53.5%である。

1986年から1991年までは母校ブラッドリー大学のヘッドコーチを務めた。

その後、アトランタ・ホークストロント・ラプターズのアシスタントコーチも務めたが、脳梗塞となり、コーチを退いた。

実績

[編集]
NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
CLE 1979–80 82 37 45 .451 4th in Central 不出場
SAS 1980–81 82 52 30 .634 1st in Midwest 7 3 4 .429 カンファレンスセミファイナル敗退
SAS 1981–82 82 48 34 .585 1st in Midwest 9 4 5 444 カンファレンスファイナル敗退
SAS 1982–83 82 53 29 .646 1st in Midwest 11 6 5 .545 カンファレンスファイナル敗退
NJN 1983–84 82 45 37 .549 4th in Atlantic 11 5 6 .455 カンファレンスセミファイナル敗退
NJN 1984–85 82 42 40 .512 3rd in Atlantic 3 0 3 .000 1st.ラウンド敗退
CHI 1985–86 82 30 52 .366 4th in Central 3 0 3 .000 1st.ラウンド敗退
Career 574 307 267 .535 44 18 26 .409

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]