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1980-1981シーズンのNBA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1980-1981シーズンのNBA
ボストン・セルティックス 
期間 1980年10月10日-1981年5月14日
TV 放送 CBS
観客動員数 9,449,340人
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシード ボストン・セルティックス, フィラデルフィア・76ers
MVP ジュリアス・アービング
スタッツリーダー  
  得点 エイドリアン・ダントリー
チーム平均得点 108.1得点
プレーオフ
 イースタン  優勝 ボストン・セルティックス
   フィラデルフィア・76ers
ファイナル
 チャンピオン  ボストン・セルティックス
ファイナルMVP ラリー・バード
<1979-80

1980-1981シーズンのNBAは、NBAの35回目のシーズンである。

シーズン前

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ドラフト

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ドラフトではジョー・バリー・キャロルゴールデンステート・ウォリアーズから全体1位指名を受けた。ほか、ダレル・グリフィスケビン・マクヘイルケルビン・ランジーマイク・グミンスキーアンドリュー・トニーマイケル・ブルックスキキ・ヴァンダウェイマイク・ウッドソンウェス・マシューズラリー・ドリュービル・ハンズリックラリー・スミスジェフ・ルーランドリック・マホーンジョワン・オールドハムカート・ランビスロリー・スパロウらが指名を受けている。

オールスターにはJ・B・キャロル、K・マクヘイル、A・トニー、K・バンダウェイ、J・ルーランドの5人が選出されている。

その他

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シーズン

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オールスター

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イースタン・カンファレンス

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アトランティック・デビジョン
Team W L PCT. GB
ボストン・セルティックス 62 20 .756 -
フィラデルフィア・76ers 62 20 .756 -
ニューヨーク・ニックス 50 32 .610 12
ワシントン・ブレッツ 39 43 .476 23
ニュージャージー・ネッツ 24 58 .293 38
セントラル・デビジョン
Team W L PCT. GB
ミルウォーキー・バックス 60 22 .732 -
シカゴ・ブルズ 45 37 .549 15
インディアナ・ペイサーズ 44 38 .537 16
アトランタ・ホークス 31 51 .378 29
クリーブランド・キャバリアーズ 28 54 .341 32
デトロイト・ピストンズ 21 61 .256 39

ウエスタン・カンファレンス

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ミッドウエスト・デビジョン
Team W L PCT. GB
サンアントニオ・スパーズ 52 30 .634 -
ヒューストン・ロケッツ 40 42 .488 12
カンザスシティ・キングス 40 42 .488 12
デンバー・ナゲッツ 37 45 .451 15
ユタ・ジャズ 28 54 .341 24
ダラス・マーベリックス 15 67 .183 37
パシフィック・デビジョン
Team W L PCT. GB
フェニックス・サンズ 57 25 .695 -
ロサンゼルス・レイカーズ 54 28 .659 3
ポートランド・トレイルブレイザーズ 45 37 .549 12
ゴールデンステート・ウォリアーズ 39 43 .476 18
サンディエゴ・クリッパーズ 36 46 .439 21
シアトル・スーパーソニックス 34 48 .415 23

スタッツリーダー

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部門 選手 チーム AVG
得点 エイドリアン・ダントリー ユタ・ジャズ 30.7
リバウンド モーゼス・マローン ヒューストン・ロケッツ 14.8
アシスト ケビン・ポーター ワシントン・ブレッツ 9.1
スティール マジック・ジョンソン ロサンゼルス・レイカーズ 3.4
ブロック ジョージ・ジョンソン サンアントニオ・スパーズ 3.4
FG% アーティス・ギルモア シカゴ・ブルズ 67.0
FT% カルヴィン・マーフィー ヒューストン・ロケッツ 95.8
3FG% ブライアン・テイラー サンディエゴ・クリッパーズ 38.3

各賞

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シーズン概要

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  1回戦 カンファレンス準決勝 カンファレンス決勝 ファイナル
                                     
        
  1  サンズ 3  
    5  キングス 4  
4  トレイルブレイザーズ 1
5  キングス 2  
  5  キングス 1  
Western Conference
  6  ロケッツ 4  
3  レイカーズ 1  
6  ロケッツ 2  
  6  ロケッツ 4
    2  スパーズ 3  
      
        
  W6  ロケッツ 2
  E1  セルティックス 4
        
        
  1  セルティックス 4
    5  ブルズ 0  
4  ニックス 0
5  ブルズ 2  
  1  セルティックス 4
Eastern Conference
  3  76ers 3  
3  76ers 2  
6  ペイサーズ 0  
  3  76ers 4
    2  バックス 3  
      


名門復活

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ボストン・セルティックスの人事権を握るレッド・アワーバックは非常に貪欲な人物だった。1978年ラリー・バード入団が決まると、同じ年に名ポイントガードネイト・アーチボルトピート・マラビッチを獲得。マラビッチは引退してしまうものの、アーチボルト、大型フォワードのセドリック・マックスウェル、セルティックスの70年代黄金期を支えたデイブ・コーウェンスにバードが加わった前季のセルティックスは60勝を記録し、一時の低迷期を脱して一気に優勝候補に躍り出た。

それでも満足しなかったアワーバックはより優勝を確実なものにするため、このシーズンの前に大胆なトレードを行った。アワーバックは過去にバード入団に備えて、もう一つ手を打っていた。1979年にセルティックスのシステムにはマッチしていなかったかつてのオールスター選手であるボブ・マカドゥーを使って、デトロイト・ピストンズから将来のドラフト指名権を獲得していたのである。この指名権が、1980年のNBAドラフトでは全体1位指名権に化けていた。セルティックスには是が非でも手に入れたい選手が居た。ミネソタ大学ケビン・マクヘイルである。セルティックスはドラフトで彼を指名するだけで簡単にマクヘイルを獲得できたが、滅多に手に入らない1位指名権をただ単純に行使するアワーバックではなかった。アワーバックはドラフト前に、1位指名権を13位指名権と合わせてゴールデンステート・ウォリアーズに譲渡してしまったのである。見返りに得たのがセンターのロバート・パリッシュとドラフト3位指名権だった。低迷が続き、再建に本腰を入れたいウォリアーズにとって、このトレードは決して悪いものではなかった。パリッシュの後釜として、この年のドラフトの目玉である216cmの大型センター、ジョー・バリー・キャロルを指名できるからである。そしてウォリアーズはドラフトでキャロルを1位指名。2位指名権を持つユタ・ジャズダレル・グリフィスを指名した。そしてアワーバックは目論見通り、ウォリアーズから受け取った3位指名権でマクヘイルを指名。セルティックスとアワーバックは、まんまと一度にパリッシュとマクヘイルを手に入れてしまったのである。一連のアワーバックの動きは「最も不公平なトレード」の烙印を押されるが、1978年のバード指名に奇策に続くアワーバックの妙技により、ラリー・バード、ロバート・パリッシュ、ケビン・マクヘイルと、後に史上最高のフロントコートと呼ばれるビッグスリーの役者がここに揃った。

パリッシュはデイブ・コーウェンスにかわって先発センターとなり、マクヘイルはセドリック・マックスウェルのバックアップを務めた。ますます充実した顔ぶれとなったセルティックスは、前季を上回る62勝を記録。プレーオフではカンファレンス決勝でフィラデルフィア・76ersを第7戦の末に破って前季の雪辱を果たし、5年ぶりのファイナル進出を果たした。

下位シードの意地

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当時人々の期待はラリー・バード率いるボストン・セルティックスとマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズによるファイナル決戦だったが、マジックの負傷により夢の対決はこの年も叶わなかった。そして西を勝ち上がってきたのは意外なチームだった。

ヒューストン・ロケッツは80年代を代表する名センターモーゼス・マローンにロケッツを長年に渡って支え続けたルディ・トムジャノビッチカルヴィン・マーフィー、ポイントガードのマイク・ダンリービーらを擁していたものの、優勝争いからは程遠いチームで、このシーズンも40勝42敗と勝率5割には届かず、カンファレンス6位ギリギリで辛うじてプレーオフに進出した。カンザスシティ・キングスもシーズン前には100万ドル契約を結んだオーティス・バードソングが話題を集めていたものの、チームとしては下り坂でこのシーズンもロケッツと同じく40勝42敗。やはりギリギリでプレーオフに進出していた。レイカーズはマジックの不調が明らかで、このシーズンのウエスタン・カンファレンスのプレーオフはサンアントニオ・スパーズフェニックス・サンズによって争われるはずだった。

ところがロケッツとキングスはプレーオフ1回戦で上位シードのレイカーズとポートランド・トレイルブレイザーズを破り、カンファレンス準決勝に勝ち進むと、ロケッツはスパーズを、キングスはカンファレンス勝率トップのサンズを、いずれも第7戦の末に破ってしまったのである。ロケッツにとっては初の、キングスにとっては27年ぶり(当時はデビジョン決勝)のカンファレンス決勝進出となった。カンファレンス決勝はロケッツが4勝1敗でシリーズを制し、最下位シードから勝ち上がったロケッツがチーム史上初のファイナル進出を決めた。ロケッツのレギュラーシーズン40勝42敗は、ファイナルに進出したチームの中では史上最低の勝率である。

ファイナル

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ファイナルはシーズン勝率トップのチームと、プレーオフ進出チームの中では最下位の勝率だったチームの対決となった。ロケッツはセルティックスとの直接対決で12連敗中であり、セルティックスの優位は明らかだった。それでも自信満々のモーゼス・マローンはファイナル前に記者の前でセルティックスを散々にこき下ろした。マローンの発言は虚勢ではなく、第1戦はロケッツペースで進み、前半を57-51のロケッツリードで折り返した。このままマローンの挑発に屈してしまうかに見えたセルティックスを救ったのが、エースのラリー・バードだった。第4Q終盤、バードは自身が放ったシュートを外れると読んですぐにゴール下のベースライン右側に駆け寄り、リムに弾かれたボールを空中で受け取ってそのままシュートを決めるという、後に有名になるプレイを見せる。バードのプレイに刺激されたセルティックスは逆転を果たし、98-95で第1戦を勝利した。

しかし第2戦はモーゼス・マローンがゴール下を支配し、92-90でロケッツが敵地で貴重な1勝をあげた。ヒューストンに戦いの場を移した第3戦では、セドリック・マックスウェルの活躍で94-71とセルティックスが圧勝した。この日8得点と不調だったバードは、フラストレーションからロケッツのロバート・リード英語版と小競り合いを起こしている。第4戦は再びマローンがゴール下で存在感を発揮。バードはリードの執拗なディフェンスの前にまたもや8点に抑えられて91-86でロケッツが勝利し、シリーズを2勝2敗のタイに戻した。

そして第4戦の後、マローンはまたもや記者の前で大胆発言をした。曰く、「セルティック相手なら自分の故郷(ピッツバーグ)のストリートバスケをやっている連中でも勝てる」。この発言が、セルティックスの逆鱗に触れた。

第5戦をセルティックスは109-80で圧勝。第6戦では第2戦から不調続きだったラリー・バードも復活。前半を6点リードで折り返すと、試合終盤にロケッツが猛烈な追い上げを見せた時にはバードがシリーズ唯一のスリーポイントシュートを決めて駄目押しし、102-91でセルティックスが勝利。5年ぶり14回目の優勝を決めた。

ファイナルMVPにはセドリック・マックスウェルが選ばれた。恒例のビール掛けに沸くロッカールームで、バードはレッド・アワーバックの持ち物から失敬した葉巻を吹かし、初めての優勝を祝った。

ロサンゼルス・レイカーズに遅れること1年、名門復活を果たしたボストン・セルティックスは、リーグ史を代表する名チームとしての第一歩を踏み出した。一方奇跡のファイナル進出を果たしたヒューストン・ロケッツは、しかし強豪の仲間入りを果たしたわけではなく、翌シーズンも平凡な成績が続き、やがてモーゼス・マローンもチームを離れてしまう。ロケッツが再び優勝戦線に顔を出すには、運命の1984年を待たなければならない。

ラリー・バードとマジック・ジョンソンの活躍で俄かに人気が高まるNBAだが、テレビ中継は未だに冷遇されており、ファイナルですら深夜帯に放送されていた。そしてこの年のファイナルの平均視聴率は、過去最低となる6.7%を記録した。この記録は2003年のファイナルで更新される。

結果

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ボストン・セルティックス 4-2 ヒューストン・ロケッツ  ファイナルMVP:セドリック・マックスウェル

日付 ホーム ホーム 結果
第1戦 5月5日 セルティックス ロケッツ 98-95
第2戦 5月7日 セルティックス ロケッツ 90-92
第3戦 5月9日 ロケッツ セルティックス 71-94
第4戦 5月10日 ロケッツ セルティックス 91-86
第5戦 5月12日 セルティックス ロケッツ 109-80
第6戦 5月14日 ロケッツ セルティックス 91-102

ラストシーズン

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外部リンク

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